ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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あの日から20年がたち、神戸の街は鎮魂の祈りに包まれて静かな朝を迎えました。

2015年01月17日 | マミム・メモ

 

 私はいま、静かに思い返しています。

 震災に見舞われた前の日に、こんなことがありました。夕方の5時頃だったと思いますが、明石海峡の方からドーンという地響きのようなものを感じました。お腹に響く重低音でしたが、地震のような揺れは感じませんでした。海峡を行き交う大型船が衝突したにしては衝撃が大きすぎるので、もしかしたら当時建設中だった明石海峡大橋の支柱が倒れたか、ロープが切れて橋が落ちたのだろうか。そう思って家を出て海峡を見わたしてみたのですが、橋にも海上にも異常はないようでした。周りの人たちに尋ねても、地響きに気づいたという人は少なく、気づいていても、あまり気にとめていないようでした。あの地響きは何だったのか、いま思うと不思議です。日の暮れかけた淡路島の上空がどんよりとした茜色に染まっていたことも印象に残っています。

 翌日の朝、ものすごい衝撃を受けて目覚めた私は、一瞬、何が起こったのか、まったく理解できませんでした。引き続いて起こった余震で、はじめて地震だと分かったのですが、その規模の大きさを把握することなどできませんでした。震源地の北淡とは目と鼻の先にありながら、運よく自宅も近所の家も見た目には大した損害を受けていなかったので、ただ「大地震が起きた」くらいにしか考えていませんでした。(実際には我が家は、屋根瓦がずれたり柱がずれていたりしていて、後の検査で半壊の判定を受けました。)ラジオで公共交通機関が止まっていることを知って、ミニバイクで職場の様子を見に行こうと街にでたときに、はじめて、その異常さに気づきました。神戸の街は不気味な静寂に包まれていました。いつもなら忙しく行き交う人たちの姿はなく、車も電車もまったく見あたりません。道路は陥没し、家屋や樹木が倒れていて、おびただしい瓦礫の山が行く手をふさいでいました。山手から海岸まで、まるで巨大な迷路で出口を探すように行きつ戻りつしながらジグザグに進んでいくと、ところどころで火の手が上がっていました。自分ひとり取り残されたような荒廃した街の風景には、どこか既視感がありました。50年前、大阪大空襲から一夜明けた尼崎の街も、不気味なほど静まりかえっていました。幸いなことに私の身内には、これらの出来事が直接の原因で命を落としたり怪我をした者はいませんでしたが、多少とも自分と関わる人たちの身辺で起きた数々の為すすべもない事態を目の当たりにして途方にくれたり考え込んだりして、私の人生観や生き方も大きく左右されることになりました。

 私たち一人ひとりが戦争や災害で経験したことを語り継ぎ、学び継ぐことによって、命をつなぐ営みをつづけていくことが大切だと思います。私は、自分の人生に運命的な影響をあたえた、この二つの経験について、これまでに何度も語ってきました。私は、まもなく震災後10年目を迎えようとしていた2004年の年末にこのブログを始めたのですが、その翌日にも震災に関する簡単なコメントを記しています。

生きている限り(2004年12月29日)

以下、このブログに書いた震災に関連する記事をいくつか拾っておきます。

諸行無常、それは生きる力の源(2009年01月18日)

15年の経験をどう生かすか。阪神淡路大震災の節目の日に寄せて。(2010年01月17日)

相棒との別れ(2010年03月29日)

16回目の祈り(2011年01月17日)

自らの命を守る教育を!(阪神淡路大震災から17年目をむかえて)(2012年01月17日)

1月17日の朝につぶやく(2013年01月18日)

 先の戦争や阪神淡路大震災、そして東日本大震災や福島原発の事故などをとおして、私たちはさまざまなことを考え、学びました。その過程で私は、とくに「正気で生きるための学び」に関心をもつようになりました。危機的状況や混乱の渦中にあっても正気を失わずに生き抜くには、まず、私たちの身体が環境の異常や危険を直観的に察知して生存行動をとることができる「野性」を維持していることが大切です。そして、そんな「野生の身体」の活動をとおして豊かな想像力を開花させ、的確な状況把握にもとづいて柔軟な思考や判断ができる力を私たちは身につけていく必要がある。そんな思いを抱いて、2011年9月から12月にかけて行われた連続公開講座「情報を評価し、判断する力をいかに育むか」のお手伝いをさせていただき、そのまとめとして以下の文章を書きました。

「混沌を生きるリテラシー」(”St. Paul’s Librarian” pp.53-56 No.26 2011、立教大学 学校・社会教育講座司書課程)

 あの日から20年がたち、神戸の街は鎮魂の祈りに包まれて静かな朝を迎えました。昨夜は、神戸市中央区東遊園地内に設置されている「交流テント」に震災を経験した人たちと震災を知らない若者たちが集まり、行政やメディアに関わる人たちも加わって「阪神淡路大震災21年への決意」というテーマでディスカッションが行われていました。
『1月17日を過去を悲しむだけではなく、未来につなげていく日にしたい』
そんな思いを抱いて震災の経験を未来につなげる活動をつづけている人たちの輪が広がっているようです。

認定特定NPO法人阪神大震災1.17希望の灯り

ご参考までに、あの日の様子を伝える映像をいくつか紹介しておきます。
阪神・淡路大震災「1.17の記録」
【特集】阪神・淡路大震災 - 神戸新聞
1995 阪神・淡路大震災 - YouTube

【追記】

 災害時の図書館や情報に関する記事もいくつか書きました。

災害と図書館(2005年02月26日)

シンポジウム「災害復興に役立つ情報活動とは」(2005年03月19日)

ふたたび「災害復興に役立つ情報活動とは」(2011年03月19日)

災害と学校図書館(2011年03月25日)

公開連続講座「情報を評価し、判断する力をいかに育むか」に寄せて(2011年08月28日)

 以下は、震災を契機として私が取り組んだ学校図書館再生に関する記事です。

つながりを活かす学校図書館(震災復興を契機として学校図書館の再生をめざす)(2005年05月22日)

1.17 阪神淡路大震災を契機として学校図書館をどう再生したか(2006年01月17日)

 

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