ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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同志社大学LCのインパクト(大学ラーニング・コモンズから考える「場所としての学校図書館」報告1)

2014年06月13日 | 知のアフォーダンス

 

 今日から数回に分けて、6月8日に椙山女学園大学で開かれた「場所としての学校図書館」勉強会を、私なりの視点から報告させていただきます。この日のテーマは「大学ラーニング・コモンズから考える『場所としての学校図書館』」。まずは今回の勉強会が開かれた経緯から。

 発端は、勉強会に関わるメンバーのうち4人が5月20日に同志社大学のラーニング・コモンズを訪問して強いインパクトを受けたことにある。同志社大学の今出川キャンパスに2012年10月に竣工した「良心館」の2階と3階にラーニング・コモンズ(以下LC)がオープンしたのは翌年の2013年4月であった。2階は交流と相互啓発のための「クリエイティブ・コモンズ」、3階はアカデミックスキル育成のための「リサーチ・コモンズ」とされ、合わせて約2,550㎡、図書館を併設しないLCとしては現時点で日本最大の面積を占める。
良心館 ラーニング・コモンズ
案内パンフレット

 同志社大学LCに一歩足を踏み入れると、まず日本最大といわれるその規模に圧倒された。ゾーンと呼ばれる多様な空間に分かれていて、各ゾーンの目的に合わせて技術の粋を集めた電子機器や様々な色彩とデザインの家具類が配置されている。何よりも利用している学生が多いことに驚く。どのゾーンも学生であふれ、何らかの活動を行っている。そのなかで埋没することなく、さまざまな立場と役割を担って働くサポートスタッフの姿も際立っていた。このときの印象を、同行者の一人、というより私たちを見学に誘ってくださった卒業生でもある山本敬子さんは、その日のフェイスブックに以下のように書き込んでおられる。

 到着後間もなく講義と講義の合間の民族大移動光景を目にしました。ノートPCはロッカー形式で学生証を利用しての自動貸出なのですが、ちょうど入れ替わりのタイミングで渋滞していたこともあり、スタッフが貸出・返却のサポートをしていました。学習支援のためのさまざまな種類のスタッフが配置されています。フロアを行き来して館内全体を目配りしていると思しきスタッフの姿を目にしましたが、常に誰もが何かの手助けをしている様子。学生・院生アルバイトも面接などで優秀な人材のみを集めているようです。
 館内の学生数はかなり多く、個人ブースはほぼ満席、グループ学習室も数室のみ空いているという状態。自習、PCを利用しての作業、打ち合わせなど、みな目的をもって何かをしています。ぼんやりしている学生がいません。見学に疲れて何の仕掛けもない普通の長いすにただ座っていると、周りからかなり浮いている自分を感じました。壮大なスケールの学習室です。
 ワークショップの1室でPCセミナーが開催されていましたが、防音効果がすばらしいのか、外に物音が全く漏れていません。オープンスペースでの催しがない時間だったので、イベントと他の一般利用がどう共存しているかを見られなかったのは残念でした。今度足を運ぶときはイベント時間を狙ってみることにします。
 卒業生としては、自分の学生時代と隔世の感があり、今の学生をちょっとうらやましく思いました。

 そこは、さまざまな刺激にさらされる空間だった。わたしのような高齢者には刺激が強すぎて、神経が高ぶり、ほんの1,2時間、そこにいただけで疲れてしまったが、エネルギッシュな若い学生たちにとっては活動意欲をそそられる適度な刺激なのだろう。さまざまな刺激にさらされている方が、かえって落ち着けるということもあるだろう。
 山本さんはどうだったのだろう?

<ちょっと想像 私の学生時代にLCがあったら…>
 国文学専攻なので図書館で本を借りるはず。LCはその設立目的からざわめきのある場なので、本を読む場所も図書館のまま。文献を読みながらじっくり考えるのも図書館の方が向いているようなので、私のレポート作成場所は…図書館? LCはグループ学習や発表の打ち合わせのときに限定して使いそうです。
 ふだんの利用比率(想定) 図書館:LC=8:2
 情報活用セミナーなどは図書館司書を目指していたのできっと参加、コモンカフェのようなイベントは今なら喜んで参加するでしょうが、当時は敬遠したかもしれません。

  このようなLCがこれからの学校のひとつの姿を示唆しているとすれば、わたしたちは、それをどう受け止めるべきなのだろう。無為にその日の到来を待っているわけにはいかない。山本さんは、以下のように締めくくっておられる。

 どの大学・学校も同じ悩みを抱えているのでしょうが、新しく多様な学習形態をハード面で保障することは目に見えて分かりやすく、それはそれで意味のあることかもしれません。しかし、知のあり方や学びを問い直す土壌をつくり、学内で共有するにはかなり時間がかかるだろうな、と改めて感じました。

 見学を終えた4人は近くのホテルのロビーで、それぞれが受けたインパクトの断片をさまざまな角度から語り合い、数時間かけてオーバーヒートした頭脳をクールダウンさせ、この日の記憶が薄れないうちに振りかえる機会を設けることを約束して別れた。その時点で4人の都合がつけることができたのが6月8日だった。同行したメンバーのひとり天野由貴さんが、自身が勤務する椙山女学園大学でLCの設置に関わり、この4月にオープンさせる原動力となっていたことから、名古屋に場所を移して椙山女学園大学LCで開催しようということになった

 ということで、つぎは同志社大学LCといろんな意味で対照的な椙山女学園大学LCから、図書館とLCのかかわり、図書館職員の教育へのかかわりについて考えたことを報告します。

 

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