おはようございます。また昨夜は早くに寝てしまいました。ほんと、弱くなったな。
さて、久し振りのDD51ですが、今日は山陰本線のDD51をアップいたします。
よくよく考えてみると、山口線を除くと山陰本線の撮影というのはたった2回しか行ったことが無かったです。
その中で、ほんの数枚だけ山陰本線関係の写真が出てまいりましたのでアップいたします。
昭和55年8月 山陰本線 揖屋~荒島間にて DD511040牽引 旧客普通列車
昭和55年8月 山陰本線 揖屋~荒島間にて DD511120牽引 旧客普通列車
比較的遅くまで旧型客車使用の普通列車が残っていた山陰本線。かつては最長距離の普通列車もここを走っていました。
この頃既に50系客車も登場していますが、山陰本線では比較的12系改造の普通列車化が行われており、そのタイムラグでしょうか、旧型客車又は気動車の普通列車ばかりでした。
昭和55年8月 山陰本線 揖屋~荒島間にて DD511172牽引 特急「出雲2号」
2往復時代の特急「出雲」です。ヘッドマークの復活は昭和59年頃となりますので、ただ単にDD51が牽くブルトレ時代の姿です。やはり特急列車にはヘッドマークは不可欠で、このようなスタイルの列車を見ても味がありませんし、魅力に欠けます。
写真は14系を使用していた下り1号・上り2号の列車で、名古屋からは紀伊勝浦発着の「紀伊」を併結していました。急行「銀河1号」→特急「いなば」→「出雲1・2号」→「サンライズ出雲」の流れをくむ列車です。
山陰本線は、蒸気機関車からの無煙化達成はそれなりに早かったわけですが、DF50やDD54といった車両が間に入っていたため、DD51の配置はかなり遅かったようです。そんな流れもあり、山陰本線のDD51はどれを見ても1000番代以降の車両ばかりで、イマイチ面白みには欠けました。
それでも今こうして見ると、DD51型牽引の旧型客車の写真は北海道とこの山陰本線くらいのもので、その枚数も少ないことから、良き思い出、良き資料となっています。
さて、久し振りのDD51ですが、今日は山陰本線のDD51をアップいたします。
よくよく考えてみると、山口線を除くと山陰本線の撮影というのはたった2回しか行ったことが無かったです。
その中で、ほんの数枚だけ山陰本線関係の写真が出てまいりましたのでアップいたします。
昭和55年8月 山陰本線 揖屋~荒島間にて DD511040牽引 旧客普通列車
昭和55年8月 山陰本線 揖屋~荒島間にて DD511120牽引 旧客普通列車
比較的遅くまで旧型客車使用の普通列車が残っていた山陰本線。かつては最長距離の普通列車もここを走っていました。
この頃既に50系客車も登場していますが、山陰本線では比較的12系改造の普通列車化が行われており、そのタイムラグでしょうか、旧型客車又は気動車の普通列車ばかりでした。
昭和55年8月 山陰本線 揖屋~荒島間にて DD511172牽引 特急「出雲2号」
2往復時代の特急「出雲」です。ヘッドマークの復活は昭和59年頃となりますので、ただ単にDD51が牽くブルトレ時代の姿です。やはり特急列車にはヘッドマークは不可欠で、このようなスタイルの列車を見ても味がありませんし、魅力に欠けます。
写真は14系を使用していた下り1号・上り2号の列車で、名古屋からは紀伊勝浦発着の「紀伊」を併結していました。急行「銀河1号」→特急「いなば」→「出雲1・2号」→「サンライズ出雲」の流れをくむ列車です。
山陰本線は、蒸気機関車からの無煙化達成はそれなりに早かったわけですが、DF50やDD54といった車両が間に入っていたため、DD51の配置はかなり遅かったようです。そんな流れもあり、山陰本線のDD51はどれを見ても1000番代以降の車両ばかりで、イマイチ面白みには欠けました。
それでも今こうして見ると、DD51型牽引の旧型客車の写真は北海道とこの山陰本線くらいのもので、その枚数も少ないことから、良き思い出、良き資料となっています。
HMを付けてれば、何の列車かもわかるし、必ず撮っていたでしょうからね。
機関士もやはり張り合いが違うでしょうね。
本日のポチ!それと他のPCからもポチしてまっせ。
Fe4メンバー全員に~。
HM付きの出雲は撮りたかったですね。チャンスは多々あったのですが残念なことしました。
381のやくもも撮っときたいですが、それだけのために行くのもちょっとって感じです。撮ってますか?
ありがとうございます。パソコンと客車列車のPCを掛けちゃって・・・あ、違いましたか。
やはりヘッドマークは必需品ですね。「出雲」も廃止になるまでマーク付きだったのですが、結婚してから殆ど外に出なくなっていたので撮りに行く機会がありませんでした。
意外ですね。DD54とかDF50は撮っていなかったですか?
キハ181系「やくも」以来撮っていないんですよね。昭和59年頃に出雲市には行っているんですが、381系はシカトしてしまったようで写真がありません。特に非貫通型が好きではなかったようで。
キハ181系のイメージが強すぎるんですよね、私の脳内は。
オレンジの機関車にオレンジのヘッドマークだと保護色になっちゃうかな?
DF50がマークつきで牽いてたような…
茶と青の雑客+DD51、山陰線らしくていいですね。
「出雲」はDD54で有名でした。カッコ良かったですね。あの姿を図鑑で見たとき物凄く憧れたんですが、確か2年もなくDD51に変わってしまったと思いました。故障が多く、保守もやりづらかったみたいで、わずか13年ほどの活躍だったようです。ちなみに、編成は11号車までで、電源車込みで12両でした。有効長の関係で、九州ブルトレほどは長く連結できなかったようです。だから余計に寝台券が入手しづらかったんでしょうね。
DD54の出雲、1~2年の短い期間でしたね。その後優等列車はDF50とともに臨時だいせん、但馬ビーチとか臨急でそれもいつの間にかDD51に変わってしまった感じでした。DD54は個人的には1~3までのライトがオデコに付いたヤツが好きですね。
初めて1~3号機の写真を見たときはショックでしたね。こんなヤツが居たのかと。
DF50も昭和53年くらいまで居たらしいですね。私が初めて行ったのが昭和55年くらいですから、あと2年早ければ様々な車両が見れたのではないかと。でも、元々中学生ではそこまでは無理だったでしょう。
実物は交通科学館で見ましたが、やはり現役時代の列車を牽引しているところを撮りたかったです。
おかえりなさ~い。
ご無事で何よりでした。いいなぁ~、北海道。いつかは「カシオペア」に乗って行ってみたいです。
旧客は基本的に何に牽かれても似合いますよね。車種も雑多で何が連結されているかも楽しみで。10系を繋いだ時のバランスの悪さも非常に良かったです。
強いて言えば、DD13やEF81に牽かれている列車だけは違和感がありましたけど。
東北や北海道の旧客は今後順次アップいたしますのでお楽しみに!