ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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1.11「ぴっかり図書館」の「ぴっかりカフェ」・勉強会の報告です

2015年01月20日 | 知のアフォーダンス

 

 「近いうちに・・・」と思って後まわしにしていたら、いつのまか1.11の勉強会から一週間以上が過ぎてしまいました。どうやら加齢にともなう体内時計の減速が思いのほか進んでいるようです。
 言い訳はさておき、1.11という数字の並びはスッキリしていて、なんとなく縁起が良さそうですね。年が改まったばかりのこの日、私は新鮮な期待を胸に神奈川県立田奈高校に向かいました。神戸の「場所としての学校図書館」勉強会で取り上げた下記の論文の舞台となっている「現地」を訪れたいというメンバーのリクエストに、同校の司書で論文の執筆者の一人でもある松田ユリ子さんが快諾してくださったのです。勉強会からは松田さんをふくめて7名、そこに関東圏の学校司書の皆さんや「ぴっかりカフェ」に関わりのある人たちも来てくださって、合わせて20名近くの集まりになりました。
 勉強会で取り上げた田奈校図書館とNPO法人パノラマによる交流相談やバイターンの実践内容については、以下の資料に詳しいので、ご覧ください。

「高校生の潜在的ニーズを顕在化させる学校図書館での交流相談‐普通科課題集中校における実践的フィールドワーク」鈴木晶子・松田ユリ子・石井正宏(東京大学大学院教育学研究科、生涯学習基盤経営研究、第38号、2013年度)
有給職業体験プログラム「バイターン」実施プロジェクト

 ぴっかり図書館の印象を一言で表わすとすれば、「目を見張る」図書館といえばいいでしょうか。外側の壁面は写真やポスターなどで埋め尽くされていて、入り口の扉は鮮やかな黄色で塗りつぶされています。館内に入ると、本も資料も、すべてのものが誰かの目に触れることを意識して、そこにあります。見わたすと、奥の書架群から、いくつもの馬鹿でかい楕円形の分類表示板が競い合うように呼びかけてきます。引き寄せられていった私の目に真っ先に飛び込んできたのは、『焚書World of Wonder』(鴻池朋子・著、羽鳥書店、2011)でした。まったく知らない、初めて見る本です。(家に帰ってから兵庫県内の公共図書館と大学図書館を横断検索してみたのですが、蔵書件数はゼロでした。)好きなタイプの本ではないのですが、その強烈なタイトルと表紙に描かれたエネルギッシュな素描に惹かれて頁をめくってみると、書物のもつ生命力が迫力のある画とことばで表現されていて、すっかり圧倒されました。
 一息ついて近くの壁に目をやると、太宰治の写真に目がとまりました。近づいてみると小さな文字で作品の引用が添えてあります。
「いったい、あの音はなんでしょう。虚無などと簡単に片づけられそうもないんです。あのトカトントンの幻聴は、虚無をさえ打ちこわしてしまうのです。(太宰治『トカトントン』より)」
 「トカトントン、トカトントン・・・」、太宰の脳裏に響いていた音が、私の頭に響きはじめました。気がつくと、それが、いつのまにか古川豪の唄に変わっています。「トカトントン、トカトントン・・・」。太宰治を悩ましつづけたのは敗戦から間もない頃に聞いた金槌の音でしたが、日本の高度経済成長期が終わろうとしていた1970年代のはじめに古川豪の脳裏によみがえってきたのは、自分が生まれ育った京都の町にかつて響いていた西陣織の機の音でした。ふたつの「トカトントン」が、いつのまにか私の頭のなかでつながっていたのです。

トカトントン/古川豪 (YouTube)

 そのとき、もう、私はただの見学者ではなくなっていました。
 我に返って目を落とすと、太宰の写真の下にも数冊の大型本が展示してあります。そのなかに『SLAM DUNK TEN DAYS AFTER』(井上雄彦・著、フラワー、2009)がありました。2004年12月に旧神奈川県立三崎高校で行われた「スラムダンク一億冊感謝記念・ファイナルイベント」で井上雄彦が黒板に描いた漫画の写真集です。三崎高校は、その年の4月に別の学校と再編統合し、すでに移転していて、残された校舎は、いまもイベントなどに使われているそうです。私は、写真集の頁をゆっくりとめくりながら、井上雄彦の黒板画そのものよりも、それらが描かれている黒板や教室の佇まいに、さまざまな想いをめぐらせていました。すると、ふたたび、さっきのトカトントンが聞こえてきます。
 私の想像が暴走しはじめたようです。日々ここにやってくる田奈高生たちも、きっと、いろんなものに目をとめて想像をふくらませ、暴走しているのかもしれませんね。

 ぴっかり図書館で私が目にしたものは、まるで私の目に触れるために、そこに存在していたかのようです。あるいは、自分が潜在的に求めていたものに出会ったというべきかもしれません。やってくる者を一瞬のうちに引き込んで、これまで思いもしなかったような意味作用のスイッチを入れる。そこは、まさに、創造的な活動を起動させる、アフォーダンスに満ちた知能環境だといえます。だからこそ、ぴっかりカフェがうまく機能しているのではないか。そう思いながら私は、松田さんがスライドを使ってカフェの様子を話してくださるのを聞いていました。
 松田さんの話を受けて、論文の共同執筆者でもあるNPO法人パノラマの石井正宏さんが、田奈高図書館でカフェの運営をはじめた経緯と思いを話してくださいました。飾り気のない率直な語り口で紡ぎだされる石井さんのことばは、豊かな経験と深い思索に裏打ちされてよく吟味されていて、聞き入ってしまいました。
 週一回開かれるぴっかりカフェを待ち望んでいる生徒がいるといいます。先生方や校長先生もこられるそうです。それぞれ自分が必要としている何かを求めてカフェにやってくるのでしょう。話し相手や相談相手であったり、無償で提供されるお茶やお菓子であったり、ふだんは心の底にかくれていて気づかない「何か」であったりするのかもしれませんが、それがどんなものであっても、一人ひとりにとっては、なくてはならないものにちがいありません。ぴっかり図書館のぴっかりカフェは、それに応えて、利用者にとって自分が必要としている何かを見つけたり、手に入れたりできる場所として田奈高になくてはならない存在になっているようです。
 学校図書館とNPOとのコラボレーションといっても、実際には、それぞれの活動を担う生身の人間同士のコミュニケーションによって成り立っています。そこでは、両者の思いや価値観はもとより、身体感覚や感受性、他者との関わり方など、さまざまな要因が複雑に絡み合って日々の実践を生みだしているはずです。実際に田奈高の図書館に身をおいて、松田さんや石井さんをはじめ、何らかのかたちで関わった人たちがそれぞれの息づかいやリズムをともなった自らの声で語ることばを聞いていると、論文からはくみ取れなかった実践の背景が多少なりとも感じ取れたように思います。
 ぴっかりカフェが機能するには、ぴっかり図書館がなくてはならなかったはずだし、ぴっかり図書館が存在するには、田奈高という土壌がなくてはならなかったのではないか。その田奈高の文化は、生徒と教職員の日々の活動によって生み出されています。それらが互いに影響し合って安心と信頼に包まれた場所が生まれ、課題集中校とされる田奈高で厳しい現実を抱えた高校生一人ひとりを支え、元気づけている。そうした関係の中でとらえると、ぴっかり図書館やぴっかりカフェの活動が果たしている役割がよく見えてきます。カフェやコラボレーションといったかたちの向こうに私たちが学ぶべき大切なものがあるようです。
 この日は、前日に私のブログを読んで勉強会のことを知った前校長の中田正敏先生も来てくださっていて、学校づくりのお話をうかがうことができました。

 最後に石井正宏さんが、田奈高生のために自ら作られた「進め!!田奈高生」を唄ってくださいました。(動画はフェイスブックに投稿されているものです)

 実りある学びの機会をつくってくださった石井さん、松田さん、中田先生、そして参加してくださった皆さんにあらためて感謝いたします。

 

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