ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

社会を正気に保つ学びとは? powered by masaharu's own brand of life style!

ありのままがいちばん。(心身一如の生き方を求めて)

2013年02月10日 | マミム・メモ

 

 月一回のペースで受けている整体操法の日、指導者の先生にお辞儀をして、うつぶせになる。先生は、わたしの背中に手を当てて、ササッと背骨を探る。
「最近、ご飯がおいしいですか?」
「ええ、それでつい食べ過ぎてしまいます」
「分かっていればいいでしょう」
 過食によって余計なものをからだにため込んで、さまざまな病気を引き起こす原因をつくっているのはわたしだ。食べ過ぎる原因はいろいろある。見た目や匂いをかいで美味しそうだと感じる。惰性や観念で食べる。からだが鈍っていて満腹感が得られないこともあるし、満たされない心を紛らわすために食べることもある。それを、からだが要求していると勘違いしている。目や頭ではなく、からだが美味しいと感じるから食べるようにしよう。それは健全な生命維持活動だが、この「美味しい」という快感と満足感を求めて、また過剰に食べてしまう。いやはや・・・
 「過食」は、現代人の病理をもっとも端的に言い表しているのではないか。過剰になるのは、食べる場合だけではない。やりすぎたり言い過ぎたりして後悔することがよくある。エネルギーが満ちて意欲があるから過剰な言動をしてしまうので、そのことを自覚できているなら大丈夫だ。欲求を「我慢」するのではない。生きる営みのなかでやってしまう過剰を過剰と認識していればよろしい。整体指導室で、先生がわたしのからだに触れて、そのメッセージを観察しながらおこなわれる上記のような少ない言葉のやりとりの意味を、わたしはそんなふうに広げて解釈する。そうすると頭の中にもやもやしたものが残らず、すっきりする。
 
整体指導と潜在意識教育を編み出した野口晴哉先生を知って講習を受け、整体生活を心がけるようになってから、ずいぶん年月が経つ。

 今月の4日の明け方早くのことだった。ふと目を覚まして、ラジオのスイッチを入れたら、NHKのラジオ深夜便の「心の時代明日へのことば」の途中で、話の脈絡はつかめなかったが、聞こえてきた声に思わず聞き入ってしまった。女性の声であったが、息の継ぎ方、間の取り方などが野口晴哉先生によく似ていた。インタビューアーが語りかける「天谷さん」という人の名前は初耳だったが、ときおり「野口先生」という名前が気になって、最後まで聞き続けた。番組の終わりに、声の主は天谷保子さんという整体指導者で、昨年、ご自身の人生を綴ったご本を出されたことを知った。驚いたことに『ぐりとぐら』などで有名な児童文学作家の中川李枝子さんが、かつて保母さんだったことは知っていたが、それが天谷さんの保育園だったという。
 さっそく『ありのままがいちばん。』(天谷保子著、WAVE出版、2012.11)を買って、一気に読んだ。

ありのままがいちばん。
クリエーター情報なし
WAVE出版

「第1章 いつだって明日を見ている」は、中川李恵子さんと保育園をやっておられた頃の話。
「第2章 からだを使いきって生きる」は、野口晴哉との出会い、整体の基本的な概念の紹介。
「第3章 でこぼこだけど一本道」は、天谷さんご自身の人生をみわたす。
単なる技術論やマニュアル的な手順の記述に陥らずに整体の神髄ともいえる基本的な考え方が、やさしいことばで分かりやすく語られている。すべてを説明しようとせず、あとは実際に指導を受けることを勧めておられるのもいい。読後は、腹の底からあたたかい感動に包まれた。野口先生亡き後は整体協会の講習会に出たことは一度もなかったわたしは、その後、これほど見事に整体の精神を語ったことばを聞いたこともなかったし、こんな本を読んだこともなかった。以下、脈絡なく、わたしの心に響いたことばを列挙しておく。

・子どもの興味には理由があります。けれども、それがなぜかなんて考えることはしません。子どもが無心でやっているときは、こころやからだが望むからそうしているのでしょう。
 
私たちは、子どもが言葉にできない衝動につき動かされているときは、きっと何がしかの力が育っていると信じて、少し離れて見守っていました。(p.43)

・子どもへの心配の多くは、お母さんの偏った見方がつくり出しているもの、または、あれもこれもすぐにできるようになってほしいという、お母さんの期待の反映。「できない」の裏側にできることがたくさんあるのですから大丈夫です。(p.45)

・整体では自然治癒力を大切にしていますから、からだの欲求を信じるようにと指導していますが、それはからだがある程度整っていることが前提での話です。(p.84)

・からだの成長も何かを習得するときも、決してなだらかなラインを描くわけではなく、階段状に上がっていく場合がほとんどなのです。(p.90)

・私は、風邪をひいた、熱が上がったといってすぐにクスリで症状を止めるのはあまり賛成しません。成長や上達に向かうからだの働きを無理に抑えることになるからです。(p.92)

・小手先で生きるのではなく、からだ全部を使って生ききりましょう。腰が決まると気持ちが安定して、不安も少なくなります。不安がなくなれば人生をもっともっと楽しめると思います。(p.96)

・悩みをおおらかに受け止める(p.97)

・自分ひとりでなんとかしようとせず、つらいことを話し合える人と会い、不調があれば整体に行くなどして、人の手をどんどん借りましょう。(p.104)

・だれにでも「甘えられる人」「甘えられる場所」が必要です。自分のつらい部分、弱い部分をさらけ出すだけで、からだもずいぶんよい方へ動きます。(p.111)

・周りの人たちが「からだに悪いからもっと食べなさい」と強いたところで、食べられるものではありません。正すべきことは食べることではなくて、背骨をゆるめること。もっと言うならば、「泣いていいのよ」とこころをゆるめてあげることです。(p.112)

・「からだの自然な現象を抑えない」(p.114)

・大人にはこらえる場面が多々ありますから、解放する相手、場所、方法をもって「上手に出す」ようにするといいでしょう。(p.114)

・(「活元運動」とは)からだの歪みや偏りを元に戻そうとする無意識の運動。(転んだときなどに咄嗟に手をつく、頭を抱えるなど)(p.115)

・私は(野口)先生の言葉通りにメモをとらずにぼんやり聴いていたので、全部覚えたという意識もなく、普段は忘れていることもたくさんあります。ところが、何十年も経った今でも、その知識が必要なときにパッと思い出されて、自分でも驚くことがあります。(p.121)

・(「一息四脈」について。一分間ずつ測って)具合が悪くていつもより息が早くなっていても、脈が比例してついていっていれば問題ありません。からだの治癒力が極端に弱まっている場合は、このバランスが崩れますので注意が必要です。(p.130)

・からだの不調とはそうして積み上げられたがれきの重なりのようなものです。がんなどの深刻な病気も突然かかるわけでなく、小さな疲れや偏りの積み重ねでなってしまうもの。整体とは、そうした重なりを一つひとつ上から取り除いていく作業です。(p.141)

・(「意欲の中断」とは)人は一心にやろうと思っていたことを強引に遮断されたときに、ショック状態に陥り、からだがかたまってしまいます。(p.141)

・大人であっても、言葉によって縛られることが多々あります。言葉はときとして呪縛となるということを、心のどこかに留めておきたいと思います。(p.143)

・(「健康」とは)病気=不健康ではなく、たとえ病気にかかっても健康な人ならば自分で治すことができます。私はその力がちゃんと働く状態を「健康」というのではないかと思うのです。そういう意味では、私はいつも自分のからだを信頼していますから、私にとっての健康法は「からだが望むことをする」という以外ないのです。(p.149)

・私は何かを見て、欲しいと思うことが少ないように思います。見たことがないもの、自分の中から生まれたものだけを描いているのです。だから、描いたものに出会えたとき、描いたことができる機会がきたときにパッとチャンスをつかめるし、心底満足できるのだと思います。(p.155)

・(「全生」という生き方を基本にして)社会の変化にも目を向けながら対応していくことが、真の意味で(野口先生の整体を)「受け継ぐ」ということなのあろうと思います。(p.159)

・痛みとは「生」の証し。生きる力があるから痛いのです。からだの痛みもこころの痛みもつらいものですが、そういうときこそ「自分にはまだ力がある」と思っていいのだと私は思います。(p.164)

・生と死は一つの線上にあるものです。(p.166)

・からだとこころを整えて「生きる質」を上げることが大切です。(p.168)

・(介護されている人は)ずっと介護をしていた人の体力の限界、事情の限界がきたときに、すっと逝ってしまうのです。(p.175)

・(「未練症状」とは)本人にその意識がなくても病気を利用してラクな方に流れてしまうことをいいます。(p.177)

・「どこかにきっと自由な世界がある」・・・たいした根拠があるわけでもなく、また「自由を勝ち取るぞ」というような闘争的な考えでもなく、空想に近いようなふんわりした思い・・・(p.178)

・ふと気がつくと自分の人生の大事な選択はすべて自分が決めるという、真の自由を得ていました。(p.179)

・自分の奥には想像できないほど大きな力をもった本来の自分がいるのですから、その自分を信じればいいのです。(p.180)

・ときとして不足は意欲となります。不足に不満や不安をもつとおかしなことになりますが、不足を不足として受け入れることができれば、あとは足りる方へがんばるのみです。(p.183)

・失敗してもいい。壊れてもいい。そこから芯の強さを培い、少しずつ心地よいものにしていくといい。それが人生の醍醐味です。(p.184)

・今の時代は自分の本質と違うところでがんばる場面が多いように思います。自分の喜びではなく、別なところに価値をおかねばならない環境が、からだによけいな偏りをもたらしているのです。(p.187)

・人生を良い方向へと導くためには、カンを育てることや出会いが大切。からだを整えることの重要性・・・これらは一見するとバラバラのように思われるかもしれませんが、実はすべて一つにつながっています。(p.189)

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ディープ」な課題に向き合... | トップ | 認識の原点としての「からだ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

マミム・メモ」カテゴリの最新記事