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マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

ローカルな風景 第47回(五日市線:武蔵引田駅)

2011-08-18 00:19:00 | ローカルな風景
こんばんわ。

今日は本当に久々のローカルな風景。
ただし、今までの風景は殆どが昭和時代ですが、今日は思いっきりつい最近の風景です。



平成23年5月16日

趣味・仕事を通しても初めて下車した、五日市線の武蔵引田駅。
東京都内でありながら、かなりローカルなムードが漂います。




電車の本数が少ないので帰宅することが出来ず、駅付近をブラブラ。
写真2名は同僚。同じく退屈しのぎで駅中を見学。




武蔵五日市行きの電車が到着。多分、これが折り返してくるまで電車に乗れないのかな?
ホームは1面1線。もちろん、交換なんか出来ません。




武蔵引田駅のホームにあった駅名板。
比較的新しいようですが、JR東日本の標準的なデザインではないですね。他の駅も気になります。

ようやく電車が来て帰宅。
家まで遠い遠い外回りでした。
しかし、東京都内とは思えないローカル満点の駅です。
でも、意外と乗降客は居ましたよ。

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ローカルな風景 第46回(国鉄氷見線:気動車&客車のサボ)

2011-04-20 07:15:00 | ローカルな風景
おはようございます。

今日も古い写真を引っ張り出しました。




昭和57年8月8日、富山港線の旧型電車などを撮りに行った際に立ち寄った、国鉄氷見線のサボの写真です。
この時は生憎の雨で、あまり撮影などする気も無く、城端線と同様に乗りテツしてました。
当時は当たり前の気動車だったので、列車写真は全く撮影していなかったのですが、今から考えればキハ26やキハ30系、キハ45系といった旧型車ばかりだった筈で、かなり勿体無いことをしました。
写真は窓桟の間隔が狭いので、おそらくキハ30系の車両ではないかと思われます。




こちらは客車編成のサボを撮影したもので、オハ352877となっています。
当時は朝のラッシュ時に客車列車が運転されており、ローカル線に良くありがちなダイヤ設定となっていました。
既にの1往復は終った時間であり、構内に留置してあった車両を撮ったものと思われますが、天気が良ければ雨晴など風光明媚な場所で撮影していれば、大変記念になったのではないかと思います。

ただ、贅沢なことに、当時はこれが「当たり前」の風景であり、特別なものとは受け取っていませんでした。

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被災地から戻りました・・・線路の無くなった気仙沼線

2011-04-16 01:04:00 | ローカルな風景
こんばんわ。

被災地から帰ってきたのが日曜日。間もなく1週間になろうとしています。
被災者に微力ではありますがお手伝いをし、震度6強という恐怖の地震も体験しました。
一生忘れることの無い経験をしてきました。

最後になりますが、鉄道の状況です。これも言葉の出ない風景でした。



国土地理院の地図データから

気仙沼線の志津川駅近辺を抜き取りました。
点々と建っている家並みは、その殆どが平地にあります。川沿いですから、比較的低地にあると判断していただけると思いますが、高台にある学校と若干の民家以外は壊滅していると思っていただいて構わないと思います。そのくらいの広範囲が津波に襲われました。
もちろん、気仙沼線の志津川駅も例外ではありません。




携帯電話のカメラで撮影したものなので、画像はあまり良くないですが、一応クリックすると大きくなるようにしておきました。
中学校から小学校までの道のり、国道398号線を歩いていると、1箇所だけ大きく渡る橋があります。何でここだけ?と思ったら、やはり鉄道だったんです。
というのは、鉄道かどうかも最初は判らない状況だったのです。

国土地理院の♂を付けた位置から撮影しています。遠くに見える工作物がどうも駅のホームのようです。




駅のホームと思われる部分をアップにしてみました。
まるで廃線跡か、あるいは整地してこれから線路を敷設しようとしている風景にも見えてしまいます。

一番驚いたのは、線路が全く無くなっていることでした。
水害や地震などで土盛りの路盤が流出することがあっても、線路と枕木はしっかりと繋がれているので、線路後となくなった様子というのは今まで記憶がありません。見渡す限り線路が見当たらない光景というのは、私の中の常識では考えられません。
線路側面の面積で、水の抵抗を受けたとしてもたかが知れている思いますが、一体どんなパワーだと言うのでしょうか?本当に信じられません。

東北各地で被災した線路も、徐々にではありますが運転が再開されるようになりましたが、このような状況の場所が海岸を中心に数多く残っています。
被災者の言葉に
「もう(気仙沼線は)廃止になっちまうだろう。鉄道が復活したって、乗る人さ居ねーべ。みんな流されちまったんだから。」

あまりにも重た過ぎる言葉で、受け止めることができません。

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約1週間にわたり、被災地支援の際に得た状況を報告してきました。
今回は取材で行ったわけではないので、写真も携帯電話のみ、枚数もあまりありませんでした。
文字だらけのダラダラとした文章にもかかわらず、多くの方に読んでいただき、支援活動に対する労い、被災者への心遣い、ご自分の想いなど、多数のコメントをいただきありがとうございました。
遊びでは被災地に行ける状態ではありませんから、現地に近付く機会の無い読者の方々に、報道では分からない現地の状況、被災者の考えていること、不安、そして本当に必要と望んでいるものが何か、少しでも伝わっていただければありがたい。そう思っています。

被災地支援に関する記事は、これにて一旦終了といたします。
最後まで稚拙な記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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ローカルな風景 第45回 (国鉄:美幸線)

2011-01-29 07:10:00 | ローカルな風景
おはようございます。

今日は小田急の5200系6両編成の引退と言うことでイベントが行われます。
当初は行く気が多少あったのですが、どうも気持ちが萎えてしまってダメです。寒さのためか、このところの寝不足か、それとも突然発覚した虫歯のせいでしょうか・・・。

そして、ここで非常にショックな出来事が・・・
このローカルシリーズですが、途中で重複番号があったことが発覚orz。
過去に遡って修正をする羽目に・・・気が付かんかった・・・。

今日はかつて超赤字ローカル線として名を馳せた北海道の美幸線からのご紹介です。

※撮影は、昭和56年3月14日です。



美深駅にて

美幸線は、1964年(昭和39年)10月5日に開業した国鉄線で、宗谷本線美深駅からオホーツク海に向けて東進、沿岸から旧興浜北線(過去ログ『ローカルな風景 第36回(国鉄:興浜北線)』)北見枝幸駅へ接続する計画でしたが、工事半ばに国鉄再建法施行を受けて特定地方交通線に指定され、その計画は頓挫することになります。

1日3往復のみの設定で、朝、午後、夕方に各1往復する、北海道では良く見られたローカル線の典型的なパターンです。高校生の通学を見込んだ設定ですね。もちろん、単行のみです。



仁宇布(にうぷ)駅にて

私は同行した友人と一緒に乗りましたが、確か乗車は8人くらいだったような記憶があります。終点では10分もしないで折り返しとなりますので、その間に入場券を購入したり、できるだけ美幸線と判るように写真を撮るなど、かなり慌しい時間で終ってしまったように思います。
バックには鉄道とは比較にもならないほど立派な道路橋が写っていますね。この頃から自動車免許の若者総取得時代みたいな感じになってきたように記憶しています。




1両編成のホームには駅名板が1つのみ。この角度からだと「こうふ」にも見えちゃいますね。
乗っていた8人の乗客のうち、7人は折り返しの列車に乗っていました。下りに乗ってきた女性1人だけが、雪に閉ざされた町中へと消えていった姿が印象に残っています。



サボ

美幸線はたったの4区間のみが暫定的に開業になってしましたが、距離的には21.2kmもあります。これは、最後の1区間である辺渓~仁宇布間が15kmもあり、それだけ人が住んでいないことを示しますね。山手線でしたら、この駅間に20駅くらい出来てしまいます。
写真は美幸線のサボですが、良く見ると下地から「北見行」の文字が凹んで見えます。1列車分の左右2枚あれば良いので、新調するまでもなかったということでしょうか?それとも、盗難にでも遭ってしまったんでしょうかね?

同線は、深名線や白糠線、添田線とともに、日本の最たる赤字ローカル線として毎年話題になっていました。これを逆手にとって乗客誘致なども行っていたようですが、それでもこの路線に乗客が殺到することなど考えられる筈も無く、お金を落とすべき乗客が「ワイド周遊券」で当たり前のようにタダ乗りしてしまう訳ですから、収入が上がる筈もありません。

何度も日本一に輝いた赤字ローカル線は、当然のごとく廃止の対象となり、1985年(昭和60年)9月16日をもってその短い歴史にピリオドを打っています。

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ローカルな風景 第44回(国鉄 胆振線:キハ22253)

2010-09-29 03:57:00 | ローカルな風景
すごいおはようございます。

昨夜、変な時間に寝てしまい、これまた変な時間に起きてしまいました。今日は仕事ですよ・・・。
朝だと慌しいので、強引にアップしちゃいます。

今日は久々ローカルな風景シリーズで、今は無き国鉄胆振線の写真をご紹介いたします。



昭和58年9月6日 キハ22253

実はこの写真、胆振線には間違いないのですが、どの駅で撮ったか不明なんです。
胆振線では途中の比較的大きな駅(←と言ってもみんなローカルですが・・・)では数分ずつの運転停車がありました。
このときも、途中の新大滝駅、喜茂別駅、京極駅で入場券を購入しておりますので、このうちのどれかの駅だと思います。
このような写真を撮る場合、大体は駅名標が入るように撮るものですが、さすがにこのロケーションではそのような都合の良い構図は望めませんよね。
今だったらデジカメで時間を記録できますから、難なく判ってしまう訳です。便利な世の中になりました。

函館山線で特急「北海」や急行「ニセコ」を撮る際、わざわざ乗り鉄を兼ねて踏破した区間ですが、昭和59年6月に廃止が承認され、2年後の昭和61年10月末をもって全線廃止となってしまいました。

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昨日は外回りだったのですが、お昼の移動時間、豪雨に遭ってしまいました。ズボンはびしょ濡れ・・・午後は戦意喪失でしたね(笑)。こんな涼しいのに、なんで雷が鳴りますかね?異常です。

※「マル鉄コレクション館」で、『時刻表ネタ 昭和55年 国鉄胆振線 循環急行「いぶり」』をアップいたしました。
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