ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

社会を正気に保つ学びとは? powered by masaharu's own brand of life style!

COVID-19パンデミックが 私たちに問いかけるもの LIBRARIANS’ FORUM 2020のご案内

2020年05月17日 | 知のアフォーダンス

 

 

 行動範囲の縮小、活動の中止・延期・・・自粛生活が続く中でストレスをため込んでおられないでしょうか。

 仕事の仕方や生活様式の変化による混乱とあせり、先が見えない、確かなことが見えないことによる不安の増大にイライラを募らせてはおられないでしょうか。

 こういうときは、自分が置かれている状況を受けとめ、気持ちに余裕をもって生きることが大事ですね。

 そこで、下記の要領で LIBRARIANS’ FORUM 2020 (online)を開催する運びになりました。主として学校図書館とかかわっておられる皆さんと一緒に、いつもとは違った視点で自分たちの置かれている状況を見つめなおしてみようという試みです。図書館の利用者など、日ごろから図書館に関心を持っておられる一般の皆さんのエントリーも歓迎です。リモート会議に慣れているかいないか、うまく発表できるかどうかといったことにこだわらずに楽しみましょう。
 たとえば、読み聞かせや詩の朗読、歌や楽器の演奏、ご自身の絵などをコメントやメッセージを添えてご披露していただけませんか。
 
 
テーマ「COVID-19パンデミックが 私たちに問いかけるもの」
 
 COVID-19パンデミックによって自粛生活を余儀なくされ、これまでの私たちの生活習慣や社会と文化のありようが問いなおされようとしています。そんな状況の中で、私たちがそれぞれに置かれている場で感じていることや考えていること、伝えたいメッセージなどを共有する機会を設けたいと思います。表現の仕方・伝え方は自由です。単なる報告や発表ではなく、語り、朗読、詩、絵画、音楽、身体表現といった、さまざまな形でその人なりの思いを伝え、受けとめ、お互いを触発しあえるような楽しいコミュニケーションの場になればいいと考えています。

 前編と後編に分けて、以下の2日で実施いたします。

前編 2020年5月23日(土)13:30-15:30

後編 2020年5月30日(土)13:30-15:30

 プログラムは決まり次第、公開いたします。

呼びかけ人  足立 正治 中村百合子

 
 つきましては、発表していただける方(約10名)を募集しています。また、一般参加の方も事前の申し込みが必要です。下記のページからお申し込みください。
 
《お知らせいただきたい内容》
  1. お名前

  2. ご連絡先(メールアドレス)

  3. 発表タイトル

  4. 発表形態と要旨(100字以内)

  5. ご希望の長さ(20分以内で設定可能)

  6. 発表希望日

     

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司書教諭の役割と養成のあり方を問う!(学校図書館自主講座2月のご案内)

2018年02月18日 | 知のアフォーダンス

  

 重ねてのご案内で恐縮ですが、2月25日に神戸で「司書教諭の役割と養成を考える」というテーマで公開の学校図書館自主講座をおこないます。

 学校図書館自主講座では、発足当初より「探究的な学びと学校図書館の活用」をテーマにして勉強会を重ねてきました。学校図書館を活用した探究的な学びを教科や「総合的な学習の時間」のカリキュラムにどのように位置付けて、どのような指導を行うか。学校図書館の整備はいうまでもなく、学校司書など専門職の配置もふくめた学校の教育体制をどのように確立していくか。教職員間の連携や同僚性の構築と協働、教師の力量を高めるための研修や授業研究の在り方といった課題もあります。
 今回は、司書教諭の役割に着目し、「主体的・対話的で深い学び」という視点から学校図書館を活用する探究学習を提案し、推進していくにあたっての課題や、大学等における司書教諭養成のあり方についても考えます。
 子どもたちが「感動、達成感、生きた学び」といった実感をともなって人間的に成長していく「本物の学び」(authentic learning)を促すために学校図書館がどのようにかかわるのか。現職の先生方をはじめ、管理職、教育行政に関わる方、研究職の皆さんなど、何らかの形で学校図書館に関わっておられる皆さんを交えて話し合いたいと思います。お誘いあわせの上、ご参加いただければ幸いです。

日時:2月25日(日)13:30-16:30

場所兵庫県民会館7階 会議室「ぼたん」

   JR元町駅から北(山側)へ徒歩7分

内容:探究学習の実践と司書教諭の養成に関わってこられたお二人の発表を聞いて、司書教諭の役割と養成について話し合います。

・「教科における探究学習の取り組みー兼任司書教諭の役割―」梶木尚美(大阪教育大学附属池田高等学校教諭)

・「今後の司書教諭養成は何を目指すのか」平井むつみ(滋賀文教短期大学教授)

参加費:500円(会場費+資料費)

申込方法: 件名を「2月公開自主講座申込」として、氏名、所属、連絡先を明記の上、下記にメールで申し込んでください。

   holisticslinfo#gmail.com(#を@になおして送信してください)

 

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学校図書館自主講座のお知らせ 2月と3月の予定

2018年01月26日 | 知のアフォーダンス

  

 昨年末に引き続いて、以下の通り2月と3月と引き続いて学校図書館自主講座を開きます。関心をおもちの方はどなたでも、事前にお申し込みの上、ご参加ください。(以下の情報は、関心をおもちの個人やグループに自由に転送、転載してくださって結構です)

2月の自主講座「司書教諭の役割と養成を考える」

日時:2月25日(日)13:30-16:30

場所:兵庫県民会館7階 会議室「ぼたん」 JR元町駅から北(山側)へ徒歩7分

http://hyogo-arts.or.jp/arts/kenminmap.htm

内容:探究学習の実践と司書教諭の養成に関わってこられたお二人の発表を聞いて、司書教諭の役割と養成について話し合います。

「教科における探究学習の取り組みー兼任司書教諭の役割―」梶木尚美(大阪教育大学附属池田高等学校教諭)

今後の司書教諭養成は何を目指すのか」平井むつみ(滋賀文教短期大学教授)

3月の自主講座「ジョン・デューイをどう読み、どう活かすか」(ジョン・デューイ読書会報告)

日時:3月18日(日)13:20―16:30

場所:神戸市勤労会館4階 会議室409 JR三ノ宮駅から東へ徒歩5分

https://www.kobe-kinrou.jp/shisetsu/kinroukaikan/index.html#h2435

内容:学校図書館に関わるメンバーが2015年から京都の町屋に集まってジョン・デューイの著作を読み合っている読書会の報告をします。これまでに読んできた『学校と社会』『経験と教育』『思考の方法』『民主主義と教育』、さらに昨年翻訳刊行されたばかりの『デューイ・スクール―シカゴ大学実験学校:1896年~1903年』などをめぐって、それぞれのメンバーがジョン・デューイをどう読んだかを語り、現代のわが国の教育課題にどのような示唆を得ることができるかを話し合います。読書会は、ひきつづき4月以降も『民主主義と教育』の下巻と『経験としての芸術』を読み進める予定です。

☆ 参加費は、いずれも500円(会場費を分担)です。

☆ 参加申込は、参加を希望される日と、氏名、所属、連絡先を明記の上、下記にメールで申し込んでください。holisticslinfo#gmail.com(#を@になおして送信してください)

デューイ・スクール―シカゴ大学実験学校:1896年~1903年
 
あいり出版

 

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久しぶりに「学校図書館自主講座」を開きます。

2017年11月02日 | 知のアフォーダンス

 

久しぶりに「学校図書館自主講座」を開く。昨年の4月17日(日)以来、一年八か月ぶり、奇しくも日にちも曜日も同じ12月17日(日)。これからの活動の在り方を示唆する、ひとつのマイルストーンとなる予感もする。今回は、慶應義塾普通部の司書教諭、庭井史絵さんをお招きして、現職の専任司書教諭として勤務しながら博士課程で学び、学位を取得されたご自身の経験をふりかえっていただき、ご研究の一端も披露していただく。後半は、庭井さんのお話しをふまえて、学校図書館専門職が研究を行うことや、情報リテラシー教育を担うことについて、その意義と困難などについても語り合いたい。関心のある方は、ぜひ、ご参加ください。

学校図書館自主講座in神戸

日時:12月17日(日)13:30-16:30

場所兵庫県私学会館 303号室(JR元町駅東口から徒歩2分)

内容

1.報告“司書教諭としての立ち位置を確認するための「研究」-博士課程の7年間をふりかえって-”(仮題)……庭井史絵(慶應義塾普通部)

2.意見交換(庭井さんのお話を受けて、参加者同士が語り合います)

会費:2,000円(会場費、お茶とお菓子など必要経費の実費)

申込:参加を希望される方は、氏名(ふりがな)、所属、連絡先(電話・メールアドレスなど)を記入の上、メールで事前にお申し込みください。

holisticslinfo#gmail.com(#を@になおして送信してください)

「学校図書館自主講座」は、なんらかの形で学校図書館に関わる人たちによる不定期の勉強会である。組織やきまりもなく、面白いテーマや報告者がみつかったときに、その都度、身近なメディアを通して関心をもってくれそうな人に参加を呼びかけてきた。1995年ごろから、さまざまな形でつづけてきた勉強会を、仲間内だけでなく広く呼びかけるようになったのは、たしか、2002年8月に行われた「学校図書館ジャムセッション」からのことではないだろうか。2010年からは「学校図書館自主講座」という名称でつづけているが、それと並行して、この数年間は8名ほどの有志でジョン・デューイの著作を読み合っている。この読書会を通じて参加者それぞれがなにを学び、なにを考えたか、そんなことについても、近いうちに自主講座を開いて、広く共有することも考えている。ご期待ください。

 

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学校図書館における「情報メディアの活用」を考える(第4回「司書教諭資格付与科目」実践共有シンポジウムのご案内)

2016年09月13日 | 知のアフォーダンス

 

 学校図書館の管理、運営、活動を担う司書教諭の資格を付与(取得)するために、教員免許状の取得に加えて必要とされる5科目について、その教育実践(教育内容と方法)を検討するために3月から続けてきたシンポジウムを、この9月からは会場を立教大学から大阪教育大学に移して下記の要領で行います。とくに関西方面で司書教諭資格付与科目を担当しておられる先生方、現職の司書教諭や学校司書、広く学校図書館に関心をお持ちのみなさんにご参加いただければ幸いです。

「司書教諭資格付与科目」実践共有シンポジウム

第4回:「情報メディアの活用」

 日時:9月24日(土)13:15-16:00

 報告:中島幸子、森田英嗣、今井福司

 場所大阪教育大学天王寺キャンパス 西館第9講義室

 懇親会:17:30より、PIZZA&GRILL フィアマ ロッサ(JR大阪駅前、ヒルトンプラザイーストB2)、会費5000円

*シンポジウムへの参加申込や参加費は必要ありません。ただし、懇親会に参加される方は事前に下記までメールでご連絡ください。人数に限りがありますので先着順とさせていただきます。ご了承ください。

holisticslinfo#gmail.com (送信される際には#を@に置き換えてください)

 「情報メディア」とは何でしょうか? 私のような素人は、すぐにパソコンやDVD、そのソフトウェア、コンテンツといった電子メディアを思い浮かべてしまいます。最近はインターネットを活用したデータベースやソーシャルメディアなど、その範囲はどんどん広がっているようです。学校図書館における「情報メディアの活用」とは、印刷メディアが中心だった従来の学校図書館に情報機器や電子メディアを補助的、付加的に導入して、図書館機能の拡大と強化をはかろうということでしょうか。しかし、学校図書館の経営に関わり、勉強していくうちに、必ずしもそうではないらしいことが分かってきました。
 2002年に刊行された古賀節子先生監修の「司書教諭テキストシリーズ」(樹村房)では、5冊のシリーズのそれぞれの見返し部分に「司書教諭テキストシリーズカリキュラム構成」という5科目相互の関連図が掲載されています。そこには、「学校図書館メディアの構成」と「情報メディアの活用」が、情報資源と情報利用との関係として示されています。つまり、学校図書館メディアを情報メディアとして活用し、それを基盤にして、学習活動と読書活動が(相互に影響を与えながら)展開されるという図になっているのです。朝比奈大作先生が執筆されたシリーズ04『読書と豊かな人間性』の序文には、以下のように記述しておられます。

(「読書と豊かな人間性」で学ぶ)子どもの読書活動とその指導のあり方とは、子どもの学習活動とその指導に関わる「学習指導と学校図書館」と有機的に関連づけて学ぶ必要があるし、この両科目は、学校図書館資源の収集・整理・保管に関わる「学校図書館メディアの構成」、ならびにその利用・提供にかかわる「情報メディアの活用」の両科目において学習される知識と技能との基礎の上に立つものでなければならない。(下線は足立)

 つまり、学校図書館メディアの「情報の記録、伝達、保管」という機能に着目して、その活用法を学ぶのが「情報メディアの活用」という科目なのでしょう。紙の図書も電子メディアも、その他、生徒の作品や実物、模型、手作りの情報ファイルも、アナログ、デジタルを問わず、あらゆる媒体が「情報メディア」として活用できます。読書や学習のために多様な情報メディアを活用する。子どもたちは、そのために必要な基本的な力である情報リテラシーやメディアリテラシーを身につけていくでしょう。それは学校における情報教育の一翼を担うことにもなります。
 こうして、学校図書館は「図書の館」から脱却して「メディアセンター」へと大きく変わろうとしています。多様なメディアを介した多様なコミュニケーションが、多様な経験の交流を促し、新たな経験を創造する。学校図書館メディアセンターは、学校の情報基盤として、情報教育の要として、これまでの学校教育の在り方に対して問い直しを迫る存在となるでしょう。私は、そんな可能性をもつ場所として学校図書館をとらえたいと思います。そんなメディアセンターとしての学校図書館活動の基軸となる「情報メディアの活用」は司書教諭課程においてどのように展開されるのでしょうか。皆さんの発表と議論に期待したいと思います。


 11月の最終回も大阪教育大学(天王寺キャンパス)で下記のとおり開催する予定です。

第5回:「学習指導と学校図書館」と全5回のまとめ

 日時:11月20日(日)13:15-17:00

 報告:足立正治、家城清美、中村百合子

 振り返り:山本敬子

 場所大阪教育大学天王寺キャンパス 中央館416教室 

 

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いよいよ今週の土曜日です! 「読書と豊かな人間性」(第3回「司書教諭資格付与科目」授業実践共有シンポジウム)

2016年07月27日 | 知のアフォーダンス

 

 自分の生活習慣で、Eテレの「日曜美術館」は夜の再放送を見るようにしている。一週遅れだが、24日の特集は花森安治さんの表紙画だった。花森安治といえば、戦後初の総合生活雑誌「暮らしの手帖」の編集長として知られた人である。(日曜美術館「“暮し”にかけた情熱 花森安治30年間の表紙画」現在、NHKがテレビ小説「とと姉ちゃん」を放映中であることから、作中の花山伊佐次のモデルになっている花森さんが取り上げられたのだろう。「とと姉ちゃん」を見ていないぼくには、日常の意識からすっかり排除されていた名前だが、番組で紹介される表紙画のどれもが見覚えがある。実際には、すべてを正確に覚えているはずはないのだが、なぜか、各号を目にし、手に取り、ページをめくったことがあるというリアルな手ごたえをもった感覚としてよみがえってくるから不思議だ。表紙に引きずられて、さまざまな記事の内容も思い出される。各種の商品テストや食べ物や料理のことなど、暮らしにかかわる新しい知識を得たのもこの雑誌からだった。沢村貞子、湯来貞一、藤城清治・・・といった、連載記事の寄稿者の名前も次々に脳裏に浮かんでくる。番組のテーマは「原画に秘めたメッセージとは?」だが、編集作業のほとんどを独りでこなしていた花森安治さんがこの雑誌に込めた暗黙のメッセージが、いつのまにか自分の血肉の一部になっていることに気づく。ぼくの生活のさまざまな局面において、隔月ごとに新しくなって我が家の片隅に置かれていたこの雑誌が、ぼくの人生を少しは豊かにしてくれただろうか。

 日々の暮らしの中で出会う本や雑誌が私たちの人生をどれだけ豊かにするか、いちがいには言えないし、様々な条件を限定しないと、たしかなことは分からない。だけど、これまで自分が生きてきた記憶をたどってみると、ある時、ある場面で出会った書物が多かれ少なかれ自分に与えたインパクトを与えた経験の一つや二つは誰しも思い出すことができるだろう。そう考えると、家庭はもちろんだが、子どもたちが一日の大半を過ごす学校においても、教科書や参考書以外に、友だちがもってきたり学級文庫や図書室で本に出合うことの意味を考えてみることは大切なことだろう。

 「読書と豊かな人間性」というタイトルには、個人的に違和感があるが、押しつけがましくなく、本との出会いを促し、読書意欲を喚起し、リテラシーを高めるには、どのような配慮が必要かを、これから司書教諭資格を取ろうとする学生や現職の教員に考えてもらうにはどのようにすればいいか。司書教諭課程でこの科目を担当してこられた皆さんのお考えや実践をお聞きするのが楽しみである。

「司書教諭資格付与科目」の授業実践を共有する連続シンポジウム

第3回:「読書と豊かな人間性」

 日時:7月30日(土)13:15-16:00

 発表予定:朝比奈大作、野口久美子、平井むつみ

 場所:立教大学池袋キャンパス(7201教室)

(申し込みも参加費用も必要ありません。時間と関心があれば、どなたでも、お立ち寄りください)

 併せて、この機会に、かつてこのブログでも取りあげたことがある、学校図書館や出版・流通をめぐる社会的な課題についても、いまいちど、思いを巡らせてみたいものである。

「学校図書館というのはそれ自体背理的な存在なのです」(内田樹さん)

読書という場の不自由さや制約に意識的になるために(11月27日の和田敦彦さんのお話しをめぐって)

 この連続シンポジウムは、次回から、開催場所を立教大学から大阪教育大学(天王寺キャンパス)に移して下記の科目を取りあげます。(第5回については、当初、お知らせしたのとは開催日程が変更されていますので、ご注意ください)

第4回:「情報メディアの活用」

 日時:9月24日(土)13:15-16:00

 発表予定:中島幸子、森田英嗣、今井福司

 場所:大阪教育大学天王寺キャンパス 西館第9講義室

第5回:「学習指導と学校図書館」

 日時:11月20日(日)13:15-17:30(終了後、懇親会)

 発表予定:足立正治、家城清美、中村百合子

 場所:大阪教育大学天王寺キャンパス 中央館416教室 

 

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【学校図書館自主講座】「いま、わたしたちが考えるべき課題」のご案内

2016年03月17日 | 知のアフォーダンス

 

神戸で2010年からつづけている「学校図書館自主講座」の今年度第一回を下記のとおり開きます。関心のある方は、下記までメールでお問い合わせください。
holisticslinfo#gmail.com(#を@に置き換えて送信してください)

日時:4月17日(日)午後1時~4時30分

場所:神戸市勤労会館(三宮)講習室404

参加費:会場費と資料費の実費を参加者で分担します(300円~500円程度)

内容:

(報告1)「たゆまぬ進展、フランスの学校図書館」講師:須永和之國學院大學教授(3月5日、日仏会館)

(報告2)「司書教諭資格付与科目」授業実践共有連続シンポジウム 第1回「学校経営と学校図書館」(3月6日、立教大学)

(その他の報告と話し合い)「いま、(学校図書館に関わる)わたしたちが考えるべき課題」
学校図書館ばかりでなく、いま学校が抱えるさまざまな課題にまで広げて、今年度の自主講座で重点的にとりあげたいテーマについて話し合います。

参考までに、これまで学校図書館自主講座が取り組んできたテーマは下記のとおりです。

2010年‐2013年「現代の教育課題に応える学校図書館
(2012年-2013年は、並行してフィンランドOulu市の実践を分析した「学校文化を変える学校図書館」を読みました)

2014年度「場所としての学校図書館

2015年度「探究的な学びと学校図書館の活用

【ジョン・デューイ読書会】

自主講座と並行して、有志による読書会をおこなっています。次回は下記のとおりです。

日時:5月22日(日)午後1時~4時30分

場所:京都の町屋

内容:ジョン・デューイ『思考の方法』(原著のタイトル”How We Think”)を読む

詳細は上記の自主講座と同じアドレスにメールでお問い合わせください。


今回の自主講座に関連して、ご参考までに山本敬子さんの了承を得て、以下に2016年3月5日付けフェイスブックへの投稿を転載させていただきます。

「たゆまぬ進展、フランスの学校図書館」講演会(主催:日仏図書館情報学会、後援:学校図書館自主講座)

本日は恵比寿の日仏会館へお出かけ。
フランスでの研究留学から帰国された須永和之氏のお話をうかがってきました。
フランスでは幼~小学校にBCD、中高にCDIが設置されており、CDIには専門職としてドキュマンタリスト教員が配置されています。学校図書館に常駐し、一人で学校図書館の運営すべてを担います(パリのごく一部でアシスタントがいるそうですが)。教科の授業を単独で教えたり、担任はもつことはありません。ドキュマンタリスト教員は実務担当者であると同時に、校務分掌上の学校図書館の責任者でもあります。
フランスでは教員はすべて修士以上の学位が必要で、ドキュマンタリスト教員も同様に大学院での2年の養成課程を経る必要があります。さらに全国一斉の採用試験を受験し、合格して初めて現場に専門職として配置されることになります。
総合学習、情報教育、職能団体など、フランス学校図書館界のさまざまなお話を伺いましたが、体制がころころ変わるので、理解が追いつきません…。会場から、制度変更に伴うギャップ(養成、現職などさまざま)をどうすべきか、という質問が出ましたが、制度変更時や過渡期に必ず生じる問題ですね。日本でもどうすればいいんでしょうね~。
昨夏に日仏会館でお話ししてくださったドキュマンタリスト教員のローゼン・ブリオさんも参加され、懇親会ではさまざまな質問に答えてくださいました。私は他の教員からの職務内容の認知度についておたずねしたのですが、やはり1校に1人というのが基本なので、いつも何をしているかは文書にしないとなかなか伝わらない向きもあるそうです。生徒たちや同僚である教職員に対して日ごろしていることから判断してくれたらいいのですが、その現場や成果をきちんと見て評価できる人が校内にあまりいないのも現状です。
専門職制度が確立したからといって、そこがゴールではないということは、前回の日仏会館でのブリオさんのお話、2年前の熊本でのアメリカのバーバラ・ストリプリングさんのお話をうかがって感じていたことではあります。職務内容があまり理解されていないという意味では、日本での悩みも共通です。ただ、日本では実質上、専門職制度がない、という大きな違いがあります。
さてさて、日本で学校図書館の専門職が養成され、各校に必置とされるまで、あとどれぐらいかかるのでしょう?
明日は立教大学での『「司書教諭資格付与科目」の授業実践を共有する連続シンポジウム』第1回に参加します。日本では学校図書館を専門とする研究者つまり大学で責任をもって養成にあたる人間が致命的に少ない、という問題を打開するヒントが得られるとうれしいです。

 

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「司書教諭資格付与科目」の授業実践を共有する連続シンポジウム、第1回は3月6日(日)です

2016年02月10日 | 知のアフォーダンス

 

 先にお知らせしたとおり、この3月から、司書教諭資格付与のための必修科目として司書教諭講習規程に定められる5科目について、毎回一科目を取りあげて教育実践を共有する会を始めます。以下、第1回目のご案内と第2回以降の予定を記しておきますので、関心のある方はご自由においでください。赤字部分を加筆・訂正しましたので、ご注意ください。2016.7.19)

主催:立教大学司書課程
問い合わせ:中村yurikon#rikkyo.ac.jp
(#を@に変えてメールを送信してください)

「司書教諭資格付与科目」の授業実践を共有する連続シンポジウム

第1回「学校経営と学校図書館」(終了しました)

 日時:3月6日(日)13:20-16:00

 場所:立教大学池袋キャンパス 5209教室 (5号館2階、キャンパスマップの右上)

 プログラム:

 ・導入「司書教諭養成の戦後史」(中村百合子)

 ・パネルセッション

 「学校経営と学校図書館」の教育実践をめぐって(足立正治、中村百合子)

 ・フロアとのディスカッション

 第2回以降に取りあげる科目と日時、発表予定者は下記のとおりです。

第2回:「学校図書館メディアの構成」(終了しました)

 日時:5月29日(日)13:15-16:00

 発表予定:青山比呂乃、中山美由紀、吉田右子

 場所:立教大学池袋キャンパス(1104教室)

第3回:「読書と豊かな人間性」

 日時:7月30日(土)13:15-16:00

 発表予定:朝比奈大作、野口久美子、平井むつみ

 場所:立教大学池袋キャンパス(7201教室)

第4回:「情報メディアの活用」

 日時:9月24日(土)13:15-16:00

 発表予定:中島幸子、森田英嗣、今井福司

 場所:大阪教育大学天王寺キャンパス 西館第9講義室

第5回:「学習指導と学校図書館」

 日時:11月20日()13:15-17:30(終了後、懇親会)

 発表予定:足立正治、家城清美、中村百合子

 場所:大阪教育大学天王寺キャンパス 中央館416教室 


趣旨:
 学校図書館司書教諭の養成は、学校図書館法第5条および司書教諭講習規程に定められており、戦後をとおして、「講習」という形で行なわれてきた。各地の大学で司書教諭資格付与の課程が置かれたが、資格付与は、所定の科目を修めた学生について講習実施大学に届け出ることで行なわれている。日本図書館協会図書館学部会が2003年度について調査した際には、司書教諭資格取得者は14,668名で、大学での取得者が7,862名、短大が312名、通信教育が432名、司書教諭講習が7,062名であった(日本図書館協会図書館学教育部会編『日本の図書館情報学教育2005』同協会, 2008.)。また、司書教諭講習の受講生の過半数は現職教員ではないかと、教授経験者の実感からは推測されている。このように、全国のさまざまな機関で、教員免許状の取得が前提となっているという以外の背景も多様である受講生に対して、ひとつの司書教諭資格を付与するために、どのような教育実践が行なわれているのか、これまで十分な情報共有と教育内容の共通化、質向上の努力がされてこなかったのではないかという反省のもとに、このシンポジウムを企画した。

 

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(予告)「司書教諭資格付与科目」の授業実践を共有する連続シンポジウムをはじめます。

2016年01月15日 | 知のアフォーダンス

 

 下記のとおり、司書教諭資格付与のための必修科目として司書教諭講習規程に定められる5科目について、毎回、1科目を取りあげて、教育実践を共有する会を始める計画を立教大学の中村百合子さんと立案中です。具体的な日程と教室、プログラムの詳細などがきまりましたら、各方面に告知するとともに、このブログでもお知らせしますので、関心のある方は心づもりをしておいてくだされば、ありがたいです。

主催: 立教大学司書課程

場所: 立教大学池袋キャンパス

時期: 2016年3月から隔月開催、全5回(土曜日か日曜日の午後)
     初回は3月6日(日)の午後(13:10-16:00)を予定しています。

参加: 関心のある方はご自由においでください。事前申込は不要です。

科目配当: 下記の順にとりあげます。

  第1回:「学校経営と学校図書館」(3月)
  
第2回:「学校図書館メディアの構成」(5月)
  
第3回:「読書と豊かな人間性」(7月)
  
第4回:「情報メディアの活用」(9月)
  
第5回:「学習指導と学校図書館」(11月)

進め方: 毎回2名または3名のパネリストが各自の授業実践を共有してお互いに話し合った  のち、フロアをふくめて全体で話し合います。毎回2時間程度を見込んでいますが、初回と最終回は、導入とまとめのために長めの時間を設定します。

趣旨: 学校図書館司書教諭の養成は、学校図書館法第5条および司書教諭講習規程に定められており、戦後をとおして、「講習」という形で行なわれてきた。各地の大学で司書教諭資格付与の課程が置かれたが、資格付与は、所定の科目を修めた学生について講習実施大学に届け出ることで行なわれている。日本図書館協会図書館学部会が2003年度について調査した際には、司書教諭資格取得者は14,668名で、大学での取得者が7,862名、短大が312名、通信教育が432名、司書教諭講習が7,062名であった(日本図書館協会図書館学教育部会編『日本の図書館情報学教育2005』同協会, 2008.)。また、司書教諭講習の受講生の過半数は現職教員ではないかと、教授経験者の実感からは推測されている。このように、全国のさまざまな機関で、教員免許状の取得が前提となっているという以外の背景も多様である受講生に対して、ひとつの司書教諭資格を付与するために、どのような教育実践が行なわれているのか、これまで十分な情報共有と教育内容の共通化、質向上の努力がされてこなかったのではないかという反省のもとに、このシンポジウムを企画した。

*なお、この計画については、中村百合子さんのブログもご参照ください。

 

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学校図書館と一般意味論:年頭に去来する想い

2016年01月05日 | 知のアフォーダンス

 

「この国はどこへ向かっていくのか? 不安な気持ちにかられる戦後70年の年を越しました」

 1970年代に共に一般意味論への道を歩みはじめた友人から届いた年賀状の書き出しである。昨今の政治的情況ばかりでなく社会のあまりにも性急な変わりように、自分もまったく同じ気持ちで新年を迎えた。それは国際社会に目を転じても変わらない。この世界は、そして人類は、いったいどこへ向かっていくのだろう?
 彼女はつづける。「そのような時を経つつも、いのちの大いなるうねりは、人間の思惑をはるかに越えたところで継続していきます。虚しさに呑み込まれず、ささやかな日々の営みに思いを込め、いとおしみながら今年も過ごすことができるよう、祈るばかりです」
 そう、「虚しさに呑み込まれず、ささやかな日々の営みに思いを込め」て生きることが、狂気への暴走を抑制し、世の中を正気に保つ力となって「いのちの大いなるうねり」に合流することを信じたい。


 あらためまして

みなさん、明けまして、おめでとうございます。

冒頭に紹介した友人の年賀状に触発されて、今日は、2016年を迎えて去来する私の想いを綴ることにします。

 定年退職して早や10年がすぎようとしている。大学を卒業すると同時に高校の教員となり、昨年7月に大学の授業を終えるまで、50年以上も教職をつづけてきた。仕事を辞めた当初は寂しさもあったが、ひとつ肩の荷を下ろせたことが爽快でもあった。そして、多少なりともゆとりをもって日々の営みのひとつにとつに思いを込めることができるようになった。好きな本を読み、自分で三度の食事の支度をし、気ままに出歩き、音楽や美術、落語などを楽しむ機会も多くなった。人と会うことも少なくない。若い友人たちと勉強会や読書会もつづけている。だが、最近、一抹の不安がつのりはじめた。このままの生活をつづけていていいのだろうか。何か肝心のものが足りない。
 ふと思いついて、5年前に中村百合子さんたちが、ぼくのライフヒストリーを聞いて、つくってくださった一冊の本を取り出してきた。『Here Comes Everybody-足立正治の個人史を通して考える教育的人間関係と学校図書館の可能性』(自費出版)。長ったらしいが、私の人生の節目となった2010年のトークセッションに込めた想いをタイトルにした。あのとき、自分の歩んできた道を振り返って考えたことは、その後の生き方をどのように方向づけたのか。それを再確認することで、いま感じている「もの足りなさ」を払拭する手がかりがつかめるかもしれない。そんな想いでページをめくっていると、土居陽子さんが寄稿してくださった「図書館~ひろば~コミュニケーション~一般意味論」という文章が目にとまった。確固たる信念や目的があるわけでもなく、その時々を気まぐれに生きてきた私の人生を象徴するような中途半端でとりとめのないエピソードのなかから、土居さんは4つのキーワードを抽出して、つなげてくださった。以下、その文章の一部を引用させていただく。(以下、ページ数はすべて上掲書)

-甲南の図書館自体が、学習の場であると同時に学校の中の「ひろば」として、心にゆとりを持って自分を取り戻す場、「何かいいことがありそうだ」と期待できる場になっているということはもちろん、あの会も、足立氏を中心にした様々な繋がりの人が集う「ひろば」であった。学校図書館にかかわっていても普段は違った研究の場を持っている人との交流、学校図書館とは直接関係のない人たちとの出会い、それらをとおして新しい刺激を受け、世界が広がった-(p.131)

 「ひろば」は、子どものために大人が用意してあげるものであるよりも、むしろ、わたしたち大人こそが必要としているのではないか。ゲストとして一般意味論のトークとワークをしてくださった片桐ユズルさんも、あの日のセッションをこう評してくださった。

-ひろばでよかったですよ。最近はひろばというものが減ってきました。特殊化、専門のコミュニティになってきています-(p.80)

 土居さんは、図書館が「ひろば」として機能した事例をいくつか挙げた上で・・・

-どの事例にもその陰に多くのコミュニケーションと資料や情報の提供があったことは想像に難くない。一人ひとりの一言を、その要求は言うまでもなく、言葉にならない思いまでをすくい上げる「人」が図書館にいたからこそ、図書館が「ひろば」になりえた-(p.133)

 そして、ご自身の経験を振り返って・・・

-コミュニケーションは大切だけれど、難しい。私自身、単に言葉と言葉のやり取りで終わったり、同じ言葉を用いながらお互いにイメージするものが違っていたり、本音で話し合えなかった苦い経験がある-(p.133)

 土居さんは、片桐ユズルさんのトークとワークをとおして、この日、はじめて触れた一般意味論を次のようにとらえておられる。

-私たちが認識できることは現実のごく一部であり、ことばで表現できることには限界がある。条件によって、立場によって、認識の違いがあり、それもまた全てをことばで表現することはできない。そしてことばで表現された認識をもとに新たな認識が生まれるという繰り返しが行われているわけで、常に表現されない現実が隠れていることを意識しなければならない-(p.133)

 科学認識論(エピステモロジー)を日々の営みに活かして正気で生きる道を探るために開発された一般意味論の体系を身につけることによってコミュニケーションとクリティカルシンキング(批判的思考)の力を育むことは、あらゆる人間活動の基盤となるだろう。

 土居さんの文章は、つぎのように結ばれる。

-一般意味論を意識することがコミュニケーションを円滑にし、図書館を「ひろば」として発展させる大きな力になると思う‐(p.133)

 「図書館」を軸にして学校教育を支えてこられた土居さんと、「一般意味論」をよりどころにさまざまな活動をおこなってきた私は、「ひろば」と「コミュニケーション」というキーワードを介してつながっている。そう考えると、学校図書館の人たちとともに学校教育の在り方を問い直していくことと、一般意味論のさらなる可能性を拓いていくことは、現職を退いたこれからも私に課せられたライフワークあるいは使命といえるかもしれない。それは、老いてもなお自分を拡張し、人として成長をつづけるいのちの営みでもある。
 まずは土居さんのメッセージに励まされて、目前の学校図書館自主講座とジョン・デューイの読書会に仲間とともに力を注ぐことにしよう。そして、一般意味論については、2007年のブログに「近いうちに論じる」と書いたままになっている、サミュエル・ボア(Samuel Bois “The Art of Awareness”)の認識論的プロフィール(p.180)の第5段階「参加」について、そろそろ自分の考えをまとめる時期にきている。
 個人主義的な生活サイクルに埋没しかけていた私の前に、世代を超えた協同探究への参加の道が開かれている。

つながりを活かす学校図書館

 

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中村百合子編『学校経営と学校図書館』(樹村房、2015.12)を読む

2015年12月16日 | 知のアフォーダンス

 

 ほぼ20年来の知り合いである中村百合子さんが「学校経営と学校図書館」のテキストを出版されたというので、さっそく読ませていただきました。

学校経営と学校図書館 (司書教諭テキストシリーズII)
クリエーター情報なし
樹村房

 以下に私なりにとらえた本書の際立った特徴のいくつかを紹介させていただきます。

入念につくりこまれたテキストである

 全体の構成、章の配置はもちろんだが、章の間のつながりや、前後の記述の関連性にも配慮が行き届いている。各章の最初には、前章で学んだこととこの章で学んでほしいことつなぐ簡潔な導入がついており、本文では、ただ概念や事柄を記述するだけでなく、それらをとらえる視点や考え方、他の事項との関連にも言及されている。それによって、概念や事柄の相互の関連が読者(=学習者)の内面に波紋のように広がり、複雑な関係性の全体像を把握しやすくなるだろう。

 章をまたいでの相互参照とくりかえしが多いにもかかわらず、それを冗長と感じさせないのは、テキストの語り口によるのだろう。学習事項の羅列によって必要事項を一方向的に伝達するのではなく、理論や事実、観点を様々な角度から繰り返し丁寧に説明した上で、そこから先は読者(=学習者)が自分で考え、議論することを促す。

 本書は、編集者があらかじめ教えたい項目を提示し、複数の執筆陣が章ごとに分担して、それぞれの項目の解説記事を書くというスタイルをとっていない。図書館情報学と教育哲学という専門分野の異なる二人の研究者によって執筆されている。全体の編集と学校図書館に関わる部分の執筆は、もちろん図書館情報学の中村さんが担当しておられるが、これからの学校図書館の存在理由を支える基本的な理論や考え方、すなわち21世紀における知と学び、学校教育とメディア環境を展望する部分は教育哲学者である河野哲也氏に委ねられている。河野氏が担当された第2章から第4章までの記述は、本書の全体にわたって様々な形で参照され、具体的な形でつながって全体としての理解を深めるように仕組まれている。このような連携が、まったく違和感がなく行われ、一貫したメッセージを読み取ることができるのは、お二人が同じ大学の教員として日頃から対話をとおして育んでこられた同僚性が大きく作用しているのだろう。

 ちなみに私は、本書を読み終えた直後の12月1日に、その印象を伝えるために以下のようなツイートをした。
「これからの学校教育に欠かせない学校図書館と司書教諭の概念が学校図書館研究者と哲学者のコラボによって開かれた」

理論に重点を置いたテキストである

 上に述べたように、本書は、学校図書館に関する知識を一方向的に伝える講義のような記述ではなく、読者(=学習者)の立場に立ってていねいに語りかけ、思考(探究)と議論を促すように配慮されている。とはいえ、けっして分かりやすいテキストではない。

 第1章「司書教諭になるための学習」では、司書教諭課程と学習にあたっての心構えとともに、理論的な学習の重要性が説かれている。とはいえ、つづく第2章「福島第一原子力発電所事故後の世界と新しい知的社会」で提起されている新たな知のとらえ方、考え方の枠組みを理解することは、とくに初めて学ぶ学生たちにとって容易ではないだろう。自分たちが思い描いていた学校図書館の勉強と、あまりにもかけ離れていると感じて、学習を断念してしまう学生もいるかもしれない。私の独断であえて言えば、この段階で初学者がこの章を深く理解することは困難だし、その必要もないだろう。ただ、ここで提起されていることがらを、理解困難な問題として自分のうちに刻み込んでおけばいい。よく理解できない概念や考え方に出会ったら、それを保持したまま読み進み、何度も繰り返し参照しながら時間をかけて理解を深めていくことこそが大切なのである。場合によっては、卒業して何年も(何十年も)経ってから、どこかで何かのきっかけに、ふと、学生時代にどうしても理解できなかったことを思い出して考えてみることだってあるかもしれない。教育とか学びとは、そういう息の長いものである。大学の授業であれば、授業担当者は学びのガイド役として、まず第2章のはじめに学生の意識や理解に応じた丁寧な導入と励まし、そして学習過程における適切な介入を心がけておけばいい。

 難解だった第2章も、第3章「これからの学校教育とあるべき学びの形」、第4章「メディアと人間の循環」へと進むにしたがって少しずつ具体的にイメージしやすくなっていく。この二章では、これからの学校教育の在り方と変革の必要性、そのためのメディア環境、そして探究と教育をサポートする「知の自律的循環」の場としての図書館の概念が提示されている。こうした下準備を経てはじめて読者(=学習者)は、第5章「学校の中の図書館」で記述されている学校図書館の理念へと導かれる。

歴史的観点に力を入れていることも本書の際立った特徴である

 第6章と第7章の二章にわたってアメリカと日本の学校図書館史をていねいに論じていることも本書の大きな特徴である。第8章「日本の学校図書館の現状」を理解し、学校図書館が抱える矛盾や問題を克服して新たな制度と実践を切り開いていくためには、歴史的理解が不可欠であることはいうまでもない。第2章-第4章で提起された「知」と「学び」と「メディア」に関する知見と第6章-第7章で示された歴史的考察という二つの軸は、長期的な学校図書館を展望するためにきわめて重要である。

 大学で学ぶことは、かならずしも今すぐに役立つ実践的な知識や技能である必要はない。現在の制度や実践をなぞることでも、理想を追求することでもない。もっとも必要とされるのは、社会にでて実務についたときに実際に経験する様々な矛盾を乗り越えて、新たな実践モデルを創出し、実行するための素地を培っておくことであり、広い視野と深い洞察力によって世界を観察し、考え、学び、変わりつづける姿勢を身につけておくことだろう。

 つづく第9章「学校図書館の目的と機能」を経て、第10章と第11章では、第5章-第9章で学んだ学校図書館の原理、基本理念、歴史的背景、目的と使命を踏まえて、それを現実化するための「サービス」と「教育」という、学校図書館の活動とその意義を展望できる。

組織的なマネジメントへの着眼

 ここまで学んできて学校図書館の役割と使命を理解し、意欲をもって学校図書館に関わりたいという期待をもったかもしれない読者(=学習者)は、第12章「学校図書館の担当者」で、学校図書館の職員制度の複雑な背景と、充て職として「学校図書館の専門的職務」を掌ることが期待されている「司書教諭」が置かれている状況を知って、その意欲が萎えるかもしれない。職員制度を根本から再検討することが喫緊の課題である(p.156)ことは理解できても、これから司書教諭資格の取得を目指す学生にとっては、実際に学校に就職し、与えられた条件の下で、具体的にどのようにすれば司書教諭としての職務を全うしていく道が開かれるのかが喫緊の課題であろう。

 理想と現実の溝を埋めるカギになるのがマネジメントの力である。組織の目的を達成するために、現実を見据え、目的をもって、現状を改善していく力といってもいい。その意味で、第13章で「学校図書館のマネジメント」という視点を提起しておられることは意義がある。

 マネジメントは基本的にマーケティングとイノベーションの二つ要素で成り立っている。学校図書館にあてはめていえば、マーケティングとは、利用者(教師・児童生徒)を知ることである。それは、単に利用者のニーズにこたえて利用を増やすために行うのではない。利用者を知って、学校図書館の「サービス」と「教育」を利用者に適合させることで、学校図書館の理念と使命を実現するために行うのである。利用者を理解し、学校図書館の目的と使命を明確にして、利用者に働きかけ、そのフィードバックを受けて自らの行為の結果を省察し、新たな意思決定と実践を行う。このマネジメント・サイクルは、学校図書館の自己変革(イノベーション)のサイクルである。同時に、それは学校図書館担当者にとっての学びのサイクルでもある。組織を有機的に機能させることは、人を有機的に機能させることであり、それには日常的なコミュニケーション(対話)を基盤とした同僚性の構築とフィードバックによる学習回路が開かれていること(⇒安富歩著『ドラッカーと論語』)が必要であろう。

 第3章に「児童・生徒が民主的に参加できる機会をより増やすように学校環境を再構成する必要がある」(p.40)とあるが、そのためにこそ、全体主義的な組織の在り方を批判してマネジメントの理論を構築したドラッカーに学ぶことは多い。

場所としての学校図書館

 学校という組織の中で学校図書館を機能させるには、学校図書館の担当者ばかりでなく利用者も含めた人と施設・設備、様々なメディアやツールなどが相互作用的に機能し、発展していく学習環境を構築する必要がある。そのためには、第14章の「学校図書館の設計」は、図書館を新築する場合だけでなく、改装やレイアウトの変更にまで広げて適用し、第12章、第13章とも関連させて統合的に学習環境のデザインを考える必要があるだろう。

 ちなみに、お茶の水女子大学の半田智久氏が提唱する「知能環境論」は、このような観点に立って学習環境を考えるヒントになるのではないか、というのが私の考えである。(注)

理論的探究をおこなう実践者を育て、長期的な展望をもって学校教育と学校図書館の変革をめざす

 そして、いよいよ最終章、第15章の「学校図書館研究と学校図書館の発展」というタイトルにも、学校図書館の発展は理論的な探究をともなう実践をとおしてこそ可能になるという、本書の一貫したメッセージが込められている。社会変化にともなう新しい知のありように対応する学校教育の担い手としての学校図書館が長期的な展望をもって語られている点で、本書は、これからの司書教諭養成のためのテキストの在り方に一石を投じるものだといえる。

(注)

知能環境論―頭脳を超えて知の泉へ
クリエーター情報なし
NTT出版

 

構想力と想像力ー心理学的研究叙説
クリエーター情報なし
ひつじ書房

 

知のアフォーダンスに満ちた場所(大学ラーニング・コモンズから考える「場所としての学校図書館」報告3)

「ディープ」な課題に向き合う図書館とは(”「調べるのが好き」が七割の社会”に想う)

専門職に求められるコミュニケーション能力をめぐって

 

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学校図書館自主講座特別セミナーin神奈川のご案内

2015年12月14日 | 知のアフォーダンス

  

 神戸でつづけている学校図書館自主講座の特別セミナーを下記のとおり神奈川で開催します。

日時:2016年1月10日(日) 10:00-16:00(受付9:30~)

場所:神奈川学園中高図書館

テーマ:探究的な学びの指導に関わる教職員のコラボレーション

・探究的な学びの指導に関わる教科教諭と学校図書館専門職との協働の実践を振り返り、「コラボレーション」による指導の改善に向けた実践知を共有します。

プログラム:

1.事例発表

・神奈川学園中学校・高等学校

  テーマ:中学1年の1年間を通した探究学習の基礎をつくる3つの科目での実践
      ー教師と司書教諭のコラボレーションプロセスを中心にー

  発表者:佐藤道子(国語科教諭)、室田悠子(社会科教諭)、唐澤智之(司書教諭)

・聖ヨゼフ学園中学校・高等学校

  テーマ:高校2年生の2つの探究学習における学校司書と教師のコラボレーション
      プロセスー実施して見えて来た課題を踏まえて授業計画を練り直すー

  発表者:伊藤美紗子(司書)

・神奈川県立田奈高等学校

  テーマ:「学力下位校における「探究学習」の事例的研究―学習意欲に注目して―
      (松田ユリ子)に見る、教師と学校司書のコラボレーションの要素

  発表者:松田ユリ子(司書)

(昼食)

2.グループ討議

・協同のプロセスと課題

・コラボレーションを阻害する要因と打開策

(休憩)

3.ポスター発表

参加申込

 ご参加くださる方は、氏名、所属、連絡先(携帯電話orメール)を明記に上、下記にお申し込みください。(昼食のご案内は申し込みをされた方にご案内します)

 学校図書館自主講座事務局 holisticslinfo#gmail.com (#を@に変更して送信してください)

〈参考〉

教科教諭と学校図書館専門職との協同のかたち

協力:図書館の利用(資料と場所の提供)

調整:資料の選択と提供・スケジュール調整・利用指導・成果の発表と展示

コラボレーション:目標の設定と授業デザイン(逆向き設計)・指導(ティーム・ティーチング)・評価(ルーブリックの活用)

『インフォメーション・パワーが教育を変える! 学校図書館の再生から始まる学校改革』(アメリカ公教育ネットワーク&アメリカ・スクール・ライブラリアン協会、高陵社書店、2003)第4章参照

21世紀の学習者の基準 (アメリカ・スクール・ライブラリアン協会、2007)

・探究をおこない、批判的に考えて、知識を身につける(獲得する)

・結論を引き出し、情報にもとづいて意思決定を行い、新しい状況に知識を活かし、新たな知識を生み出す

・民主主義社会の一員として、知識を共有し、倫理的、生産的に参加する

・人格と美意識を育む 


その他の自主講座のご案内(新たに参加を希望される方は上記、学校図書館事務局までご連絡ください。

ジョン・デューイの著作を読み合う読書会

次回は12月20日(日)13:00-16:30に『経験と教育』(講談社学術文庫)を読みます。

会場はJR京都駅に近い町屋で行います。

第8回学校図書館自主講座

日時:1月31日(日)13:00~16:30

場所神戸市勤労会館407号室
   市営地下鉄・JR・阪急・阪神・ポートライナー各三宮駅から東へ徒歩5分

発表:(予定)
・「総合的な学習の時間」における生徒の「反省的注意」の喚起について-同志社女子中学校での実践事例をもとに(家城清美)
・学校図書館専門職の省察的実践(足立正治)

学校図書館自主講座は、2002年から各地でつづけてきた「学校図書館ジャムセッション」をはじめとする、さまざまなセミナーやワークショップを引き継ぎ、学校図書館担当教職員の定期的、継続的な学びの場を提供するために、神戸を拠点にして2010年から始めました。

初年度のテーマは「現代の教育課題と学校図書館

2015年度のテーマは下記のとおりです。

学校図書館で育む「本物の学び」(「探究的な学びと学校図書館の活用」)

 

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第5回学校図書館自主講座のお知らせ

2015年07月19日 | 知のアフォーダンス

 

下記のとおり第5回学校図書館自主講座を開催します。

日時:7月26日(日) 13:00~16:30

場所:神戸市勤労会館 307号室
     
市営地下鉄・JR・阪急・阪神・ポートライナー各三宮駅から東へ徒歩5分

プログラム:

1.探究(型学習)と学校図書館づくり

     小林聖心女子学院中学校・高等学校 司書教諭 山本敬子

「前任校、現任校ともに体系的な情報活用教育が展開され、どちらの学校でも学校図書館専門職として探究活動を支援してきました。今までどのような点に留意して学校図書館づくりを進めてきたか、大きく分けて3点からお話します。

①情報アクセスを保障する環境づくり

②探究活動への直接支援

③体系的な情報活用教育プログラムへの参画

私の話題提供の後に、皆さんと一人ひとりの生徒の関心に応じた活動と、学校全体でのカリキュラム展開の関連についてお話しできればと考えています」

2.アクティブラーニングにおける高大連携とは?-今、大学生が本当に知りたいこと-

     椙山女学園大学図書館司書 天野由貴

「26年3月に新しく創ったラーニングコモンズで開始した、正課における学修支援プログラムと、それを補完するために実施している個人向け学習支援プログラム「レポ探」の実施内容から、今後行われるアクティブラーニングの高大接続において、どのようなことが必要か、この1年半の実践の中から報告します」

3.報告「フランスにおける探究学習と学校図書館:現状と課題

    20日に東京で開催されるセミナー(学校図書館自主講座主催)の報告です。

4.9月以降の自主講座について

以上、はじめて参加される方は下記までご連絡ください。

学校図書館勉強会(神戸)事務局
holisticslinfo#gmail.com (#を@に変更して送信してください)

 

 

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フランスにおける探究学習と学校図書館:現状と課題(学校図書館自主講座特別セミナーのお知らせ)

2015年06月30日 | 知のアフォーダンス

 

 学校図書館勉強会(神戸)では、今年度のテーマを「探究的な学びと学校図書館の活用」に設定して学校図書館自主講座を展開していますが、このたび日仏図書館情報学会のご協力をいただいて、フランスからお二人のドキュマンタリスト教員(学校図書館担当教員)をお招きして下記のとおり東京でセミナーを開催する運びとなりました。
 開催要項は下記のとおりです。少人数の勉強会で会議室の利用可能人数が限られていますので、関心のある方はお早めにお申し込みください。


 セミナーのお知らせ

フランスにおける探究学習と学校図書館:現状と課題

日時

2015年7月20日(月・祝) 

   13時30分〜 受付

   13時50分〜16時30分

場所

日仏会館 会議室509

   〒150-0013 渋谷区恵比寿3-9-25 

講師

ローゼン・ブリオ(ドキュマンタリスト教員、サン= テグジュペリ中学校)

ジュリー・カラティ(ドキュマンタリスト教員、ルイ•ジラール職業高校)

通訳

青山 比呂乃(関西学院千里国際中等部・高等部 司書教諭)

 今春話題となったフランスのコレージュ(中学)教育改革により、2016年度から EPI(学際的実践教育)がコレージュで実施されることになり、学校図書館関係者の注目を集めています。
 セミナーでは、フランスから来日中の中学校と高校のドキュマンタリスト教員それぞれから現地の探究学習と学校図書館の最新の状況についてお話を伺い、その後参加者との自由なディスカッションを行います。

参加費

1,000円(当日受付にてお支払い下さい)

定員

20名(先着順)

お申し込みとお問い合わせ

お名前、ご所属、ご連絡先、懇親会(17時~)のご出欠の有無を明記の上、下記までご連絡ください。

日仏図書館情報学会 mail: sfjbibdoc@yahoo.co.jp

主催

学校図書館自主講座 (呼びかけ人:足立正治/松田ユリ子)

後援

日仏図書館情報学会


 フランスの学校教育をめぐる歴史的・文化的背景は日本とはずいぶん異なってはいますが、その一方で、急速にグローバル化が進む現代社会にあって、従来の教育観や公教育の在り方が問いなおされ、学力低下や格差拡大といった共通の課題を抱えていることも事実です。
 いまフランスでは、来年度(2016)から実施されることになったコレージュ(中学)教育改革をめぐって、今、賛否さまざまな議論が起きています。コレージュとは、11歳から15歳(日本の学年でいえば6年生から中学3年生)までの生徒を対象とする前期中等教育を担う学校で、15歳から18歳の(日本の高校生にあたる)生徒を対象とする後期中等教育を担う学校はリセと呼びます。
 今回の改革で注目されている試みのひとつとつに、EPI (Enseignements Pratiques Interdisciplinaires)が積極的に導入されることになったことがあります。日本語に直訳すれば「学際的実践教育」となるEPIとはどんな教育なのか、それは学校図書館の教育活動とどのように関わるのか、今回のセミナーでは、コレージュとリセの現場で学校図書館を担当しておられるお二人のドキュマンタリスト教員をお招きして、フランスにおける探究学習と学校図書館の関わりについてご自身の実践などを語っていただきます。
 フランスで中学改革をめぐる議論が起こったのは今回が初めてではなく、これまでに何度か実施されてきましたが、いずれも中途半端に終わっていたという反省から、現在のナジャット・ウヴァロ=ベルカセム国民教育・高等教育・研究大臣があらたな改革を打ち出したといえます。
 そんな中学校改革と日本の「総合的な学習」にあたる「学際的な学習」「教科横断的な学習」の2000年あたりまでの経緯を簡潔にまとめた「フランスにおける“総合的な学習”に関する動向」(岩崎香代)『諸外国の「総合的学習」に関する研究』(国立教育政策研究所、平成13(2001)年3月)に掲載されていて、今回のセミナーの背景を知るうえで参考になります。
 私たちが企画したささやかなセミナーが、フランスの教育改革と学校図書館の実践をとおして、これからの我が国の学校教育と学校図書館のあり方を考える手がかりになれば幸いです。

 なお、フランスの学校制度と職業教育については下記のサイトが参考になります。

フランスの学校制度と職業教育

 また、今回のコレージュ(中学)教育改革をめぐる争点などについては、下記の記事があります。

[Ulala]【仏、中学教育改革で議論沸騰】~学力低下と格差拡大対策~

 

 

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数学者が描く世界と知(森田真生氏の「風景が育む情緒と学問」を読んで)

2015年02月22日 | 知のアフォーダンス

 

 山の線や色合いや、衣服の色彩、鳥の鳴く声、寺から漂う線香の匂い…こうした「風景」の細部には、時を超えた思想や記憶が刻まれています。人間は頭の中で思考するだけでなく、考えや思いは、外に形となって現れます。身体から外に溢(あふ)れた心が、「風景」を作り出していくのではないでしょうか。-森田真生「風景が育む情緒と学問」京都新聞2015年2月13日、ソフィア)

 環境の一部としての身体、身体の延長としての環境、環境と身体の関わりの中で生起する思考や感情・・・そんな主客の区別が判然としない世界と知のイメージが短いフレーズの中に凝縮されている。この文章が二十歳代の若い数学者の筆になるものであることに驚くばかりだ。
 筆者の森田真生さんは特定の研究機関に属さない在野の研究者で、とくに「日本が生んだ最大の数学者」と呼ばれる岡潔(1901~78年)の研究で知られ、数学に疎遠な私でも、その文章をいくつか読んだことがある。というか、私の表層の記憶から消えていた岡潔を近年になって私の中によみがえらせてくれたのが、森田さんだった。

 私が岡潔のことを知ったのは五十年近く前のことで、それも数冊のエッセイと新聞や週刊誌の記事をいくつか読んだにすぎない。

春宵十話(1963年)
 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫)
光文社
  紫の火花 (1964年)
 
朝日新聞社
  風蘭 (1964年) (講談社現代新書〈5〉)
 
講談社

『風蘭』(1964)の大部分は『情緒と創造』に採録されている。

情緒と創造(2002年)
 
講談社

昨年(2014年)は『春風夏雨』も復刻出版されている。

春風夏雨 (角川ソフィア文庫)
 
KADOKAWA/角川学芸出版

 当時の私は大学を卒業したばかりで、家の事情で大学院への進学をあきらめて高校教師になってはみたものの、研究者をめざす思いを断ち切れないまま教壇に立っていた。初任校は分校から独立したばかりの農業高校だった。生徒たちは、私の英語の授業では自信がなさそうだった。テキストを読ませても声はひ弱だし、動作もだらだらしていて、覇気が感じられなかった。同じ子どもたちが、いったん教室を出て農業や畜産の実習になると目を輝かせ、動作もきびきびとしていた。農業体験の発表会でも、しっかりとした声でハキハキと話した。彼らの大半は農家の子弟で、近代化と都市化を志向する農村社会にあって自然と分かちがたく結びついた暮らしを営む共同体のなかで育っていた。彼らが普通科の高校に行かずに農業高校を選んだのには、それなりの事情や思いがあったはずだが、私は彼らの胸の内にはまったく思いを馳せることなく、自分の指導力不足をなんとかしたいともがいていた。大学で学んだ言語学の研究をさらに深めて、言語習得の仕組みを解明し、外国語教育に生かしたい。時間があれば下宿にこもって本を読み、休日には学会や研究会にでかけていた。
 岡潔の本に出会ったのは、その頃だった。奈良で百姓をしながら研究生活を送っていた晩年の岡の素朴な生き方に触れて大きく心がゆらいだ。数学に関する業績の内容も意義もまったく理解できなかったが、岡のエッセイは西欧的合理主義の影響を受けた我が国のアカデミズムに批判的で、いのちの営みに根ざした生き方をとおして、知のありよう、教育と人間のありようを根源的に問うものだった。
 二年後に都市の進学校に転勤したが、その頃には、もう大学で研究生活を送りたいという願望はなくなっていた。たまたま声がかかった大学助手への誘いを断り、文部行政にしたがって昇進の道筋を辿る人生が見えはじめた公立高校の職も辞して、比較的自由な校風の私学で教員生活をつづけることを決めた。教職に就いて4年が過ぎていた。
 ごく最近まで岡潔のことはすっかり忘れていた。森田さんの文章を介して、ふたたび出会った岡のことばは、私の身体に刻まれた感覚をとおして、若い頃よりずっとリアルに理解できるようになっていた。想えば、あれから多少なりとも、合理的、分析的な思考と直感や情緒といった非論理的、感覚的思考との折り合いをつけて生きる道を求めてきたおかげかもしれない。
 あの頃、「週刊朝日」(1963年1月4日号)の巻頭グラビアに掲載された一枚の写真があった。路上でジャンプする老齢の岡と、つられて飛び上がろうとしている愛犬の姿が、なんともユーモラスだった。天真爛漫というか天衣無縫というか、無垢な心と鋭い洞察力をあわせもつ「世界的な数学者」岡潔の晩年を象徴する写真だ。それに引き替え、七十代半ばにして、いまだにせせこましい世界に閉じこもって些事を追い回している自分の姿に愕然とするばかりだ。

 

天上の歌―岡潔の生涯
(2003年)

 
新泉社

 森田真生さんの短い文章から岡が到達した思想の核心が次々と繰り出される。

数学は、自他対立した心ではなく、自他通い合う心でしなければならない・・・数学の中心にあるのは情緒である・・・「情緒」の基盤にあるのが「自他通い合う心」・・・全心身を挙げ、数学的対象と一つになって学ぶ・・・対象を自分から切り離して分析するのではなく、対象と心通わせ合って“習う”・・・
 そんな岡潔にとって数学は、命題の真偽を判定することである以上に、「わかった」という“心の喜び”を生み出すための行為だったのです。
(同上)

 「数学」を他の学問や思考対象に置き換えれば、人間の営みのすべてを語ることができるかもしれない。
 頭のなかで組み立てられた理論はわれわれの「情」の世界に受け入れられたときに、はじめて本当に理解される。

知識ばかりでは学問になりません。風景が情緒を育て、情緒がまた学問を育てていくのです。(同上)

 この森田さんのことばは、人間が学び育つ環境と知のありようを言い得ている。

 

コメント (4)
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HERE COMES EVERYBODY (HCE From Finnegans Wake by James Joyce)

いま、ここに生きているあなたと私は、これまでに生きたすべての人、いま生きているすべての人、これまでに起きたすべての事象、いま起きているすべての事象とつながっていることを忘れずにいたいと思います。そんな私が気まぐれに書き綴ったメッセージをお読みくださって、何かを感じたり、考えたり、行動してみようと思われたら、コメントを書いてくださるか、個人的にメッセージを送ってくだされば嬉しいです。

正気に生きる知恵

すべてがつながり、複雑に絡み合った世界(環境)にあって、できるだけ混乱を避け、問題状況を適切に打開し、思考の袋小路に迷い込まずに正気で生きていくためには、問題の背景や文脈に目を向け、新たな情報を取り入れながら、結果が及ぼす影響にも想像力を働かせて、考え、行動することが大切です。そのために私は、世界(環境)を認識し、価値判断をし、世界(環境)に働きかけるための拠り所(媒介)としている言葉や記号、感じたり考えたりしていることを「現地の位置関係を表す地図」にたとえて、次の3つの基本を忘れないように心がけています。 ・地図は現地ではない。 (言葉や記号やモデルはそれが表わそうとしている、そのものではない。私が感じたり考えたりしているのは世界そのものではない。私が見ている世界は私の心の内にあるものの反映ではないか。) ・地図は現地のすべてを表すわけではない。 (地図や記号やモデルでは表わされていないものがある。私が感じたり考えたりしていることから漏れ落ちているものがある。) ・地図の地図を作ることができる。 (言葉や記号やモデルについて、私が感じたり考えたりしていることについて考えたり語ったりできる。)