数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

これからはソファーに寝転んで

2020-06-18 19:27:20 | 読書
 疲れた時、書斎で横になる気分は最高です。気持ち良く寝られるのは年を取ってきたからか。その代わり、どうも寝室ではぐっすり寝られない。これも年を取ってきたからか。

 年をとることに対して、妙にネガティブに考える自分にも少し嫌気がさしているこの頃ですが、私より3歳ほど若い、と言っても60代には変わりないが、岡崎武志の「これからはソファーに寝転んで」を読んで、大人だなあと、私の幼さを恥じる今日この頃。

 いい歳の取り方を読ませていただいと感謝しています。

我が寝室にある、少し変わったベッド。

寝ごごちは抜群です。これは、鯉釣り(CarpFishing)で使われる、特にイギリスなどではポピュラーなテント内に設置して、アタリを待ちながら、時には寝るためのベッドです。普段は、書斎に置いています。

 以前岡崎氏の
は読んだことがあるのですが、もう忘れてしまったので、パラパラめくってみると思い出す記述もあり、感性は年代的に似ている部分もあり、ホッとして、最近は行き帰りの列車の中で読んでいます。

学生時代は、京都は喫茶店が多く、朝7時から夜11時頃まで開いている店も多く、朝7時にモーニングを食べながら朝刊とスポーツ新聞を全部読み、カバンから本を取り出してまた読む。空いた時間にまた喫茶店で本を読む、そんな学生時代を共通の思い出として持てる世代は我々の世代かと。そんな喫茶店も少なくなってきた。下宿の近くにあった喫茶店も今はほとんどなくなっているようで、京都に行っても思い出は少なくなりつつある中で、本の中でそれを発見できる喜びはまだあるかなと、ホッとした1日でした。

シャープペンシル

2020-06-17 16:45:04 | 万年筆とシャープペンシルとノート
 仕事柄、ノートにシャープペンシルで書くということが多く、その原稿をもとに、パソコンでTexを使って教材や原稿にするという作業をしていますが、必然的に、シャープペンシルとノートを使っている時間が多いと言えます。

 この10年以上使っているシャープペンシルを紹介します。
それが、写真の左に写っている「ぺんてる」のTUFF0.9です。芯の太さが0.9mmあるため滅多に折れません。また大きく書くので、図やグラフをフリーハンドで描く際にも便利です。このシャープペンシルとノート(大学ノート)の組み合わせが私の商売道具ともいえるものです。10年以上使っているこのシャープペンシルの一つの特徴は芯が太くて折れないことのほかに、消しゴムが写真のように長く、さらに十分に消しやすいのです。他のシャープペンシルの消しゴムはほとんど使い物にならない程度の付け足しのようなものですが、この消しゴムは十分に実用に耐えます。したがって、別途消しゴムが必要なく、便利です。5本まとめて買っておいて常にストックしてあります。とはいえ、耐久性もあり、生徒にも勧めてきました。また、使い慣れてくると、これを使って考えると数学の問題も解けるようになるそんな魔法のシャプペンシルになりつつあります。

 他にも、写真右にあるようなものを使っていますが、あくまでもサブ的な使い方です。値段も安く、5万円の万年筆より利用価値は圧倒的にこちらのシャープペンシルが上回っています。
 パソコンを使い始めてから、シャープペンシルとキーボードは使い慣れることで原稿や教材の出来具合を左右することを実感しつつありますが、使い慣れた道具は何においても大切ですね。

誰にも言えないこと

2020-06-17 14:43:44 | 数学 教育
 大人になって、結婚もして、子供もできて、社会人としてそれなりに生活を送っている中にあって、誰にも言えない、妻にも子供にも言えないことって、誰しも一つくらいはあるのではないでしょうか。

 先日、釣り仲間と話す中で、そういうことを仲間がふと漏らして、自分にもあることを悟らせてくれました。釣りと言っても、一般的な海釣りやバス釣りではなく、鯉釣りですが、全国的には珍しい釣りではありますが、非常に凝っている釣り人もあり、そんな釣り仲間と琵琶湖や余呉湖で月に何回か一緒に竿を出すことがあります。

 なかなか当たりはなく、1回の釣行で1回あたりがあれば十分で、3泊4日でも全くあたりが貰えないことも十分にありえます。そんな釣りですが、時間はたっぷりあるので、時には鯉釣り談義だけでなく、真面目な身の上話もします。

 私の場合の誰にも話せないことというと、大学で十分に、自分で納得できるまで勉強しなかったことです。適当に就職して、適当に実家に戻って、教員として過ごしてきた中で、いくら環境や仕事内容が変わっても、自分の心の中で公開と自己嫌悪を持ち続けていたその原因がそのことです。

 今から20年前に仕事も落ち着いて、子供も中学小学生になり、日常性の中に自分も埋没しかかっていたにもかかわらず、もうこれ以上年をとったら、年齢的には無理かなと思って、大学で2年間、数学研究をすることになりました。今では、そんな制度もなく、実現できませんが、当時はまだ今とは違って、恵まれていたのかもしれませんが、大学でも費用は自己負担ではあるものの、給料は保証されてのいわば、内地留学のようなものでした。もちろん、やってみたいことがその当時あり、その分野の専門家もその大学にはおられたので、教えを請いながらその先生の門を叩いたのでした。先生も忙しい中、研究室で受け入れていただき、2年間お世話になりました。

 実感したのは、思った以上に年齢からくる理解度の遅さや忘れることの多さでした。それを実感するたびに、またしても大学のときの不勉強を後悔するのでした。

 しかし、自分にとっては後悔しても始まらないので、読み始めた最初の論文が

この本の中にあるブッフバーガーの有名な基本的な論文でした。

基本的な論文なので、何回も舐めるように読んだ記憶があり、そのうち英語で読むことにも抵抗がなくなってきて、英語で理解ができるよになってきました。

 高校で数学を教えると言っても、高校生と同じレベルの理解度では教えていては話にならないので、いかに日常性の中で意識して自分が勉強するかは、高校の教員としては忘れてはいけないことだと今も思っています。もちろん、予備校で教える中でもそれは同じことが言えると思います。

 この2年間の勉強では論文を書くということではなく、数学を高校生や予備校生に教える中で、教師としていかに勉強するか、その意識を持ち続けるエネルギーをもらった気がします。当時の研究室のS教授はすでに退官されまし他が、その研究室の大学院生の中から、今大学で数学者として立派に独り立ちして研究に教育に励まれています。



人と会う力

2020-06-17 08:29:13 | 読書
 最近、意識的に人と会うようにしている。仕事の関係で、予備校で教えていると、職場では、挨拶する程度の同僚教員との会話も少なく、1年を振り返っても、この1年間で、職場の教員で、まだ名前すら知らない、話もしたことのない講師もいるくらい。

 仕事が変わって、1年、電車で通勤するため、これまでの車通勤と違って、人はよく見るが、話す機会は減ったかな。無駄話をすることも減ったが。

 転勤で、学校が変わった時もあったが、同じ教員だという関係で、物理的な距離も変わらず、それまでの人間関係とも大きな差異はなく、過ごしてきたが。三重県から名古屋という地での転勤、それも高校教師から予備校教師への転身でもあり、人間関係の変化も大きくなった。とはいえ、60歳を過ぎて、今更感もありで1年を過ごしてきたものの、こういう機会に新たに連絡を取ることで、疎遠になっていた関係から新たな関係ができることもあると考え、何人かに挨拶代わりに連絡を取ることに。

 学校時代によく情報交換をしていただいた予備校の営業担当のTさん。今年から単身赴任で大阪に転勤とか。そういえば、2年ほど前に転勤があるかとも話していたことを思い出す。滋賀県が担当らしく、私の教え子が滋賀にいるので、一度是非と話す。これを機会にとその教え子にも連絡を取ると、懐かしく話しが弾み、これを機会に、教え子にも何人か連絡を取ることに。皆今は仕事も最前線で忙しく頑張っているようで、また是非会いたいとの言葉になんだか力をもらう感じです。連絡する前には、少し力が入る感じですが、それは心の扉を開ける力かもしれない。

 そんな今の時期に、たまたま予備校の近くのジュンク堂で買ったのが、

著者の岡崎武志さんは僕より3つほど年下の作家?です。ここには、人に会うという関係性の中での自らの成長や生き方への仕事へのインパクトというか、原動力になるものを教えてくれています。何度も読み返したくなる本というよりは、辞書のように読んでしまう感じもある、そんな本。この人は京都の立命館大学だったので、京都のどこかで学生時代、すれ違っていたかも。本の中には、懐かしい喫茶店の名前も。シアンクレールという喫茶店、今はもうなくなってる。人の書いたものだと昔の感じがするけど、自分の中でも思い出として、つい最近のような感じです。そんな話ができる人も少なくなってきたような気がする。でも本の中では、すぐに打ち解けて話が聞けるそんな青春の思い出かな。

 

高校進学率 大学進学率

2020-06-14 07:06:55 | 読書
 先日、同じ予備校の講師の先生で、40代の方と話す機会があり、びっくりしたことがありました。

 受験生を教えるという同じ立場から、お互いの大学受験は当事者意識として、記憶に残っていて、ある意味その対比として、今の受験生の状況を見ることがあります。しかし、私から見たら、年下の40代の先生のころの受験状況は教員として、経験はあり、ある程度の雰囲気は今の思い出されます。

しかし、逆に、40代の先生から、60代の世代の受験を想像することは意外と難しいのではと、その先生との会話で実感しました。私の高校卒業が1973年3月です。東大の入試が中止になったのが、1969年3月です。この60年代から70年代にかけては、教育関係では高校進学率が年々伸びた時期でもあります。

 文科省の学校基本調査によると、高校進学率が68年(76.8%)、69年(79.4%)、70年(82.1%)、71年(85%)。一方、大学進学率は69年(21.4%)、70年(23.6%)、71年(26.8%)、72年(29.8%)、73年(32.7%)、74年(35.2%)、75年(38.4%)とこの時代の高校進学率、大学進学率の伸びはそれ以降も含めても驚異的な伸びの時代であることが伺えます。大学進学率が5年で、15%も延びています。

 実は、40代の先生が、私の大学受験の時代認識を集団就職の時期で、大学進学率も低い時代であったのではと思われていたのです。確かに、私の時代の前後5年で大きく様変わりが起きているので、10年時代を遡れば、全く状況が違っています。そこの変化がそれ以降の時代と大きく異なります。

 その話をした直後に、職場近くのジュンク堂書店で、購入したのが、
という本です。この本では、戦後の60年代までの、教育の中で、青年学級や、定時制高校等に視点を据えて、戦後の混乱期から、高度経済成長にかけての学校教育を今までにない切り口で、書かれていて、一気に読んでしまいました。

 私の時代の少し前段階での状況の継続として私の中学高校時代、そして大学受験の背景を歴史的な流れの中で、振り返ることができました。

 この本の著者も、その時代には生を受けていないということから、同時代感覚はない代わりの客観的な資料の分析により、当事者の我々とは異なった視点での状況把握ができているとも感じました。

 その時代を過ごした、自分のある意味貴重な時代感覚は今後も大切にしたいと思います。その受験期の思い出も書いていければと思います。