数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

公平性とは

2022-01-12 12:43:30 | 大学入試
 今週末に迫った、共通テストに関して、コロナ禍対応で、2次試験のみで判定とか等を大学に要請した文科省のニュースが新聞等でも大きく取り扱われています。その中で、公平性がどうなるかという問題も指摘されている。

 実は、コロナ禍の入試だけでなく、現場に関わってきた人間として、この10年くらいの間で感じてきた入試での不公平感があります。その最たる問題が医学部医学科の地域枠推薦かなと。地方の医師不足から派生してきたこの地域枠推薦は、地元の受験生でも、田舎の受験生とかに適応されて、その受験生がある意味、低い点数でも合格できるというシステムです。我々の受験生の頃なら、ありえないシステムです。そもそも、受験では公平性等そのものが担保されなければ、その意義さえも否定されるものだからです。尤も、私の受験生の頃では私学の医学部では点数が低くても、お金で合格できるという学校も多くありました。したがって、そういう私学の医学部は偏差値も低く、評価も低かったものです。その後は、お金で入学させなくても優秀な受験しが集まるようになってきて、現在がありますが、一部では女子とか多浪生には不利な合否判定が行われていた(る)大学も存在していました(す)。
 
 そもそも、我々の受験生の頃(昔)は、国公立大学での推薦入試などは皆無で、面接で判定されること自体、そこに客観的な公平さが担保できないという見方が一般的でした。だから、少なくとも大学入試だけは公平で、そこに努力したものが報われるということの拠り所でもありました。

 確かに今の時代では、入試の成績も開示請求できたりしますが、私の地元の三重大学の医学科の推薦入試に関しては開示されません。これまでも、現場からも情報開示を要求してきましたが、透明性は担保されてないのが現状で、面接でも圧迫面接を通り越して、「君の姉の医学科の成績は悪いので困ったものです」等個人のプライバシーも全く無視した面接なども行われてきました。これは実際にされた生徒から聞いたことですが、就職面接で行われたら、即座に職安から指導が入るような内容です。

 
 今も昔も、変わらないものの一つとして、調査書があります。基本的にはこれを同封して出願するのですが、悪しき平等性の名残とも言えるのですが、現実に高校での学校間格差が存在している中で、違う学校の評定平均を同等に比べることはできません。しかし、文科省の指導のもとで同封しなくてはいけません。昔から、大学側もよく知っていて、多くの大学では一応同封されてくるものの、ほとんど入試の判定には利用していないのが現状です。その証拠に、中には高校教員が間違った内容を書いても、大学側から指摘もしない現状があります。調査書に関しては、履習条件だけで、評定は必要ないのではないのか、そんなところも早急に文科省は検討すべきだと思います。そもそも、生徒の学習状況等に関しても、担任が書くのはいいことばかりで、狭い記入欄にいかに文字を小さくしながら、その生徒に有利になるようなことを工夫して書き並べること、そこには本当かな?と思われることなどもあり、担任の創作能力の差が出ると言わざるをえないような現状もあり、それで評価がなされるのなら、そこには受験生の評価に関しての公平さがなくなるのではないかという問題があります。

 いずれにせよ、今に始まった事ではないものの、大学入試に関しては公平性を担保する努力はいつの時代でも必要ではないか。だからと言って、客観テストで判定するのではなく、記述問題で科目数を多くする中で、しかも高校卒業時点で、できれば3月に入試を行うことで、時間的な公平さも担保してほしいものです。年間数百億の予算で大学入試センターを運営する必要もなく、その予算を各大学に配分して、1回の試験で科目数を多くして、全問記述式にして行うような入学試験にしてほしいと思うのは自分だけだろうか。共通テスト、センター試験、共通一次試験がありきの世代の人からしたら、違和感があるかもしれないけど、今一度原点に戻って見直してみる必要がある。どこが原点かの問題も含めての検討も必要があると思う。

 そういえば、私の受験生の頃は東大に1次試験があった。知っている人も少なくなりつつあるのでしょうね。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。