今日のタイトルに戸惑われた方が多いと思います。ごめんなさい!
4月27日、先週の金曜日のことだった。原発再稼働、放射能汚染、小沢判決、無謀運転による痛ましい事故などで埋め尽くされたメディアの片隅に、ふと目についた見出しが気になってしかたがなかった。
・4万人「平和の歌」で抗議 ノルウェー連続テロ被告に (河北新報)
・ノルウェー連続テロ被告に4万人の歌声で対抗…被告嫌悪の童謡で揺さぶり (msn産経ニュース)
・平和と共存の歌でテロ被告に対抗、首都で大合唱集会 ノルウェー (CNN.co.jp)
昨年の7月にノルウェーで死者77人を出した連続テロ事件ことなど、もう日本人の記憶には残っていないかもしれない。ノルウェーが進めている多文化主義と寛容な移民政策、とりわけ、その結果、イスラム系移民が増えていることに危機感を抱いたアンネシュ・ブレイビク被告による単独の犯行だったとされている。その公判が行われているノルウェーの首都オスロで約4万人の市民らが犠牲になった人たちの追悼集会を開き、被告が嫌悪しているといわれている子どもの歌を合唱したというニュースである。CNNによると、集会は2人の女性が交流サイトのフェイスブックを通じて呼びかけた。参加者は数十人程度を予想していたが、4000人が同サイトで呼びかけに応え、当日の参加者はそのさらに10倍の4万人に膨れ上がったという。
ぼくが気になったのは、いったい、どんな歌だったのか。ネットで探したら集会の様子がyoutubeにアップロードされていた。
Thousands of Norwegians in Youngstorget Square singing Pete Seeger's "My Rainbow Race"
集会に参加した人たちが唄っていたのは、ノルウェー語で“Barn av regnbuen”(barn 子供, regnbuenb 虹)「虹の子どもたち」と題された歌で、それは、まぎれもなく(ぼくにとってはすごく懐かしい)あのピート・シーガーの“My Rainbow Race”(虹の民)ではないか。日本でも1970年前後に環境保護や核廃絶の集会などで盛んに唄われたアメリカのフォークソングが、いまノルウェーでは、子どもの歌として幼稚園や小学校で唄われているという。「虹」は肌の色の異なるさまざまな人種を象徴していて、連続テロの犯人は、この歌を嫌悪していたという。「虹の民」は、価値観(文化・生活様式)のちがいによる対立と排除ではなく、多様な人たちが暮らす、かけがえのないひとつの地球(環境)を共に守っていこうという内容の歌である。「虹の子どもたち」では「姉妹も兄弟もみんな一緒に暮らす世界、虹の小さな子どもたちのように」と唄っているらしい。連続テロの犯人は、この歌を嫌悪していたという。
報道によると、被告はノルウェーの多文化主義への嫌悪を表明する一方で、日本と韓国のことを「単一文化が保たれている完全な社会」で「より人々の調和が取れている」と称賛しているという。なんだか複雑な想いだが、その背景を知るには同志社大学の二人の教授による以下の対談が参考になる。
・ノルウェー連続テロ事件の背景を探る(CISMOR Interviews)
内藤正典(同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授)
小原克博(同志社大学神学部教授、CISMORセンター長)
対談は「豊かな国であり、外国人に対して寛容なノルウェーに極右(一国ナショナリズム)はありうるのか?」という問いから始まり、やがてブレイビク被告が評価しているといわれる日本の排他的な移民政策へと及ぶ。「いろんな人がいて多様な価値観を持って同じ社会にいてもいい」という日本の「多文化共生」は、権利だけ与えて不干渉というもので、結局「無関心の壁を作って、どうぞご自由にやってください。私は私、あなたはあなた」というもので「在日差別は現存するし、今後、ムスリムの流入が多くなると、将来、きびしい衝突が起こる可能性がある」と指摘しておられる。
これを聞いて、かつて読んだ『アメリカ多文化教育の再構築 文化多元主義から多文化主義へ』(明石書店、2007)を思い出した。著者の松尾知明さんは、今日のアメリカ社会と教育の課題を多文化という視点からとらえて、さまざまな野菜が美しく配置されている「サラダボウル」にたとえられる「文化多元主義」から、異質なパートが混ざり合って全体として美しい響きを奏でる「ジャズ」(私の愛用語でいえば「ジャム」)にたとえられる「多文化主義」への移行過程を記述・分析している。とりわけ、多文化共生社会の実現を阻んでいる権力作用を明らかにしながら、西洋中心の教育内容を脱中心化していくプロセスに関する記述は示唆に富む。
今後、日本が極端な一国一民族のナショナリズムに走るとは想像しにくいが、多様な人々の文化や伝統に触れて衝突が起きる機会が多くなってくるなか、「郷に入れば、郷に従え」という態度から、お互いに「異文化の懐に飛び込んで学び、その上で議論をする」態度への転換が求められる時期にきているのではないか。「サラダボウルからジャムへ」。人種・民族のみならず、さまざまな価値やライフスタイルをもつ多様な集団を擁するアメリカ社会の葛藤のプロセスは、わが国における多様性を尊重する社会や教育のあり方を考えるうえで参考になるにちがいない。
PS
ピート・シーガーのMy Rainbow Raceを紹介しておこう。
以下が原詩です。(「意味は?」もし、自分で解読できなければ、ぼくの「やり直し英語教室」で一緒に考えませんか?)
MY RAINBOW RACE
Chorus:
One blue sky above us
One ocean lapping all our shore
One earth so green and round
Who could ask for more
And because I love you
I'll give it one more try
To show my rainbow race
It's too soon to die.
1. Some folks want to be like an ostrich,
Bury their heads in the sand.
Some hope that plastic dreams
Can unclench all those greedy hands.
Some hope to take the easy way:
Poisons, bombs. They think we need 'em.
Don't you know you can't kill all the unbelievers?
There's no shortcut to freedom.
(Repeat chorus)
2. Go tell, go tell all the little children.
Tell all the mothers and fathers too.
Now's our last chance to learn to share
What's been given to me and you.
(Repeat chorus one and a half times)
Words and Music by Pete Seeger (1967)
(c) 1970 by Sanga Music Inc.
私自身は、レコード以外に古川豪さんや中川五郎さんが片桐ユズルさんの訳詩で歌っておられるのを聞いていた。
♪ ひとつの青空
♪ ひとつの青い海
♪ ひとつの地球
♪ かけがえのない
♪ 愛しているなら
♪ もう一度やってみよう
♪ 虹の民よ 滅びぬよう
ピート・シーガーは、1939年にハーバード大学を中退、フォークソング研究家アラン・ロマックスの助手として国会図書館の民謡資料室でフォークソングの収集、整理に携わっていたが、ウディ・ガスリーに誘われて一緒に旅に出たのがきっかけでフォークの歌い手になったという。
『虹の民におくる歌―『花はどこへいった』日本語版』(ピート・シーガー著、矢沢寛監訳、社会思想社、2000)
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