丸顔おばさんのブログ

すべての問題は「心」に通ず。
リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」

分割して考えるとすっきりと楽なんだ

2022-02-03 12:30:02 | 心の解放シリーズ
例えば、自分の嫌いな職場の先輩が、なにかをしてくれたとする。
例えば、資料を届けてくれたとする。
こんなとき、気持ちよくありがとうと言えるか?

ふだんからろくに話合わずに仕事を押し付けてきたり、
自分を頭ごなしに怒鳴ったり、ムリな注文をつけてきたり、恥をかかされたことなどが過去にあったとする。

こんなとき分割して考えると楽だ。

そういうところは、嫌だ。嫌いだ。キライでOK。
必要なことは、ちゃんと相手に言っていこう。

でも資料を届けてくれたことに関しては、ありがとう。

というふうに、分割して考える。
すると、ちょっと楽に、ありがとうと言える。

また、家庭でも。
おかーちゃん、料理作ってくれてありがとう。

でも毎日毎日、人の悪口を言ってくるのは、もう耐えられない。
嫌だ。聞きたくない。
これは、おかーちゃんが自分で相手に働きかけたり、断ったり、自分の気持ち言ったりして解決することだ。
私は当事者ではない。
だから、それをしないで(できないからって)私に悪口言って依存してくるのは不当なんだ。
私は、「聞きたくないんだ」「つらいんだ」と言ったり、または言わないでさっと離れたりしたほうがいいんだ。

依存させないほうが、相手のためにもいいんだ。
依存して、関係ない人(こどもなど)を味方につけて、相手(夫や舅姑)と戦うってことをする母親もいる。
これは、依存させるのを断つと、バランスが崩れる。
すると、おかーちゃんその他メンバーとの関係性も変わらざるを得なくなる。
関係ないやつ(私)が抜けてあげることで、
当事者同士がやっと仕方なく、向き合わざるをえなくなるから。

こういう毒親に悩んでいる方は多いと聞く。
こういうケースは、ためらわずに離れることが、相手のためでもあるんだ。
自分を守ることは相手のためでもあるんだ。

こんなふうに分割して考えるようにすると、自分が楽になるし、
依存・支配関係が是正されていくことにも繋がる。

生活費を稼いでくれて、ありがとう。
でも、私の部屋にずかずか入ってきたり、リビングを散らかすのはやめろぉー!
くさい靴下を、そのへんに脱ぎちらかすなぁ!
と言っていい。
言えると、生活費の部分には、心から「ありがとう♡」って言えるのね♪
自分が自由に使える金額は、堂々と、好きなものを買ってOK♪って。

この話に繋がってくるんだ↓
まず、ここでのテーマは
「あいつら」幇助的な仕事をするかどうか?

つねになんでもテーマごとに考える、ということなんだ。
すると、すっきりと楽なんだ。

体が大変な方は、「自分の希望する治療が受けられるかどうか」に焦点を当てて、いろいろ探してみてはどうだろうか。

昨日書いた、ワクチン接種後、お体が大変な方へのお話。
この場合も、テーマは「自分の希望の治療が受けられるか」だ。
受けられないなら、ほかを当たったほうがいいだろうし、希望通りの医療機関がみつかれば、めでたしだ。
ちょっと自分の希望と違うんだけど、断ると先生に悪いかなって、遠慮しちゃう方もいると思うんだ。
でも自分が楽になることが目的なわけだから、自分の意思を、感情を感じながら話していくってことだ。そうすることに罪悪感はいっさい不要なんだ。

また、私もブログに書いているけれど、政治的な先生もいらっしゃる。
ワクチンの後遺症には理解があるけれど、特定の政治家の支持を入れたり、改憲などを推進する発信をしていたり。
その場合も、分割して考える。

政治的なことは、ちょっと賛同できないので、あたしはそこはおつきあいはできません。
でも必要な治療をしてくれるなら、そこはお願いしますと。

他に頼れる病院がなく、体が大変ならば、そういうこともあるかもしれないなと思ってね。

あたしがあいつらだと書いてたから、必要な医療をしてくれる先生にかかるのを躊躇されている方がいたら、それもよくないと思ってね。

見極めるのは自分自身だ。
ここは、当事者同士がじっさいに会って話合わないとわからない。

ネットの評判と、実際のところが同じかどうかもわからない。

おばさんには言えない部分だ。

ワクチン反対や、おかしな政治にノーと言ってくれるのはありがたいけど、
それをガス抜きにして、最終的に大衆を体制側に誘導する意図があるかもしれない方もいるわけで、
そういう所は賛同できないけれど、そういう方しか、解決する医療をしていないならば、
「自分の希望する治療が受けられるかどうか」に焦点を当てて、
分割して、テーマをごとに、お世話になるか、離れるかを丁寧に見極める。
これが必要かなと思った。

そして今は、ご存じの通り、情報の分断がすごいから、
人によって、認識も感覚も全然ちがう。
さらに、社会も人の意識もファシズム的になってしまっているという状況だ。

こんな中で、考えが違っても、必要なところでは協力して、乗りきっていく必要がある。
こんなとき、分割して考える習慣がついていると、楽だ。

きわどい状況でなくとも、お家でも職場でもこれが身についていると、心が楽なんだ。

だいたいみんな、いろんなテーマをいっしょくたにして考えている。

それで嫌なヤツとも我慢してつきあわねば、と面従腹背でいたりするw

それだと、嫌なところで、ノーが言えないだろう?
イヤなところでは、ノーと言ったほうがいいわけだ。
この部分は、私はこうしたいんだと。
こわいような、悪いような気がするかもしれないんだけど、
自分の感情を感じながら言うと、相手からは相手のことも大事にしているように見えて
むしろ心が通じたりする。

すると、こわくないんだとわかる。
そして、味をしめてどんどん自由になっていく。(このおばさんのように・・・)






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