数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

久しぶりの小説

2024-01-31 17:29:39 | 読書
 前回の加藤文元氏の
は、久しぶりに読み直したくなる本で、YouTubeでも関連した動画が見られて、IUT理論への取り組み方も半端でないことがうかがわれ、大学の職を辞して取り組まれているようで、東工大の教授を辞めてまでもかと、驚いています。
 久しぶりに小説を読みたくなりました。舞台が良く知っている私の青春の場所でもあり、懐かしさがそうさせたのかもしれません。
直木賞を受賞した作品ですが、京都を舞台にしたデビュー作も気になっているので、次はそれをと思っています。御所グランドでは私も野球をしたことがあり、懐かしさを憶えます。いくつかグランドはあるのですが、たぶんあそこかなと想像もつき、細かい御所の描写も分かるのはありがたい。京都に住んだことのあるものなら、「御所」と言いますが、そうでない方は、「京都御苑(きょうとぎょえん)」とか言ったりして、私も知り合いの名古屋の方がそう言われて、自分がきょとんとした顔をした覚えがあります。
 この本の前半は「12月の都大路上下る(カケル)」で高校女子駅伝の話です。両方とも、幻のような出来事が起こります。振り返って、今まで読んできた小説で、京都の青春物として印象に残っているのは、
この2冊は予備校を舞台にしたもので、昔を思い出させてくれる印象深い作品です。
 続いて、亡くなられた文芸評論家ですが、生き様が印象的で、気になっていいる加藤典洋氏の
その日の日記を読む感じで、こんな文章が書けたらと思ってしまいます。



高校卒業後

2024-01-24 14:58:53 | 読書
 同級生の友人の誕生日に「おめでとう」とメッセージを送ったら、お互い高校卒業して50年になると言われ、ふと時間を考えてみました。私の高校3年生の時点から50年前は大正時代で、アインシュタインが来日したころでした。書籍でしかその時代は知らなくて、終戦までの20数年だけでも日本の近代史の中で、激動の時代という印象があります。戦後の中で、私が生まれてから高校卒業時点までは、日本のいわゆる高度経済成長の時代です。「もはや戦後ではない」と経済白書で言われてから、第1次オイルショックまで。さらに高校卒業してから50年という時間の長さを思う中で、日本の戦後史も少し勉強してみたく思い始めました。
 自分が生きていた時代は、実体験として記憶があるので、歴史と意識はしていなかったのです。歴史とは自分が生きていなかった時代のことだと思っていましたが、自分が年を取ることで自分が生きていた時代も歴史として考えてみたくなりました。
 大学入試でも、いまだに自分の入試のことは記憶が鮮明ですが、一つの歴史としてとらえてみることも面白いと感じました。振り返ってみて、戦後史に関しては、あまり本も読んでいなかったので、今回少し読んでみようと買った本が、次の本です。
 駿台予備学校の先生が予備校の講義をベースに書かれた本で、大学入試を意識した本で、バランスが良く、また文化史などもきちんと書かれている本で非常に読みやすい本で、読み間違いやすい人名等にはフリガナが振ってあり助かります。同じ著者の本ではこの本の後に出版されてはいるのですが、以前に読んだことがある本に
がありますが、同じような理由でこの本も読みやすい本です。福井氏は駿台予備学校(予備校とは言わないのですね)で教鞭をとられていますが、同じ日本史で私の受験生のころには、
という本格的な日本史の参考書はありました。もっともこの本が出版されたのは私の受験が終わった時で、使うことはありませんでしたが、この著者の安達氏の学兄である金本正之氏は当時の駿台の日本史では人気のある講師の一人でした。
 ところで、この出版社の研文書院は今はなくなりましたが、私の受験生のころは俗に黒本とその後呼ばれることになる、「大学への新数学」という黒い表紙の本が本格的な数学の参考書として定評がありました。当時の本はありませんが、その後の黒本は、私が数学を教えるようになってからも参考にしておりました。

最初のころの著者は、数学では藤田宏先生、中田義元先生、根岸世雄先生でしたが、東大の学生サークルで「東大文化指導会」という名のもとに、東大受験生のための模試などを手掛けており、そのメンバーだった学生がその後大学の先生になって、この参考書の著者になっていました。藤田先生は東大理学部数学科の教授で、理学部長も務められた世界的な解析学の権威です。また、中田先生は東京理科大、根岸先生は東京薬科大学の教授でした。一方、中田、根岸両先生は、駿台で教鞭も取っておられ、私の受験生のころは、駿台の数学ではもう一人の野沢先生を含め中田、根岸、野沢の頭文字Nをとって、3Nと称して有名でした。最近出版された

にも、この駿台の先生に関する記述がありますので、参考になります。また、その後黒本の著者に名前を連ねている数学者の長岡亮介先生は、その藤田先生の弟子にあたります。
 私の受験生のころの参考書の著者は一般には名前だけで、実際の執筆者は別にいて、名前だけを貸している場合が多かったようでした。事実、当時チャート式数学の著者であった京大のある先生が、実は私の1回生の時の微積分の担当でしたが、実際にお聞きした話では、名前だけ貸していると、本人が言っておられました。しかし、研文書院の黒本はそこに書かれている著者が実際に書かれていた本である点でも、信頼のおける出版社であったと言えます。今は、大学の先生が受験参考書を書くことは少なく、予備校の先生が書くことが多くなってきていますが、本格的な参考書はほとんど見られなくなっているのは残念です。
 高校の参考書のチャート式に慣れ親しんできた受験生が大学に入って、急に本格的な数学書の書き方に戸惑うことから、チャート式のような書き方をした大学の数学書が出版されるようになり、結構売れています。それが以下の本です。
青い表紙の方が、受験参考書の青チャートを意識してその記述の仕方と同じスタイルです。白い方は、その理論的なところを補うスタイルで書かれた本ですが、著者の加藤文元(ふみはる)先生は執筆当時は東工大の教授で、現役のバリバリの数学者がチャート式を意識して書かれたので、びっくりしましたが、内容的にはレベルは低くはなく、その点でも青チャート式を意識しているかもしれません。青チャートを使いこなしていた受験生がそのまま大学に入って、大学1年生で習う微積分と線形代数の参考書という狙いになっています。大学数学の本が読みにくいと感じる大学生にはまさに助かる本だと思います。その点でも、著者の加藤先生は教育的な視点でも、これまでも啓蒙書もたくさん書かれており、その視点からも尊敬できる先生ですね。最近の本では
が一般読者向けに書かれていますが、これまでも、
などを書かれており、私より若い年齢の数学者で、啓もう活動にも積極的にかかわられており以前から注目していました。どうも定年前に東工大を退職されて、新しい仕事をされているようですね。加藤先生は大学の後半から生物から数学に転向されて、素晴らしい業績を上げられているようで、IUT理論の紹介にも積極的に関与されています。


共通テスト

2024-01-15 07:47:18 | 大学入試
 共通テストも終わり,1週間になり,リサーチも一段落して,殆どの受験生は志望校に向けて2次対策の時期になりますが,私学の一般入試も近づく中で,なかなか感覚が戻らないと感じてる受験生も多いかもしれません.
 理系の受験生では,数学Ⅲは1か月以上勉強から遠ざかってる人も多いのではないでしょうか. 

 さて,センター試験、その前は共通一次試験、そして今は共通テスト。これらを経験した年齢層も60歳代を超え、これらの試験が当たり前の感覚であることに、私自身が,少し違和感を憶え出してから、暫くたちます。

 私はその世代ではなく、一期校に二期校の世代です。私の年代の6年後から共通一次が始まります。なぜ、共通一次が始まったか。当時の文部大臣、永井道夫は、「東大を頂点とする日本の大学の偏差値による構造を八ヶ岳のような各大学が競争して切磋琢磨するような構造にするために、受験地獄といわれる偏差値によるランク構造や,合格への一点刻みの入試や、難問奇問をなくすため等」という発想のもとに実施されました。

 この世代にとっては、この試験の功罪を経験値として、これらの試験がないころを知らないので、冷静に比較できない点で、この試験制度を問題点を分析することを難しくしていると思います。

 振り返れば、この制度ができて45年の時間の経過がその分析を曖昧にしているともいえる。18歳を考えれば、私の高校3年生の時から45年前といえば、昭和初期、戦争がひたひたと足音を立てて迫ってくる不安な時代です。高校の日本史の授業では時間もなく、教えてもらう機会もなく、ただひたすらに自分で教科書、参考書を読み、自学自習して大学入試に向けて勉強した時代区分でもあります。社会格差という点では今からの45年前と比較すると、当時の45年前ははるかにその格差は大きかったといえます。

 こんなことを思い浮かべながら、戦後史を少し勉強したくなり、本を読み始める機会になったのも一つの要因ですが、それについてはまた別に書きたいと思いますが、この試験制度に関しては、始まってから今に至るまで、違和感が常に付きまとっています。私の教師としてのキャリアの中で常にこの違和感が付きまとっていたともいえます。そのいくつかを列挙すると
① なぜ大学ごとの試験だけでいけないのか。
② 実質、12月までで高校の授業を終えないといけない。
③ 特別の訓練をしないと対応できない。個別試験対策と共通テスト対策。
④ 模試を共通テスト用と個別試験用と2種類が必要。
⑤ 共通テスト用の進路事務の負担。
⑥ 共通テスト後の進路指導の増加。
⑦ 共通テスト利用の推薦入試進路指導。
が思い浮かびます。

①について。この試験制度が始まって、今に至るまで変わらない疑問点の一つです。各大学が必要とする学生の資質を測る学力試験は、各大学の判断で作問すればいい。記述試験を入れて、科目を多くすることで、十分に受験生のその大学に必要な学力を識別できる。さらに大学入試センターに年間数百億のお金が使われ,天下りの温床になっているとも言われています.

②について。教科書の後半部分の分野も教えるとなると、1,2年生で学ぶ科目と例えば多くの高校で3年生で学ぶ日本史では授業での扱いだけでなく、共通テストの選択にも影響がおこる。また、教科書の厚い教科の世界史や日本史は理系では選択者が少なくなる。共通テストを意識したカリキュラムや選択教科が必要になり、学校によっては、選択科目の関係で東大の文系を受験できないカリキュラムになる。つまり、世界史、日本史の同時選択ができない等。

③について。記述式試験でなく,マークシート式であること。さらに,例えば、国公立の個別試験の数学で、時間不足で解けなかったとか、時間に追われてできなかったということはほとんどないが、共通テストではこの時間との勝負が出来不出来につながる。思考力を見るというより、時間内にいかに効率的に解答するかが、この試験のポイントである。実際に数学の問題を解くことでしか、その感覚は理解しにくい。そのことを踏まえての議論がこれまでも少ない。数学では、普通に問題を読むだけで、試験時間の半分以上はかかります。特に数学ⅠAのデータの分析では。

④について。駿台・ベネッセや河合塾の模試をみても、3年生では記述模試とマーク模試という2本立てが確立しているし、模試の回数が必然的に2倍になっている。さらに、旧帝大系の大学には、東大模試や京大模試なども必要になり、3年生になると、土日は半分が模試の受験日になる。特に、マーク模試は本番の試験は2日間であるが、模試は1日なので、早朝から夕方までびっしりの時間でへとへとになる。当然それらに対応した進路指導事務が増加する。模試の希望者を募り、その受験料を聴取するのも進路指導です。学校実施では、会場設営から選択教科による教室配置など難しい業務も必要になります。その分受験料は安くなりますが,先生の仕事は増えます.手当はなく.実際の共通テストも科目選択、文系理系を意識してで会場が設営されていますが、模試のたびにそれを実施していく高校の進路指導を一度見学してほしいものです。

⑤について。7月には、大学入試センター主催で全国何か所かで、3年生が受験する来年」1月の共通テストの説明会が行われます。東海地方では名古屋大学でした。長時間にわたっての説明会で、この地方の公立私学の高校の進路担当の先生、多くは進路部長が出席します。そして9月に入ると出願書類が送られて来て、9月中に3年生に説明会を開き、3年生の受験希望者に配布して、出願書類を担任がチェックして、進路指導部がまとめて大学入試センターに送付します。以前、ある高校で、期限までに出願をし忘れていて、受け付けてもらえなかった事案がありました。生徒の一生を決めるともいえる試験でもあり、緊張感がある作業が続きます。その後、受付票が学校に送られてきて、確認して間違いがなければ、12月までに受験票が届きます。それを持参して、1月の13日以降の土日に共通テストがあります。必ずしも同じ受験会場とは限らないので、生徒は前日には試験会場の下見をするようになっています。前々日には受験生徒を集めて激励会を行います。冬休みは、最後の追い込みで、この時期は共通テスト一色になり、毎日テスト練習に明け暮れます。どの業者の教材を使うかも事前に協議しないといけません。12月の保護者懇談会に向けて、多くの高校ではそれまでの生徒の学力を検討して志望校を把握するために、進路指導部と担任での進路検討会を行います。多くは、2学期の期末試験中に行いますが、生徒一人一人についての志望校の検討です。そこでの話をもとに、12月の期末試験後の保護者懇談会で、担任から生徒保護者へ情報提供が行われ、共通テスト前に一応の志望校を決めておきます。

⑥⑦について。共通テスト試験会場には当日の早朝に、早朝6時ごろに進路指導部は、生徒応援のために、のぼりやお菓子やチョコレートを持って、大学の入り口の指定の場所で場所取りが始まります。担任の先生や有志の先生も開始時間の2時間前までには集合して、生徒の到着を待ちます。生徒は先生を見つけると頑張りますと笑顔を見せ、先生は頑張れよとチョコレートやお菓子を渡し激励します。それは試験開始30分前まで続きます。生徒の列が途切れた時には、顔見知りの先生同士が久しぶりの再開に話の花を咲かせます。公立の先生は学校が違っても、以前同じ職場であったりとかで、懐かしい話に花を咲かせたりできる、緊張感もある中でのひと時のリラックスできる時間です。一方私学の先生は転勤がないので、基本的に知っているのは同じ学校の先生だけなので、ほかの学校の先生と話すこともなく、雰囲気が違います。生徒が入場して、試験が開始されると、先生も三々五々解散していきます。翌日の日曜日も同じです。実は翌日の月曜日からの1週間が予備校も進路指導部も最も忙しくなります。月曜日には、予備校やベネッセからのセンターリサーチ用の用紙と解答が送られてきて、それをもとに、自己採点して志望校を書き、業者に午後には渡します。これが全国で行われています。そして水曜日の夜には集計が終了して、それをもとに平均点や各大学のボーダーラインが作成され、木曜日には各生徒にリサーチ結果が渡されます。このデータはその後ベネッセ等では大学の難易度を作る基本データです。したがって、どの業者もこのデータが欲しくて、何とかこのセンターリサーチに参加できないか、営業面での活動が必死になります。月曜日に書いた志望校の志願者内の順位や可能性についての資料が送られてきて、それを見ながら志望校を再検討して、2週間後の出願締め切りまでに志望校を決定して出願します。この木曜から特に思ったより成績が良かった生徒の中から、急に共通テストによる推薦入試の出願が出てきます。締め切りが1週間もないくらいで,切羽詰まっているので、すぐに推薦会議を開き、その可否を決定します。その間、思ったより成績が悪かった生徒は志望校変更を考えますが、現実に自分の持ち点が決まっての志望校決定ですので、12月時点とは全く様相が違ってきます。半数ほどの生徒は12月時点とは違った志望校になり、ここから2次試験に向けて本格的に対策が始まります。この間、進路指導部では、生徒の進路相談以外に2次対策として志望校別の個別対策を実施していきます。私も例年、10校くらいの大学別の数学の対策を生徒別に個人添削を始めていきます。この時期に生徒が個別に先生に2次対策をお願いに行く先生が実は最も実力のある先生で、先生の実力が生徒によって判定されるというわけです。

 以上が共通テスト「あるある」ですが,意外と教育現場のことは知られてないのではないでしょうか.大学の個別試験だけで,科目数を多くして,記述式で,試験期間も3日間くらいで,試験日は3月.少なくとも国公立はそうあってほしいですが,50年近くたちますが,その思いはほとんど変わりません.そういいながら思い浮かべるのは,昔と今では教科書は大きな変化を感じませんが,参考書は大きく様変わりしています.まだ勉強の仕方もそれに伴って変わってきています.それについては,また別の機会に.