数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

青春記

2024-02-23 09:34:28 | 日記
 前々回,久しぶりに小説を読んで,気軽に読める本もまた愉しいもんだと再認識して,今回読んでみたのが,「ワセダ三畳青春期」(高野秀幸著)です.
ワセダは地名であり,大学でもあり,作者は早稲田の探検部で,下宿の三畳アパートを舞台にした青春記.
 大学のワセダは私にも関係が少しあるかと思う.受験での印象が強く残っている.受験といっても一日で終わるにも拘らず,未だに脳裏にその記憶が刻まれているのは何故だろう.
 私の受験ではワセダ界隈の小さな下宿らしき,宿を紹介されて,何と相部屋で,九州から来た受験生と一緒になり,前夜,少し話しながら翌朝受験に向かうという,今では考えられない受験前日です.夜になって,その受験生が深刻な顔をして,私に相談を持ち掛けてきました.
「私,痔になったのです.便器に血がしたたり落ちて.どうしたらいいでしょうか?」
どうしたらと言われても.その場は,その受験生の気持ちを察して,こうして話していることでも,心配しなくていいのではと話して,お互いの眠りについたことをいまだに鮮明に覚えています.その後その受験生はどうなって,どのような人生を送ったのか,今となっては少し知ってみたい.
 受験が終わってから,高校の同級生の友人と待ち合わせて,高田馬場の赤い色のビルのBIgBox(今でもあるのでしょうか?)の2階で,試験が終わって校門で待ち構えていた予備校関係者が配ってくれて解答速報を,二人でコーヒーを飲みながら自分の解答と比べ,検討をしていました.受験したのは友人も私も当時の理工学部で,私は電気工学科,友人は応用物理学科でした.確か,英語,数学ⅠⅡⅢ,理科(物理,化学)で,各54点満点だったように記憶しています.英語は易しく,理科は標準的で,数学は難しかった記憶ですが,英語で点数を稼いで,二人とも結果的には合格したのですが,そのとき,物理の問題に電磁誘導の問題があり,それも検討していて,それが後日の京大の物理の3問あるうちの1問とほとんど同じで,図も同じなのでびっくりした記憶があります.見てすぐできてしまったことも有り,結局この問題で京大も合格したのかもしれません.当時,早稲田の理工学部は受験日が3月1日で,京大は国立一期校で受験日が3月3,4,5日の3日間でした.初日の3日が午前中9時から11時半まで国語,午後1時から3時半まで数学.2日目の4日は午前中は英語,午後は理科,そして最終日の5日は社会(私は日本史)でした.今と違って,基本的に数学以外はどの科目も文系理系の区別はなく,記述式でした.
 明後日から,国公立の前期試験が始まりますが,私の受験とは隔世の感があり,違わないのは入試問題そのものかも知れません.特に京大の数学や英語は.
 さて,私のワセダ受験前夜の出来事のようなハプニングが日常的に繰り返されるアパートの話を書いたのが,この本ですが,舞台はそうであっても実は作者の青春がそこに展開されていて,光景がビビットに浮かんでくる読書は久しぶりに感動しました.
 結局ワセダには私は入学することなく,そして記憶からも薄れていき,高校で進路指導をする中で思い出すのですが,私の娘も受験で理工学部を受験するも,結局国立大学の方に入学して,またしても縁が無くなることに.しかし,娘が結婚した相手が早稲田の理工の卒業生でそこでワセダと結ばれることに.
 この小説というか,青春記は,私自身の読書の中でもいろんな人の青春記と同じように,不思議に印象的です.自分の青春をそこに被せて読んでしまうのか,はたまた,登場人物や書き手にあこがれの念をもって,自分にはできないことへのある種の畏敬の念さえ覚えてしまいます.いろんな青春記を読んできたように思います.青春記と書かれてないものの,中身は青春記と言えるそんな本をと本棚を眺めてみると
①ドクトルマンボウ青春記(北杜夫)
②ムツゴロウの青春記(畑正憲)
③青春宿命論(富沢一誠)
④京都よ,わが情念のはるかな飛翔を支えよ(松原好之)
⑤8月の犬は二度吠える(鴻上尚史)
⑥ハイスクール1968(四方田犬彦)
⑦先生と私(四方田犬彦)
⑧先生と私(佐藤優)
⑨風来記(1)(2)(保坂正康)
⑩戦後が若かった頃(海老坂武)
⑪ある戦後精神の形成(和田春樹)
⑫とぼとぼ亭日記抄(高瀬正仁)
⑬オレの東大物語(加藤典洋)
等が目についた.
現実は小説よりも奇なりというように,ノンフィクションを読みながら小説よりも読みやすく感じるのは自分だけではない気がします.私より年下の作者の青春記を読めるようになって,自分の年をふと考えるこの頃.

 去年までは受験生を教えていたので,この時期になると大学受験を思い出しますが,ある意味,人生で一番公平ともいえる入試に向かう受験生の頑張れと言いたくなります.
 あの政治家も純粋な受験生の頃を思い出して欲しいものです.




小林秀雄

2024-02-21 16:41:46 | 日記
 前回「久しぶりの小説」を書きましたが,私の読書習慣の始まりは,中学3年からでした.それまで本を読む習慣がなく,暇な時間は小学校ではソフトボール,中学では卓球ばかりで,ともにレギュラーで中心選手であったので,練習や試合ばかりで,落ち着いて本を読むこともなく過ごしていました.
 中学3年になって,地元の公立中学から三重大学教育学部付属中学に転向して,バスと近鉄電車を乗り継いて2時間近くの通学でしたが,たまたま松阪駅から近鉄で津までの車内で,一緒の通学していたK君が電車の車内で本を読んでいるのを見て,暇つぶしに自分も読んでみようかと思ったのがその始まりです.振り返ってみると,バスの30分,近鉄の30分の乗車時間は時間的にもうってつけの読書タイムです.眠くなったら寝ればいいし,30分くらいなら集中力ももつかなと考えたりしました.結果的に,ここでの読書習慣がその後の自分の読書にも大きく影響を与えることになります.そのことについては,またの機会に書きたいと思います.
 最初に読んだのは,転校した中学の国語の時間の影響が強く,何故か小説ではなく,随筆や評論が中心でした.それは,授業では教科書はあまり使わずに先生が刷ってきたプリントの文章を読むもので,高校よりもレベルが高かったと今でも思っています.その授業は小林秀雄の評論や亀井勝一郎の随筆や短歌に関しては,学燈文庫の現代短歌を使ってのものでした.内容に関しては,印象的で,それまでの国語の授業とも違って,自分的には興味を覚えていましたが,その先生がどうも依怙贔屓をするような態度で,幼心に反発心が少しありました.
 前回のように,久しぶりの小説を読んだら,当時のことを思い出し,評論と言えば当時は小林秀雄が一番に浮かんできたので,今回手に取ってみたのは,

 当時は大学入試でもよく出題された小林秀雄ですが,中学3年生では難しいのでしょうが,何もわからないまま,プリントを読まされていたように思いますが,中学3年生の自分には教科的に一番難しく感じたのが国語でした.今回読んでみると,非常にすっきりとした文章で,よく推敲されている印象が強く感じられます.小林秀雄はたとえ講演であっても,それを推敲してから出版許可をするということらしく,講演でも読みやすいのが特徴です.この本を読んで小林秀雄を改めて教えてもらった気がしました.
 以前,数学者の岡潔との対談を読んだ記憶もあり,自然科学への意識が強く感じられる文章が目につくのも特徴で,昔読んだ評論も読んでみたくなりましたが,はやり,小林秀雄の晩年の代表作の「本居宣長」がじっくり読んでみたい本です.
少し読み始めると,私の住んでいる松阪の記述も多く,急に本居宣長の奥墓に行ってみようと思い立ちました.
 実は本居宣長の奥墓のある妙楽寺は位置的に私の住んでいる集落からはちょうど山の裏側に当たります.まだ鉄道もバスもなかった私の祖父の時代は徒歩で松阪市内まで行くというので,その当時の道が,微かに残っています.私の住んでいる集落は御麻生薗(みおうぞの)町という名前で,その由来は,伊勢神宮に奉納する麻を作っていたことかららしいです.実際に上記の妙楽寺の近くには,

こんな標識も立っています.読み方は「みおうぞの」→「みおぞの」と発音することが多いので,このようになっていますが,漢字からすると始めの読み方になるかと思います.私の祖父は小学校を上がって,その後市内で英語を習うために,この道を歩いて松阪城の近くまで通ったと聞いていました.片道15km程はあると思われます.私が小学校の6年生のとき,先生から遠足で本居宣長の奥墓に行きたいので,道の下調べをお願いされたことがありましたが,当時でもすでにその道ははっきりわからなくなっていて,道に迷ってしまった思い出があります.最近は少し草を刈ったりして,ハイキングができると聞いているので,今度行ってみようかと思っています.
 今回は,車で,市内から奥墓のある妙楽寺へ行きました.駐車場の車を止めて,階段を100mほど上がると,

妙楽寺の境内に到着できます.今は本殿を修理中ですね.本居宣長はその遺言で,自分の墓は妙楽寺へと書き残していて,その墓を奥墓と言って,この境内からさらに急な山道を100mほど登って行ったところにあります.

谷の深い山道をゆっくり上り下りしながらも,静かで山の音が聞こえる感じの落ち着いた雰囲気に何とも言えない心の落ち着きを覚えました.そういえば,梶井基次郎の「城のある町」も松阪がその舞台でしたね.そんな身近な地元の町の歴史文化もゆっくり味わっていける時間を大事にしたいと感じた一時です.