丸顔おばさんのブログ

すべての問題は「心」に通ず。
リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」

他者の評価から自分を解放☆

2022-02-09 12:05:17 | 心の解放シリーズ
ブログランキングってものに一応参加しているんだけど、いままであまりじっくり見たことがなかったんだ。
よく見ると、INポイント、OUTポイント、注目記事ランキングとか、
いろんな切り口のランキングがあるんだね。

毎日ブログ編集画面を開くと、自分のブログが今何位かって出てきて、
「今日は4位か~」上がったなぁ。下がったなぁ。などとなんとなく見ていたんだけど、
このブログはOUTポイントが高いことがわかった。
OUTは、ランキングサイトからこのブログをクリックするとカウントされるヤツだと思うから、ランキングサイトで記事のタイトルをご覧になって訪れてくださる方が多いということかぁと思った。

たくさんの方に読んでいただき、ありがとうございます。
思いつくまま好き勝手書いているブログだけど、
こんなご時世なので、情報収集やいろんな危機の回避や、少しでも楽にいるためのお役に立てれば、こんなにうれしいことはありません。

なんでこんな話をしているかというと、
ランキングとか順位というものは、人さまの評価なんだよなぁと気づいた。

つまり他者の評価だ。

他者の目が、自分の心のなかでどういう位置づけか、どのくらいの割合を占めているか、っていうのが、
自分の心の幸せ、安定、能力向上に大きく関係しているということなんだ。

結論から言っちゃうと、他者の目、他者の評価は、気にしなくていいということなんだ。
それはじつにあいまいなもんだということなんだ。

ブログランキングだって、これだけいろんな切り口でランキングを出してくれていて、ある切り口では髙かったり、低かったり、いろいろだ。

他者の目から見た絶対的な評価なんてものは、じつはないんだ。

人の評価を、他の人間が本当の意味で決めるなんてことはできないんだ。
ただ、どう感じるか、好きか嫌いかくらいだ。

例えば文章であれば、読み手の読解力や好み、気分、知識によっても、評価は変わってくる。
どう読むかは読む人の自由だ。
そしてそれはあいまいで、ちょっとしたことで変わりやすい。

だから気にする意味があまりないということだ。
小説家の人も、ブロガーも、ツイッターやってる方も。

他人を気にしないレベルを高めて、自分にいる割合を増やすと、いろんないいことがあるんだ。
じつは、
ただ存在しているだけで、すでに役割を果たしている。だれもが。
だからなるべく自分そのまんまのほうが、より本来の役目を果たせる。
そのままでいるとき、自分の感情にいられるから。
それが周りにも愛であったり、癒しを与えていることになるんだ。
よーくわかっているんだよねぇ。
こどもや動物のほうが、この点はおりこうなんだ。
で、われわれもこの状態だと、ゆったり伸びていけるんだ♪

頭で考えて、立派になろうとか認められようとか、
社会(あいつら)が決めた価値感にあてはめてしまうと、本来の自分から離れていく。
これだと、支配にはまり、マイナスの形でお役目を果たすことになりかねない。

だから、
他者の評価=自分の価値だなんていう思い込みがあると、まず心が苦しくなる

そして、本来の自分の持ち味とか役目とかから離れていくから、なかなか能力を上げて発揮する方向へいけなかったりするから、よけい伸び悩み、苦しむ

そして、苦しいから、なんだかやめたくなっちゃうの。
こうして長く継続することができない。
感情を感じないで、思考だけで決めていると、そういうことになりがちだ。
(このとき、他人や親の意見に囚われていることが多い。)
でもそれも、自分の道から外れているから苦しいわけだから、自分の心が楽な方向にシフトできれば、そっちが正解なわけだ。

こういうこともあって、わたしはあえて、人の評価を気にせず、好き勝手マイペースでブログを書くようにしているんだ。
結果的にそのほうがよくなるし、継続できるから。

最初のころは、あいつらが大変なことしてるから、たとえ、妨害が来たとしても屈しないで書いてやるぜ!、なんて気合いを入れて思っていたけど、
最近は、いろんなことが気にならなくなってねぇ。
自分の感情、感覚、直感以外のものは、はかないんだと、やってみて分かったのね。
妨害コメント来たとしても、時間が経つとすぐでたらめと判明するしね。ほっといていいんだなぁって。


これは、音楽のコンクールとか、いろんなコンテストなどを見ていても思う。

だって、はっきり言って、ショパンコンクールなんて、出る人はみんなすごい天才だ。

だから全員すばらしいわけだ、出られるだけで。
演奏もまたすばらしいわけだ。全員。

それに、音楽にランキングをつける意味は、本当はないはずだ。

でも、やる。

なんていうか、本当は音楽にランキングなんて意味ないんだけど、
でも、表現や技術を切磋琢磨する場があるということに意味があるのかなぁ。

だから、おばさんの目から見ると、上位に来て、結果に満足している方は
みんな、他者の目を気にしていない、自分の感情と感覚にゆったりといる人だ。

この状態だと、誰もが天才なんだ。音楽に限らず。

逆に能力を発揮できなかったと悔しがっている方を見ていると、大舞台にのみこまれてしまったのだねと見える。
大舞台の耳の肥えた聴衆にのまれ、他者にとらわれすぎてしまったのだと見える。
緊張してしまっている状態は、この状態だな。
だから緊張を解くには、そんな他者の目から、自分の感覚、感情にシフトするということだ。

他者の目にとらわれた状態だと、天才でも能力を発揮できないということだ。

(だから音楽の競争というよりも、精神修行の場のように私には見えるんだw)

でもさ、他人の評価というものに、絶対的なもんなんて、なにひとつない。

例えば誰かから否定的な反応をされても、それはそいつの精神状態が変わると、変わっちゃうんだ。
だから、相手の内面の表現にすぎないんだ。

それに音楽だって、その時代の流行りっていうかトレンドがあって、
昔よいとされていた演奏法と、最近いいとされてる演奏法とちがうしな。
こんなふうに時代の気分によっても評価が変わる。

(今なんて、名医といわれている先生が、突然ヤブ医者になちゃうことも、起こるんじゃないでしょうか?w)

だから、自分の感情と感覚にゆったりといる。
他人がどう言おうと、どう思っていようと、もうその状態で、すでにすばらしいのは、上記ネコちゃんが教えてくれているとおりだ。
そのうえで、ゲーム感覚で他人の評価を楽しむ、くらいの感覚が、楽で適切なんじゃないかなって気がしてる。ふーん、あなたはそう感じるんだねってくらいの。

職場などでもそのくらいの感覚のほうがむしろ、いい仕事ができると思うんだ。

私はわりと否定的な親から否定的な反応をされながら育ったから、
自分自身を否定的にきびしく見てしまうところがあるんだ。これでもw
すると、他人も自分をそう見ているような気になるんだと気づいた。

でも、じっさいはそうじゃないんだとわかった。
他人は思ってるよりテキトーで、案外やさしいんだって。
それは自分が自分に厳しすぎるから、それよりは人はずっとやさしい。
もちろんへんな人もいるけど、平均するとそんな感じだ。
(他人は他人の人生に忙しいしな)

こうやって頭で気づいても、純粋無垢なこどものときから毎日否定的にやられたら、染みついちゃってるから、ときどきは出てくるの。否定や厳しさが。
そしたら、あぁ出てきているんだねと見てあげる。
気の済むまで感じてあげる。
そうしているとやがて、
「あぁ、そうか。
自分が自分を厳しく否定的な目で見ているから、
他人が自分をそう見てるような気がしたんだね。」
って、感じ切ってあげたあとに、冷静な目が出てきたりするの。

安心して、解放されていくの。
すると、どんどん楽しくなっていくの。
「なんだ、そのままで自由でいーんじゃない」って。

こうして親のマイナスの意識を受け継いでしまっていても、それも自分で癒せるんだ。

だから、今あいつらの走狗やってる人も、こんなふうなマイナス意識に囚われているのが明らかだから、そのうち癒されるといいねって思ってるの。
ほんとはそれが根本的な解決だから。
これから、あいつらから寝返る人も出てくると思われるしね。


それから、他者から自分を解放するには、心の仕組みを知っておくと便利だ。

心の中で
他人にとらわれている部分が多いと、相対的に、自分の感覚・感情を感じる部分が減る。

他人を忘れてるくらいだと、自分を感じている割合が多くなる。

こんなふうに
「自分:他人」の割合が決まる。

だから他人に囚われると、自分の能力が発揮されないのは当たり前なんだ。
相対的に、「自分」の割合が超少なくなっちゃうわけだから。

だから、他人を気にしないで、ぼーっと自分にいる人のほうが、
頭がよかったり、いいパフォーマンスしたりするもんなんだw

こどものとき、クラスにもそういうヤツがいた。
いつもぼーっとしてて鼻たれなんだけど、成績がいいやつ。

塾に通って、親や先生の期待にこたえようとがんばってる子より、
鼻たれのほうが成績がいいんだなぁと、
あんまり勉強しないけどおませさんだったおばさんは、横目で眺めていた。

これはこういうことだったんだとおばちゃんになった今思う。
こどものころから、人の意識とそいつの現実との関係に興味があったんだな、今思えば。


それから、思考しすぎると、他者が気になってしまうんだ。
そういうふうにできている。心が。

だから、左脳社会でみんなが思考暴走状態の現代は、他人と関わるのがきついという方が増えて、個人主義になっていくのは、当たり前だ。
(なんでもエビデンス、エビデンス言って争ってるだろう?エビデンスにもペテンが張り巡らされているとも知らず・・・)

思考を止めて、感情を感じるって意識してやると、他者から自分に戻れるんだ。
(ぼーっとしてて鼻たれだったあいつは、完全に自分にいるわけだ)
思考が多すぎると、他者に囚われる。

感情を感じる量を増やすと自分に帰れる

「自分:他人」とおんなじだな。「思考:感情」も。そして連動している。

だから、思考を止めて、自分を感じているってことなんだ。他人を見るのをやめて。

関連記事:

これも言うのはカンタンなんだけど、他者の目が気になってつらいと言う状態から抜けられないと、なかなかできないこともあるからな。

でも、他者の評価とは、じつにあいまいで、絶対的なものではないということが腑に落ちてわかると、あっさり楽になれたりする。
他者はテキトーで、自分が思ってるよりはやさしいんだと。(自分に厳しい人はとくに)

こんなふうに、自分を楽な状態にすることも、苦しい状態にすることも、自由自在なの。じつは。

意識して、自分の感情に戻らないと、どんどん他人と思考にとらわれていっちゃうの。
とくにこんなご時世。
同調圧力とか、箝口令とか、ヒトラー言うな、とか、すごくなってきちゃってるから、意識して、自分の感情に帰らないと、どんどん激しくきついところに引き込まれて行ってしまう。

でも抜けるのもカンタンってことだ。
少なくとも、意識のレベルでは。
でも意識が抜けられれば、自分だけは平和で安全でいられる。

そして、この心が自分の現実をつくっているわけだから。
だから大事だ。
みんなの心が社会もつくっているわけだ。これが集合意識というやつだ。


だから本当は本質的な問題の解決は、ここだと思っている。

あいつらを掃討できるかどうかもここにかかっている。

幸せになるのと逆のことを、みんなに教えている。

だからとりあえず、こんなシンプルな心の仕組みを知って
自分がどうしてそう感じるのか、そういう心境なのかってことに気づいてあげることだ。今が苦しいならば、逆をすればいいわけだ。

これが本当の打倒あいつらだと思っている。
だから「打倒」なんて言葉でいうけど、本当は、自分を楽にしてあげるってだけだ。
自由にしてあげるってことだ。

これが本質的な問題解決だ。


おりしも今は、これまでの社会の価値感が崩れつつある。

こんなときは、今までの価値感が崩れるから、他者の評価に囚われていた自分を解放するチャンスともいえる。

少し前は、社会でバリバリ働いているのがすばらしいみたいな価値観が主だった。

けど、いまや在宅ワークとか時短とか。
そのうちグレートリセットされてしまいそうだ。

だから、今、苦しい方、働けなくなってしまった方、引きこもりの方、
そんな価値観を手放していくチャンスだ。自分の感覚が正しかったんだ。

おばさんに言わせれば、あいつらの走狗がイキイキしていて、
清い方が苦しんでいる。
感じる心を持っているからこそ異常な社会ではきついと感じるわけだ。
そういうのを感じない人がご活躍で、人類を滅ぼす暴挙に出ていたりする。

変わりゆくなかで、なるべく楽に、自分に帰りながら、自分の道がみつかるはずだ。

単に、とらわれているから、苦しかっただけなんだ。

他者や世間の評価に。こんなの、まぼろしだ。



こうして心のエネルギーが回復すると、
自然に、自分はこれをしたい、と思って、気づいたらしているだろう。

こんなふうに全部、エネルギーの循環でできている。
感情というのは、つまりエネルギーだ。

これが他者にとらわると自分のエネルギーが枯渇していく。
(あいつらは人々からエネルギーを奪うプロだw。お金とも連動している)

これを自分に戻すってことだ。
そして、ゆったり感じる。するとエネルギーが循環する。

そのきれいな循環が愛ってことだ。

この循環を止めたり、マイナス方向に循環させてるのが支配だw

だから、あいつらが感情の乏しいロボット社会にしたいのも納得だ。
人間としての、エネルギー枯渇だからな。


体だってエネルギーの循環と考えると問題の解決が見えてくる。

栄養を入れたり出したり。エネルギーの循環がよくないと、具合が悪くなる。

これをとっても繊細に微細にバランスをとって、全身で細胞たちがやってくれている。

この細胞を人工的に変えてしまう、人工物を入れて出せないとなると、この微細なバランスがめちゃくちゃになってしまう。

なにか、人間は動物であり、生き物であるということを、忘れていませんかね?

おばさんは、年寄りの多い家で育ったので、昔の、自然に近かったころの人間の感覚を少しだけ知っている。
おばさんのひいおばあちゃんは、動物っぽいというか、自然に近い感じだった。
そしてかわいかった。
最後ぼけちゃったけど、そうなったらより自然そのものという感じで、いつも庭いじりをしていた。
かがんだとき、おしりがでちゃっても気にしないで、けっけっけと笑っていた。
お客さんが来ても、裸で玄関に出ちゃうの。

ずっと農家だったから、農業やめたあとも、お庭にいるのが彼女にとって自然だったんだな。病気せず、健康で長生きだった。
いつも、けっけっけと笑っていた。

日光浴して、自分の世界にいて、自然そのもので、おばあちゃんのエネルギーの循環はきっときれいだったのだと思われる。

こういう感じを知っているから、ごちゃごちゃ思考を暴走させて、
権力が、体と心を破壊する世になっても、帰るべきは、そこだろうと思えるんだ。



人工物を体から出すには解毒といわれているけど、これも食べ過ぎていると、
体が消化吸収に忙しく、排泄がおろそかになるという。

心のエネルギーが滞っていると、食も連動して、ムダに食べたくなっちゃったりするんだ。
やけ食いとか、拒食症とか、明らかに心と食欲は関係していそうだ。

だから、やっぱり体の問題解決も「心」がひな形なんだ。

感情のエネルギーの循環をよくしてあげることで、体もすっきりさせたくなったり、ちょうどいい食欲になったりするから不思議だ。

体の解毒についても、またまとめて書こうと思います。
みなさんがいろいろ発信してくれてるからな。


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