УРАЧКА!!

雑文・駄文なお気楽日記です。よろしゅーに。

『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』

2016-12-04 20:25:39 | 映画
週末に職場の忘年会がありまして、焼肉食べ放題のお店だったのですが・・・
焼肉って高いねっ!!!(爆)
自分じゃ絶対行かない系統なので疎かったのですが、「●●4人前」とかって頼むと来るのは一人に一枚レベルのペラッとしたお肉・・・
まぁ、それだけ質的にはいいのかもしれないんだけど、それでひと皿一人一枚ペラっとお肉で千円単位ですよ~、あっという間に2,3万円行ってしまってた(飲み物もあるしね)
絶対、こりゃ「何分間でいくらの食べ放題」じゃなきゃ行けないわな、と思った次第です。
私は基本的にはベジタリアンなので、滅多に肉は食べないのですが、お付き合いとかでは食べる、けどどうせ食べるなら最近は肉より魚の方が良いと思います、いや味的にっていうか、年取ると、肉より魚派になるって言いますが、まさしくソレ!なんでしょうねぇ。

で、土曜日にヒロミちゃんを動物病院に連れて行きました。
健康診断してもらってできそうならワクチン打ってもらう予定で、私が土曜日中に迎えに行けないために一泊入院で今日帰ってくる予定だったのですが・・・
見てもらった結果、クル病と発育不良もあるのでもうしばらく入院する事になりました。
見た目は元気そうなんだけど、そう言われれば、同じ頃の子猫たちに比べると大人しいというかやんちゃ度が低いというか。
あんまり潜り込んだり冒険するっていうタイプじゃなくて、定位置で落ち着いちゃう感じであった。
個性かな?と思ってたけど、体調的な理由もあったのかも。
病院ではあまり食欲ないようでした。
家では、おなかがポンポコでツチノコになるまで食べてた、わりには下痢にもならなかったんだけどねぇ~。
やはり、外で親猫の庇護がなく約二週間一人で子猫が過ごすっていうのは試練だったのかもねぇ。

で、今日は映画を見てきたよ。招待券の日切れも近かったし。

『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』予告編

メイル・ストリープと、ヒュー・グラントの共演です。
1940年代のNY、資産家のメリル様は音楽が好きでいろいろ音楽家を援助したりしているお金持ちなんだけど、究極の音痴!
でも、自覚がなくて歌が大好きなため、自分も舞台で歌ってみたい!とレッスンを受け、ついにカーネギーホールでコンサートを行う事に!
彼女の内縁の旦那ヒュー・グラントは彼女を守るために、批評家を買収、いろいろ手配して彼女を笑いものにされてないように影で駆けずり回るのだが!
という感じ。
これ、確か私もどこかで聞いた事があるのですが、実話が元ネタ。
すごい音痴なんだけど、自分でレコード作ったりとかコンサートやったお金持ちがいた。とかってトリビア的ネタで聞いたような気がする。

でもって、映画の方なんですが・・・
その彼女のものすごい音痴というのが、実際はそれほどでもないのだ。
っていうのは、メリル様は全然音痴じゃなくて反対に歌唱力がある俳優さんんで有名な方なんだよね。
音痴の役を演じるのはかなり大変だったと思うけど、残念ながら歌に関しては音痴を演じきれてない感じ。いや、他の演技は申し分ないですよ。
基本、音はずれてないんですよ。
外すのは、高い音とか「決め」の最後の音とか、ようするに「目立つ音」一部のみわざと外しているんだよね。
だから、聴衆役の人々が大笑いするほど「酷い」音痴じゃないんですよ。
私の前のお嬢さん二人連れは、彼女の歌声に笑ってたけど、これは聴衆の演技に釣られていたのであって、実際にメリル様の歌声のひどさで笑っているのではないと思った。
雰囲気で釣られて笑ってるって感じね。
これならば、もっと歌いやすい音域で体力的にもう少し余裕のある曲を選べば、普通に聞ける歌にはなるはずだよ!って思った。
例えば、オードリーが歌ってた「ティファニーで朝食を」のムーンリバーみたいな曲ね。
わずか数ヶ月の練習で「夜の女王のアリア」とか歌え!って方が無理。
私は音痴じゃないけど、無理(爆)
もうちょっと、練習法とか誘導していけばものすごい笑いものになるような音痴って事ではないと思うんだよね~。
ましてや彼女は子供時代にピアノをずっとやっていてそれなりの腕前(ピアノの先生が出来るくらいの)だったそうだから、と思ったんだけど、ピアノやってても=音痴ではない、とは断言できないんだそうです^_^;
かえって、鍵盤押せば絶対決まった音が出る楽器だから音感育たん、とかっていう話もあるみたい?いや、私はピアノやったことないからわからんが。
でも、彼女には事情があって、そう残された時間があるわけではなく、なので余計に短い練習期間で夢を叶えるっていう事になったのかもしれない
私たちが音楽で感動するのって、実際に巧みな美しい音楽を聞いたっていうよりもそれよりもプラスαが大切なのかもな、とも思った。
彼女の場合も、音楽を誰よりも愛し自分に出来ること=金銭的援助を続けてきた、って考えると、お金がある=彼女の才能、とも思えるんだよね。
歌声の才能がなくても、彼女には資金がある、それで音楽に貢献してきた、その愛が彼女の背後にはある、辛い人生、音楽を諦めざる負えなかった若い頃の無念さ、病気の苦しみ、死への怖れ、それを乗り越えた上での彼女の歌声、それは音が外れているとか声が続かないとか、そんなテクニック(?)以上の感動があるのだ!
・・・っていうのを表現出来てればいんだろうけど、残念ながらそれが十分出来ていたとも思えないんだよねぇ、この映画。
多分、編集に問題があるのかもしれないけど伏線の貼り方とかがイマイチ。
例えば、缶詰会社の成金男のいかにもトロフィーワイフ的な金髪のケバケバのイケイケな美女(白いペギニーズ飼ってるらしい)この美女が最初のコンサートでは抱腹絶倒で強制退場だったのが、カーネギーでのコンサート時点では笑い転げる聴衆に向かって「彼女の歌を聞けっ!!!」と、怒鳴りつける、何故そこまで態度が変化したのか?についての描写がない。
多分カットされたんだと思うんだけど、そういうといころが勿体無いというか。
例えば、最初は笑い転げて聞き続けられなかったんだけど、あとからよくよく思い返すと、なんだか忘れられないというか「癖」になるような懐かしいような声・・・
もう一度聞いて見たいとさえ思う、なぜだろう?と考えたら、自分の母親の歌声、というか歌ってる感じに似ている事を思い出したのだ。
母親も決して上手い歌い手ではなかった、けど、母が歌ってくれた子守唄、それを思い出したのだ、って感じのシーンが入れば、美女の変心の理由とかも納得いくし、歌や音楽は「上手い」だけではない、っていうのが伝えられると思うのだが。
あと、サンサーンスの名曲「白鳥」が「低俗な曲」的に言われていたので「ええ~?当時の評価ってそうだったの?今は名曲として有名だよね?」と思ったのですが、サンサーンスの曲は保守的であまり当時評価は芳しくなかったっていうのもあるみたいですね。
それと、時代的に第二次世界大戦にアメリカが参戦したあたりなので、日本は敵国であり、新聞記事の見出しとかにもそういうのがチラっと出てましたな。
別に日本を批判するような内容は全然無かったけどね。

で、最後のエンドタイトルにリアルな彼女の声が流れるんですが、こちらもそれほど恐れるほどの音痴ではないんだよね。
練習次第でもう少しなんとかなりそうな感じがするのであった。
コメント (2)
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