こんばんわ。
約2週間にわたってお伝えしてまいりましたFe4(-1)の撮影会。
おまけ記事を除いて、一応ここでラストにしたいと思います。
四日市駅にてDD51貨物の返し列車撮影後、新幹線に乗車可能な豊橋駅までは在来線の乗り継ぎで戻ることになります。
ただ、往路で見掛けた富田駅の三岐鉄道の電気機関車心残りのようで、lineさんから是非撮りたいとの提案。時刻表で調べてもらうと、普通列車も30分に1本の頻度でありますし、豊橋からの「こだま」も30分に1本。東京着が30分遅くなるだけなので、せっかくだから途中下車することにしました。
※撮影は、全て平成21年8月23日、JR富田駅にて
構内でパンタを上げたままお休み中のED453+ED451の重連。時折コンプレッサーがなり動きそうな予感がしますが、機関士さんは乗って来ません。
調べによると、三岐鉄道は、元々国鉄富田駅が基点であり、昭和27年から39年までは四日市駅まで国鉄への乗り入れも行われていたらしいです。
その後、昭和45年6月に近鉄富田駅へ連絡線を敷設。昭和60年には国鉄富田駅へ旅客営業が廃止になったとのことです。
写真のように、三岐鉄道富田駅には今でも駅名板が残っており、旅客営業時代を髣髴させます。構造上は現JRの跨線橋から直接三岐鉄道のホームに乗換えができるようになっていたようですが、現在は連絡通路が板で塞がれており、同ホームに降り立つことはできません。
機関車を近くで撮りたかったのですが、跨線橋を歩くとホームへ行けないことが判明。背の高さを活かし、跨線橋の窓から無理やり撮影。屋根の上でお休みになっていたハトも、突然現れた変なオッサンに目を丸くしていました。(元々丸いって!)
富田駅は貨物取扱いのための群線が残っており、貨車もタキやホキがチラホラ。
帰り掛けに事務所の片隅で寝ている元秩父鉄道のデキ203を発見。多少色褪せており、休車かと思ったんですが・・・調べたけど現況は良く分りませんでした。
ところで、JR「富田駅」は「とみた」じゃなくて「とみだ」と読みます。
昔ながらの大変趣のある駅舎です。
偶然ですが、ここで段落ちの30分の間、運が良いことに特急「南紀」と快速「みえ」が設定されていた時間でした。
最近は少し変わったアングルも心掛けるようになりました。記録家の私としては列車も勿論大事ですが、最近は「状況」も残すというのをテーマの一つとしています。ブログでの新たな出逢いにより、考え方にも変化が出てきたのが自分自身でも分ります。
さて、気が付けばあっという間の30分。これをもって撮影は終了です。
名古屋から新快速に乗り継ぎ、豊橋駅でお土産を買って「こだま」に乗り込みます。
帰りの「こだま」も喫煙車はガラガラです。年上のオジサンたちは当然アルコール。私は飲み残しのお茶にlineさんからいただいた豊橋名物のちくわ。そして、高級アイスクリームまで奢っていただいて・・・いつもすみません。ありがとうございます。
新富士駅を挟んで、夕闇に富士山が浮かび上がります。撮影中は曇ったり雨に降られたりと、まるで天気予報とは違った天気にウンザリでしたが、ここは気持ち良く晴れていたようです。昨年の暮れに訪れた岳南鉄道と平行する辺り。
新富士駅で追い越し待ちを受けている間にどっぷりと陽が暮れ、やっとシャッターを切る頃には、鮮やかさに欠けてしまいました。
そんな富士山に見送られ、3人とも無事に江戸へと帰ってきました。
約2週間にわたってお伝えしてまいりましたFe4(-1)の撮影会。
おまけ記事を除いて、一応ここでラストにしたいと思います。
四日市駅にてDD51貨物の返し列車撮影後、新幹線に乗車可能な豊橋駅までは在来線の乗り継ぎで戻ることになります。
ただ、往路で見掛けた富田駅の三岐鉄道の電気機関車心残りのようで、lineさんから是非撮りたいとの提案。時刻表で調べてもらうと、普通列車も30分に1本の頻度でありますし、豊橋からの「こだま」も30分に1本。東京着が30分遅くなるだけなので、せっかくだから途中下車することにしました。
※撮影は、全て平成21年8月23日、JR富田駅にて
構内でパンタを上げたままお休み中のED453+ED451の重連。時折コンプレッサーがなり動きそうな予感がしますが、機関士さんは乗って来ません。
調べによると、三岐鉄道は、元々国鉄富田駅が基点であり、昭和27年から39年までは四日市駅まで国鉄への乗り入れも行われていたらしいです。
その後、昭和45年6月に近鉄富田駅へ連絡線を敷設。昭和60年には国鉄富田駅へ旅客営業が廃止になったとのことです。
写真のように、三岐鉄道富田駅には今でも駅名板が残っており、旅客営業時代を髣髴させます。構造上は現JRの跨線橋から直接三岐鉄道のホームに乗換えができるようになっていたようですが、現在は連絡通路が板で塞がれており、同ホームに降り立つことはできません。
機関車を近くで撮りたかったのですが、跨線橋を歩くとホームへ行けないことが判明。背の高さを活かし、跨線橋の窓から無理やり撮影。屋根の上でお休みになっていたハトも、突然現れた変なオッサンに目を丸くしていました。(元々丸いって!)
富田駅は貨物取扱いのための群線が残っており、貨車もタキやホキがチラホラ。
帰り掛けに事務所の片隅で寝ている元秩父鉄道のデキ203を発見。多少色褪せており、休車かと思ったんですが・・・調べたけど現況は良く分りませんでした。
ところで、JR「富田駅」は「とみた」じゃなくて「とみだ」と読みます。
昔ながらの大変趣のある駅舎です。
偶然ですが、ここで段落ちの30分の間、運が良いことに特急「南紀」と快速「みえ」が設定されていた時間でした。
最近は少し変わったアングルも心掛けるようになりました。記録家の私としては列車も勿論大事ですが、最近は「状況」も残すというのをテーマの一つとしています。ブログでの新たな出逢いにより、考え方にも変化が出てきたのが自分自身でも分ります。
さて、気が付けばあっという間の30分。これをもって撮影は終了です。
名古屋から新快速に乗り継ぎ、豊橋駅でお土産を買って「こだま」に乗り込みます。
帰りの「こだま」も喫煙車はガラガラです。年上のオジサンたちは当然アルコール。私は飲み残しのお茶にlineさんからいただいた豊橋名物のちくわ。そして、高級アイスクリームまで奢っていただいて・・・いつもすみません。ありがとうございます。
新富士駅を挟んで、夕闇に富士山が浮かび上がります。撮影中は曇ったり雨に降られたりと、まるで天気予報とは違った天気にウンザリでしたが、ここは気持ち良く晴れていたようです。昨年の暮れに訪れた岳南鉄道と平行する辺り。
新富士駅で追い越し待ちを受けている間にどっぷりと陽が暮れ、やっとシャッターを切る頃には、鮮やかさに欠けてしまいました。
そんな富士山に見送られ、3人とも無事に江戸へと帰ってきました。
三岐鉄道東藤原駅構内では一時間に一回は貨物列車が走り入れ替えを行っています。(日曜日は激減します)冬にると藤原岳に雪が積もりよい感じになります。
是非跳ね橋と共に三人さんでお出かけください。
前回は四日市へ午後からの到着、豊橋からの新幹線利用と、半日すら時間がなかったので忙しかったですね。東京からは名古屋とほぼ同じ値段で四日市の出張パックが利用できるので、1泊2日でもじっくりと散策したいもんですね。時間が合いましたら、是非ご一緒に如何でしょう。
中々愛嬌がありますよね。中小私鉄の貨物輸送も先行き不透明な感じですから、撮れる時に撮っておきたいですな。
新富士のボンネットバスがあった所は、中古のバス販売会社らしいですよ。結構レアな車種があるのでは。
デッキ付きの電機と言えば、現在は私鉄にしかありませんからね。更新をするお金もないし、JR車ではデカ過ぎるので中古車としても導入できない。昔は同等の私鉄があってみんな貨物をやっていたので、廃車になったカマのやりとりの融通が利いたのでしょうが。中小私鉄には厳しい時代ですね。貨物輸送が無くならないことを祈りたいですね。
確かに雑多な塗装のバスがあったような気がしますが、中古屋でしたか・・・でも、あのボンネットバスは売り物じゃなくて、多分マスコットなんでしょうね。機会があれば撮りに行きたいです。
やはり機関車を見ると、異常に興奮してしまうのは何故なのかなぁ~。
三岐鉄道には、貨物博物館もあるのでそれも行ってみたいです。
そうそう、貨物博物館ってあるんですよね。どの辺なのかな?確か、結構貴重な貨車、シキとかもあったと思いましたよ。こりゃ、また四日市の出張パックで出張するしかないですね。