こんばんわ。
クモルと言っても天気じゃございません。この辺ではしばらく晴れが続きそうです。
工場から電車区へと、パンタグラフやブレーキシューなど消耗品類を配達する荷物列車。荷台に屋根の無い、国鉄では唯一の形態を持つ電車。人呼んで「クル・クモル」。
行きでも「クル」とはこれ如何に・・・冷え込んできました。

昭和51年 京浜東北線 西川口~蕨間にて クモル23+クル29
毎度ながらこの昭和51年版はオートハーフなんでみんなブレちゃっているんですよね。
配給車は、独特なスタイルに正面の「○配」サボをつけて、軽快に走っておりました。
クモル23は、両側窓がHゴムで、ど真ん中窓は木枠のタイプのようです。

昭和53年年頃 京浜東北線 西川口~蕨間にて クモル23+クル29(再掲)
こちらも同じクモル23+クル29のコンビです。
こちらのクモル23は、3枚の窓が全てHゴム化されたタイプですね。
配給電車であるシンボルマークは、「○配」ではなく、「荷物電車」と同じスタイルの「配給電車」という横長タイプのサボを正面に取り付けています。

昭和52年頃 品川駅にて クモル24007+クル
品川で駅撮りをしているとき、ちょうど臨時ホームに入線してきました。普通の配給電車は、駅で出逢ったとしても通過してしまうため、ジックリと車両を見ることはできません。このときは、川崎方から入線してきて、田町電車区へ入るまでの間、停車していたんですよね。それで、無蓋部分の中身を見たくて、こんな写真を撮ったわけです。
しかし・・・肝心な顔を撮っていないなんて、太っ腹!この当時は、特に貴重とは思っていませんでしたからね。

昭和47年3月? 津田沼電車区? (lineさん提供)
電車区内で待機中のクル29+クモル24。
どの写真にも共通して言えますが、常磐線への乗り入れを考慮して、防護無線アンテナを立てているのが良く判りますね。
形式写真を撮るなら、やはりこれくらいの判りやすい大きさ、アングルで撮っておきたいですね。
ちなみに、モーター車で両運転台がクモル23。同じく片運転台がクモル24。制御車がクル29です。クル29には両運転台がありません。
アオリ戸の高さには2種類あるようで、特にクルに高さのある枠を設定した車両がいます。また、一部ではアオリ戸が設備されていなく、凸凹の無い車体の車両もいました。
いずれも17mの旧モハ30・31・34と言った戦前型の改造車でしたが、意外にその活躍は長く、山手線・京浜東北線がATC化される直前の昭和56年頃まで使用されていたんですよね。。
ATC化により運用効率が悪くなってしまうため、当時大量に淘汰されていた101系を改造、ATC化したクモル145+クル144に後を譲り、首都圏から全車引退することになりました。
クモルと言っても天気じゃございません。この辺ではしばらく晴れが続きそうです。
工場から電車区へと、パンタグラフやブレーキシューなど消耗品類を配達する荷物列車。荷台に屋根の無い、国鉄では唯一の形態を持つ電車。人呼んで「クル・クモル」。
行きでも「クル」とはこれ如何に・・・冷え込んできました。

昭和51年 京浜東北線 西川口~蕨間にて クモル23+クル29
毎度ながらこの昭和51年版はオートハーフなんでみんなブレちゃっているんですよね。
配給車は、独特なスタイルに正面の「○配」サボをつけて、軽快に走っておりました。
クモル23は、両側窓がHゴムで、ど真ん中窓は木枠のタイプのようです。

昭和53年年頃 京浜東北線 西川口~蕨間にて クモル23+クル29(再掲)
こちらも同じクモル23+クル29のコンビです。
こちらのクモル23は、3枚の窓が全てHゴム化されたタイプですね。
配給電車であるシンボルマークは、「○配」ではなく、「荷物電車」と同じスタイルの「配給電車」という横長タイプのサボを正面に取り付けています。

昭和52年頃 品川駅にて クモル24007+クル
品川で駅撮りをしているとき、ちょうど臨時ホームに入線してきました。普通の配給電車は、駅で出逢ったとしても通過してしまうため、ジックリと車両を見ることはできません。このときは、川崎方から入線してきて、田町電車区へ入るまでの間、停車していたんですよね。それで、無蓋部分の中身を見たくて、こんな写真を撮ったわけです。
しかし・・・肝心な顔を撮っていないなんて、太っ腹!この当時は、特に貴重とは思っていませんでしたからね。

昭和47年3月? 津田沼電車区? (lineさん提供)
電車区内で待機中のクル29+クモル24。
どの写真にも共通して言えますが、常磐線への乗り入れを考慮して、防護無線アンテナを立てているのが良く判りますね。
形式写真を撮るなら、やはりこれくらいの判りやすい大きさ、アングルで撮っておきたいですね。
ちなみに、モーター車で両運転台がクモル23。同じく片運転台がクモル24。制御車がクル29です。クル29には両運転台がありません。
アオリ戸の高さには2種類あるようで、特にクルに高さのある枠を設定した車両がいます。また、一部ではアオリ戸が設備されていなく、凸凹の無い車体の車両もいました。
いずれも17mの旧モハ30・31・34と言った戦前型の改造車でしたが、意外にその活躍は長く、山手線・京浜東北線がATC化される直前の昭和56年頃まで使用されていたんですよね。。
ATC化により運用効率が悪くなってしまうため、当時大量に淘汰されていた101系を改造、ATC化したクモル145+クル144に後を譲り、首都圏から全車引退することになりました。
大宮界隈において30年前までは、茶色い事業用車は写真の配給電車とクモニ13の荷物電車が唯一見られるケースでしたけど、営業用から消えてもこういうカタチで見れたことは嬉しい限りです。
また、日進にかつてあった関東鉄道学園のクモハ11482[昭和41年に中原で廃車後、翌42年に搬入され実習用などに使われたが、老朽化により61年に解体]も私が少し大きくなって遠出できるようになってから、よくそのソバを通って見にいったものでした。
今では鉄博に行けばクモハ40074が、青梅には同じく054がそして東京総合車管[大井]にも何両か保存されてるので、写真の車両[配給車は全て解体されてしまいましたが]と近縁の仲間たちが末永く後世に伝えて行きたいものですね。
それでは、本日はこの辺におきまして失礼いたします。
関東鉄道学園のクモハ11はリバーサルで写真を撮ってあったのですが、事件があって廃棄処分となってしまいました。もしかしたら1枚くらい生かしてあるかもしれないので、時間があるときに探してみます。
茶色の省電は運良く何台かが保存的に残されていますが、みんな両運のM車のみであり、クハや片運クモハが絶滅してしまったのは非常に残念ですね。「ル」という形式も絶滅寸前であり、茶色に関しては1両も保存されなかった現実と言うのは非常に悲しいですね。
片上鉄道保存会の駅長猫も「コトラ」って「トラ」からのネーミングだそうで、うちも次に飼う犬は、そういう方向の名前にしようかな(^^)
ただ模型的には普通のハコモノ組むよりカッチリと組まなきゃならないでしょうね。
あおり戸と運転席のあたりは特に。
曇るっていうのはちょっとかわいそうかな?
「トキ」とか「タキ」っていうのも普通に有りそうだし、「タム」とか「ワム」っていうのもカワイイと思いますよ。
そういえば、旧国鉄時代に見られた各種の事業用車、皆旧国電の姿をしていたように私も覚えています。
何だか懐かしい───久しぶりに彼らの姿を見たような気がします。
今、オープンスタイルの配給車は、聞くところでは、JR西日本の京都総合運転所に1編成2両(クモル145系)あるのみとの話ですが、いつまで保っててくれるのか、気がかりですね《オープンスタイルの事業用車といえば、他にJR東海のキヤ97系があるけれども、あれはレール運搬専用と聞きますし…》。
HOの制度だとどうだか分かりませんが、Nでいうとキット改造をした場合に屋根の切断部と妻板を接着して整形する必要が生じるんですよね。
そうすると、塗装するには接着後じゃないといけませんし、接着してしまうと窓ガラスが取り付けられなくなる。床板に接着しないとマスキングの際に車体強度が確保できないなど、意外と難しいんですよ。
私も過去に1台作りましたが、未だに窓ガラス無しのままとなっています。
こんばんわ。
なるほど、キヤ97なんて全然眼中に無かったですね(笑)。確かにアレはオープンスタイルですが、用途的には事業用車と言うより気動貨車というスタイルでしょうね。ここでいう荷物車的事業用車とはかなり異なってしまいますね。
工場至近の駅の近くにお住まいの方なら頻繁に見ることがあったと思いますが、時間はある程度決まっていても、いつ運転されるか分かりませんし、ましてこういった列車は日曜は基本的に休みだったと思いますんで、写真に撮る機会と言うのはなかなか難しかったですね。
関東のクモル145系の写真も何枚かありますので、そのうちアップしようと思っています。
配給車は車輪やパンタなどを載せてる姿を見ているのですが、興味の対象外だったのか写真撮ってるのがないんですよね。
旧国については、ホンと疎い状況です。
最新記事がコメント禁止になってるので、ここに書いちゃいます。
昨年、フェアウエイに乗りましたが、実際にゴルフクラブ持ってる人で乗車率は良かったですよ。私はやらないのですが、ゴルフ界では認知度も高い列車なのかも知れませんね。列車名も往年の「いろいそ」にすれば面白いのに。
クモニ13はよく見ましたが、クモルクルは殆ど見た記憶がないです。
チョコレート色のぶどう2号(でしたっけ?)の電車を見たくなってきました。