こんばんわ。今日もいつもながら遅い時間になってしまった。
さて、今晩のネタはED77。いつもこうしたマイナーな機関車をアップするとアクセス数がグ~ンと落ちるんですよね。でも、今日のはまあまあ良いネタなんで、折角だからジックリ見ていってちょうだいな。
昭和57年3月21日 磐越西線 翁島~更科(信)間にて ED7712牽引 旧客普通列車
この頃はまだ50系が入線していませんでしたので、普通列車は全て旧型客車の編成でした。まだクルマの免許を誰も持っていなかったので、翁島~磐梯町間10kmを完全踏破しました。道無き道を線路沿いにひたすら。
3月とは言え会津性気候の地域ですから、まだ雪も残っていますね。ただ、この日は残念ながら冷たい雨が降りっぱなし。同行した3人で凍えながらひたすら歩きました。
途中、更科信号所では、見るに見かねた珍客に同情したか、熱いお茶をご馳走になりました。この時、既に臨時雇用員として国鉄の研修期間であり、実習を兼ねて大宮操車場で働いていました。こういうところでも職員であるだけで色々面倒見てもらえたんですよね。有難いことです。
昭和62年4月5日 磐越西線 翁島~更科(信)間にて ED7713牽引 50系普通列車
時は変わって国鉄が分割民営化されてわずか5日目。そう、国鉄をクビになって5日目なのに、既に撮影に出掛けていたんですね。新しい仕事もわけ分からず、そんな気楽では無かったと思うんですが・・・。
列車は既に50系化され、急行列車の削減により余剰となった455系が大挙として押し寄せ、客車の普通列車もたった2往復のみの設定となってしまいました。確か貨物列車も残ったのが1往復のみで、ED77も半数が廃車になっていたと思います。
昭和62年4月5日 磐越西線 翁島~更科(信)間にて ED7712牽引 12系臨時急行列車
サボが入っているので、臨時急行かと思われます。まだこの時代でも客車の臨急があったのですね。まだスキーがブームだった頃でもありますので、春休み期間中くらいまで臨時急行が設定されていたのかもしれません。
一世を風靡した冬のD51でも有名な撮影場所ですが、私はその前からこんなところまで行って写真を撮っていたのですね。
ED77はそれほど多くは撮っていないですが、東北地方の中では比較的手軽な場所だったので、交流機の走行写真としてはED75と同じくらい撮っているかもしれません。しかし、何故か12号機の縁が強く、やたら多いのが気になります。
残念なのは、私がここを訪れるようになった頃には試作機で外観も特徴のある901号機が既に廃車となっており、実物を見ることが出来なかったことですね。くやしいから、マイクロエースで製品化されたときには予約で買っちゃいました。
これで多分、ED77は最後のアップになるかと思います。過去ログも収録してありますので、『マル鉄アーカイブズ(機関車形式別さくいん)』から是非ご覧になってみてください。
さて、今晩のネタはED77。いつもこうしたマイナーな機関車をアップするとアクセス数がグ~ンと落ちるんですよね。でも、今日のはまあまあ良いネタなんで、折角だからジックリ見ていってちょうだいな。
昭和57年3月21日 磐越西線 翁島~更科(信)間にて ED7712牽引 旧客普通列車
この頃はまだ50系が入線していませんでしたので、普通列車は全て旧型客車の編成でした。まだクルマの免許を誰も持っていなかったので、翁島~磐梯町間10kmを完全踏破しました。道無き道を線路沿いにひたすら。
3月とは言え会津性気候の地域ですから、まだ雪も残っていますね。ただ、この日は残念ながら冷たい雨が降りっぱなし。同行した3人で凍えながらひたすら歩きました。
途中、更科信号所では、見るに見かねた珍客に同情したか、熱いお茶をご馳走になりました。この時、既に臨時雇用員として国鉄の研修期間であり、実習を兼ねて大宮操車場で働いていました。こういうところでも職員であるだけで色々面倒見てもらえたんですよね。有難いことです。
昭和62年4月5日 磐越西線 翁島~更科(信)間にて ED7713牽引 50系普通列車
時は変わって国鉄が分割民営化されてわずか5日目。そう、国鉄をクビになって5日目なのに、既に撮影に出掛けていたんですね。新しい仕事もわけ分からず、そんな気楽では無かったと思うんですが・・・。
列車は既に50系化され、急行列車の削減により余剰となった455系が大挙として押し寄せ、客車の普通列車もたった2往復のみの設定となってしまいました。確か貨物列車も残ったのが1往復のみで、ED77も半数が廃車になっていたと思います。
昭和62年4月5日 磐越西線 翁島~更科(信)間にて ED7712牽引 12系臨時急行列車
サボが入っているので、臨時急行かと思われます。まだこの時代でも客車の臨急があったのですね。まだスキーがブームだった頃でもありますので、春休み期間中くらいまで臨時急行が設定されていたのかもしれません。
一世を風靡した冬のD51でも有名な撮影場所ですが、私はその前からこんなところまで行って写真を撮っていたのですね。
ED77はそれほど多くは撮っていないですが、東北地方の中では比較的手軽な場所だったので、交流機の走行写真としてはED75と同じくらい撮っているかもしれません。しかし、何故か12号機の縁が強く、やたら多いのが気になります。
残念なのは、私がここを訪れるようになった頃には試作機で外観も特徴のある901号機が既に廃車となっており、実物を見ることが出来なかったことですね。くやしいから、マイクロエースで製品化されたときには予約で買っちゃいました。
これで多分、ED77は最後のアップになるかと思います。過去ログも収録してありますので、『マル鉄アーカイブズ(機関車形式別さくいん)』から是非ご覧になってみてください。
901号機は、顔に手を加えずに扉を取り付けたので、片方の帯が非貫通型形状のままで面白い顔してたんですよ。実物見たかったな・・・。
ED77901、屋根が特徴あったので撮ってみたいと思っていたんですが概に改造されて一般型と変わらないという事で、行かなかった覚えがあります。
私も磐越西線のD51を撮っている年代では、勤務が終ってからその日のうちに現地へ直行なんてことは茶飯事的にやっていました。今は疲れると直ぐに眠くなったり、目がしばしはしてくるので、とても無理です。
昔は機関車の付け替えなどで時間が掛かり、寝台車が付いていても寝る時間があったのでしょうが、電車急行だと5時間くらいで行ってしまうので、とても熟睡できる距離じゃないですね。
ここら辺は49号から確か数キロ離れたところですよね。
仕事が変わったときとか私も10数年前は若かったし同じことしてました。
駆け出しだったんで今以上に神経を使ってたのでその転嫁で趣味に走ったんでしょう。
77の臨時はばんだいでしょうね。
47.3改正以前は夜行のばんだい6号が定期運転されていてスハネ16、スロ62も連結していたようです。
多分かつてのひばらがばんだいに統合されたんでしょう。
地味な77が臨時であっても12系急行を牽引している姿、魅力を感じます。