今日、長年愛用してきた原付バイクを廃車処分にした。この3月で教職を離れ、仕事に使っていたものが不要になったためだ。平成5年(1993年)に、ホンダAF27型に乗り始めてから17年になる。はじめのうちは家の近くで買い物などに使っていた。役割が一変したのは、1995年1月17日。阪神淡路大震災の起こった日だ。交通機関が遮断されていると聞いて、バイクで芦屋の勤務先に向かった。その先どのような事態になるか、考えてもみなかった。明石市と接する西舞子から神戸市を駆け抜け、東灘区を過ぎると芦屋市だ。陥没した道路、倒れた家屋や樹木、瓦礫の山や火の手が、いたるところで道をふさいでいた。進んでは引き返し、路地を抜け、山手に向かったかと思うと海岸まで下っていく。巨大な迷路で出口を探すようにジグザグに進む。朝7時ごろに家を出たのに職場に到着したのは昼前だった。
それから毎日、バイク通勤が始まった。復旧作業のために神戸市内を出入りする大型車が日に日に増え、長い渋滞のなか、ダンプカーの合間を縫って走った。公共交通機関が不通になっていたために入学試験が会場を分散して行われたときには、試験問題を最も早く確実に届けられる手段として、このバイクが威力を発揮した。道路の復旧が進むにつれて迂回が少なくなっていったが、それでも片道2時間以上かかった。
やがて交通機関が全面復旧したあともバイクは芦屋の駐輪場においた。徒歩で片道25分ほどかかる駅と山の上にある勤務校の間の坂道を、雨の日も、雪の日も、台風の日も、毎日このバイクで往復した。
その原付バイクが、今日でその役割を終えた。これまで、たびたび、ちょっとした修理などをお願いしていた芦屋駅の近くのバイク店に処分をお願いした。日頃、モノにたいしては、あまり思い入れをもたない私だが、いざ処分してもらおうという段になって、つねに私のそばにいて、さまざまな場面で私を支えてくれていたことに気がついた。そこで、私の人生の後半をともに過ごした相棒にたいする、ちょっとしたレクイエムの意味を込めて、この文章を記すことにした。
ところであのバイクには私もお世話になりました。市立図書館のBMステーションまで行くのに、先生のバイクをよくお借りしました。他人にバイクを貸すのを嫌がる方は多いのですが、先生はいつもすっと鍵を差し出して下さったことを思い出します。
私からもありがとうの気持ちをこめて。合掌。