数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

教え子からのプレゼント

2021-12-28 18:14:59 | 日記
 一昨日の夜、現在大学3回生の教え子二人と焼肉を食べました。地元松阪でも有名な焼肉店でした。今はリタイヤした身ですが、教師をしていて、卒業後、こうして会いに来てくれるのは、教師冥利に尽きます。私自身も彼らの成長を目の当たりにして刺激をもらう機会でもあります。 

 法学部と工学部の大学生で、分野も違いますが、それぞれから違った話を聞けて、楽しいひと時です。一人は同志社の法学部でもう一人は名工大の建築科ですが、それぞれが土産を持ってきてくれて、びっくりしました。その代わりとは言えませんが、焼肉代は私が払ってやりました。また給料もらうようになったら、コーヒーでも奢ってもらえるそうですので、それまではこちらが払ってやります。

 その土産の中に、1冊の本がありました。教え子が先生に本を買ってくるというのもなんだか変ですが、今自分で勉強している本でしょうか。
少しずつ読んでみようかと、パラパラめくってみると、
 この出版社からの出版されている本で、懐かしい名前の本がありました。クリフォード・ストールの本です。私は写真本は聞いたことがあるものの読んではいませんが、二十年ほど前に、読んだのが、
です。当時インターネットが急速に発展していく中で、ある種の警告を放つような主張の本ですが、内容はあまり覚えていないので、もう一度読み直してみようかと思っています。1997年発行の本ですが、今読み返すことでその主張を検証できそうに思えます。

 教え子ももう3回生かと思う中で、自分自身は成長していない気がしてなりません。ちょうど彼らが卒業すると同時に、私のその学校を卒業して、予備校で教えるようになったのですが。そういう意味では最後の教え子というべきかもしれません。彼らは1年間は普通の大学生活でこの2年間はコロナ渦での大学生活で、名工大の学生は下宿をやめて今は自宅の松阪から通っているそうです。オンラインの講義が多いので、下宿するまでもないという状況のようです。そんな学生も多いと聞きますが、さすがに同志社の学生は京都に住んでいるようですが。

 今の大学2年生は入学後からコロナ渦での大学生活なので、それ以前とは違った学生生活であり、可哀想な気がしてなりませんが、本人達にはその違いすらもわからないでしょう。

 またもうすぐ入試が始まります。センター試験から共通テストと名前を変えて、学習指導要領も変わっていないのに、なぜ名称を変えたのか。記述問題や英語の民間試験導入が頓挫して、名前だけが変わってみたいな、なんともおかしな名称変更だけが残ってしまったという、教育行政の惨めな姿の象徴です。教育改革という名の下での教育産業と癒着した教育行政の姿さえ垣間見える状況に日本の国力の低下が反映されていると思えてなりません。






教養部

2021-12-27 08:21:18 | 大学入試
 先日自宅で教えている生徒の母親から質問がありました。京大の総合人間学部について、どんな学部なのかという内容でした。

 その昔、私が大学生の頃は、1,2回生は一般教養という科目を履修して、それを学ぶ場所が教養部という学部でした。東大は今でも教養部という学部が駒場にあり、1,2年生はそこで一般教養科目を履修しますが、東大以外の大学は、教養部はなくなり、京大でいえば、教養部を解消して総合人間学部に改組されましたが、今でもその総合人間学部が主体となって、1,2回生は吉田キャンパスで学んでいます。

 「パン教」という言われるようになり、一般教養科目が学生からも不人気となり、80年代から教養部が解消されて、教養部の先生も既存の学部に所属が変わっていったのですが、どこにも属さないような先生の所属として総合人間学部ができたのです。大学によって名称は異なりますが、名古屋大学では情報文化学部がそれにあたりました。

 教養科目としては、理系の数学から文系の国文学迄、幅広く科目があり、私の通っていた京大では今思い出しても、「パン教」といわれるほどいい加減な科目はなく、少なくとも私は、いい制度であったと今でも考えています。東大や京大だから先生も豊富で充実していたとも言えます。今も東大に残っているのは、そのあかしとも言えます。

 したがって、今残っている総合人間学部は、文系も理系もごちゃまぜの感が否めないのは、教養部の名残とも言えます。工学部や農学部のような学科制のなく、何々研究室というような伝統もない、ある意味、個人事業主のような学部といえると思います。理学部と文学部を主体にした個人教授の集まりのような組織ともいえそうです。伝統のしがらみもない代わりに、学問的な伝統もないといえます。

 就職も工学部などの学科推薦のような制度ではなく、理学部や文学部からの就職と考えた方がいいと思います。受験情報が氾濫する中で、進路指導という観点から見て、大学からの就職に関して、工学部などの就職の実態が正確に伝わっていないのが、私の教員生活においても常に付きまとっていた疑問でした。これに関しては、また後日書きたいと思いますが。

 そこには、文系主体の就職情報からの脱皮ができていなかったこれまでの大学就職情報でした。今後は、文系、理系という枠組みも薄れていく中で、どうなっていくかに関して、世界から遅れていくという様々な分野での日本の現状を考えると、不安以外何物もありません。知性や見識のない、日和見主義の日本の政治家や官僚たちに信頼がおけないのは、この30年間を振り返れば明らかです。

 東大、京大に関しては、次の本がわりと客観的に述べられているかとも言えます。
 
 著者は、灘高出身の経済学者ですが、大学は小樽商科大学です。当時(私より少し前の世代)の小樽商科大学は商科大学としては、歴史的に一橋大学と肩を並べる伝統校であるというのは知られていましたが、今の受験情報の中での偏差値ランクなどにはその面影すらありません。著者は、その後大学院は大阪大学そしてアメリカの大学へとキャリアアップされて経済学者として成功されます。この著者の本からは共通してある種の受験の影響を感じ取れる気がするのは、私だけでしょうか。

 今の大学入試に関わっての進路指導では、予備校による模試によるランキングで序列化されて、ランキング主体の進路指導で、そこには大学の伝統やら歴史もないような味気なさすら感じられます。

 物言わぬ子ども化した最近の大学生を考える中で、日大の問題などを鑑みると、50年前に起こった日大闘争をかすかに知っている私から見ても隔世の感があります。当時、今と同じような大学の不正に対して経済学部の学生が声を上げ、大学側に不正をただすために声を上げ、全学ストに発展しました。そこで、大学側の暴力アルバイトとして雇われた、相撲部やアメフト部による、一般学生に対しての暴力がおこなわれ、その中に今回逮捕されたTも含まれたとか。それだけの大学の歴史を振り返る中で、大学の不正という状況な同じなのに、声を上げた当時の学生と、ただ助けを求めるような姿勢の今の学生の対比が時代を象徴するというか、大学の様変わりに隔世感を覚えます。そこに学問の衰退がなければという危惧をひしひしと感じてしまいます。
 

万年筆の手入れは

2021-12-22 09:41:15 | 万年筆とシャープペンシルとノート
 万年筆の手入れは、毎日使うことだと、どこかの本にも書いてあった記憶がありますが、日頃なかなか手入れが行き届かないのが現状です。パソコンで書いたりすることが多くなったことが一番の原因かもしれませんが、本を読みながら、万年筆で書き留めておくことで、ゆっくり本が読めるので、この所、数学の本を読みながらノートに書き留めております。数学書は紙と鉛筆を使いながら読むものですが、その際に万年筆を使おうというのが今の私です。

 さて、万年筆を初めて持ったのは、確か中学に入った時でした。なぜか多くの同級生は入学記念ということで、万年筆を親から買ってもらったようでした。大抵は、1000円から2000円くらいのものでしたが、私の時代ではノック式の確かパイロットの万年筆が発売された頃だったかと思いますが、私はどんな万年筆を買ったもらったのかは、もう覚えていないのですが、今でも持っている一番古い万年筆は高校一年のときに買ったセイラーの万年筆です。
 
 もう買ってから五十年になるのですね。今日も使いましたが、18金なので柔らかく滑らかにかけます。この万年筆を見ると、なぜか高1の時、好意を持っていた女の子を思い出します。英語の時、何回か、私の後ろの席の時、背中をペンでつっついて、質問してきた女の子です。高校時代もときには真面目な話もできる数少ない女の子でした。大学時代も、彼女は同志社へ行ったので、同じ京都だったこともあり、結局、彼女が結婚するまで、たまに会って話をするいい友達でした。今は、どうしているのかは知るすべもありませんが、この万年筆の文字には自分の淡い青春が滲んでいるかもしれません。

 手入れを兼ねて、今日もノートに書きながら使ったのは、

です。右はペリカンのM800スーベレーンの剣先はFです。先のセイラーの万年筆と同じような、滑らかな書き味が好きです。モンブランはぼってりとした書き味は味わいがあるのですが、文字にキレがないのが後で読みにくい感じが私には感じられてしまいます。

 左は、KAWECOというドイツの万年筆で、昔、東京の上野のアメ横で万年筆を物色していて、店の人に勧められて買ったもので、ペンはスチール製ですが、なかなか自分にはマッチして書きやすいです。もう一本同じのがあったのですが、壊れてしまいました。

 この3本は書きやすいので、使う頻度も高くなります。また、なぜか綺麗な文字になるのも好きな要因です。ノートに書くのは、後で読むときに読みやすいことも大切なので、モンブランの文字は味わいはあるものの、ノートに書くとどうも読みにくく感じるのは、私だけでしょうか。

 数学の本を読みながらノートに写していくと、じっくり理解できるとともに、省略できるところは飛ばして書いていき、結局は理解が早くなる気がします。ノートの原稿がいつくかたまってくっると、それをまとめてTexで原稿にまとめていきます。そしてそれらを連結して、あるテーマで書いてみるという、そんな作業をしています。
 疲れてきたり、気分転換には万年筆を変えて、インクを変えて、またノートに書き始めると新鮮な気持ちになれます。万年筆からパソコンのTexに変えることでも気持ちの切り替えもできます。そんなことをしながら、また本を探しながら、ページをめくっていくと、興味をそそる内容に出くわすことが、また一つの楽しみにもなります。

一意性の証明等

2021-12-20 08:51:13 | 数学 教育
 ゆっくりした時間に、ふと本棚から本を抜き出して、パラパラとめくる時、思いがけず新鮮な言葉に出会うことがありませんか?
 先ごろ亡くなられた、ノーベル物理学賞受賞された益川先生の本ですが、含蓄のある、そして私自身にも当てはめられる言葉が書かれています。

 ところで、先月から、高校二年性の生徒の数学を個人的に教えています。東大を目指しているというので、個人的に数学を教えて欲しいということで、週1回日曜の午前中に教えることになりました。
 本人の高校のこともよく知っているので、半分ボランティアの気持ちで教えています。高校の授業と重複することではなく、授業ではなんとなく素通りされるところなどを補強するようなスタイルで、講義をしています。講義録も後で渡す形で、高校の数学を横断的に復習しながら、数学的な基礎をつけようという狙いです。
 入試問題を掴みに用いて、そこからいくつかの分野を復習したり、深掘りしながら講義するものです。昨日は一意性の証明について、例をあげながら講義しました。
 高校の数学の教科書の中にも、一意性に言及したところが何箇所かありますが、証明は書かれてなくて、授業でもほとんど行われていないのが高校の教育現場であると思われます。
 具体的な例としては、教科書から
❶一次独立なベクトルによる表現での一意性
❷素因数分解の一意性
❸多項式や整数の割り算での商と余りの一意性
に関しても、「知られている」と書かれていて、曖昧で、少し考える生徒が、疑問に思っても授業では証明されてないことがほとんどです。こんなところを復習の意味も兼ねて証明しながら、復習をしています。その生徒はほとんで高校の範囲の教科書も終えているのですが、新鮮な眼差して聞いてくれています。
 今回の後半からと次回で、放物線と直線で囲まれた部分の面積の公式の話から、ベータ関数、空間ベクトルと外積について話します。
 これまでは先生と生徒という立場で学校で話すことがすべてでしたが、そこでは生徒も本音を話すことはできにくい環境ですが、今は、生徒も本音を話してくれて助かりますが、そこからは、なるほどと思われることなど、生徒と先生の関係では見えなかったことも窺い知れます。また、昨日は生徒の母親も来て、ゆっくり話を聞けて、保護者の本音の聞けました。意外と保護者には学校の内部は理解されていまいのもよくわかりました。久しぶりに新鮮な気持ちになりました。


朝から万年筆のインク漏れ?

2021-12-08 10:08:58 | 万年筆とシャープペンシルとノート
 何となく、久しぶりにペリカンのスーベレーン800の緑縞を取り出して、ノーチに書き始めようとした時、インク漏れか手にインクがついて、
困りました。手についたインクはなかなか除去できなくて、写真のように指先が青くなってしまいます。石鹸をつけて洗っても少ししか右側ならない感じで、朝から気持ちがブルーです。

 このペリカン800は20年以上前に、一時期万年筆の興味を持った頃に大枚をはたいて買った記憶があります。田舎では売っていなくて、東京へ行った際に丸善で実物を見たものの、丸善は定価販売なので、上野のアメ横で買った記憶があります。その後も東京へ行く際には丸の内の丸善と上野のアメ横での万年筆の渉猟は東京でのルーチーンの一つです。一時期、「趣味の文具箱」という綺麗な雑誌を購読していたことも、その雑誌を本棚に並んでいるのを目にすると思いますくらいですが。

 最初の頃のブログにも万年筆のことを書きましたが、最近は書いていなくて、それは、実際に、万年筆を使っていないことに起因しています。普段ノートを使って数学の問題を解いたりしながら文字を書いたり計算したりしています。ノートは写真のツバメノートの50枚のノートを使っています。使い切ると100ページ書いたことになり、ひとつの目安になるからです。今本棚にはこれは30冊ほどありますが、自分の思考の痕跡とも言えます。普段、ノートではシャープペンシルを使って書いていますが、使ってるのはぺんてるのTUFF0.9です。芯が0.9mmなので折れにくく、よく消せる消しゴムも付いていて、もう20年ほど使い続けています。

 このノートを基にして、パソコンでTexを使って原稿にするという手順なので、必然的に万年筆は使う頻度が少ないのですが、時たま、手帳などでは意識的に万年筆を使うようにしています。

 ペリマンの800ではFを使っていますが、日本語を書くには、私にはちょうど良い太さになります。このペリカンの800は、手に持った重量感がそのままペン先に伝わる感じで、しっくりと手に馴染む感覚が好きです。これで日本語を書くと丁寧に綺麗に書けるようになります。

 一方、モンブランではこんな感覚とは違います。
 

モンブランの中でもよく使うのが146で、ペリカンのようなしっくり感ではなく、だらーっとした感覚で、それはペン先が引っかからないからか、日本語を書く時でも、少し崩して書く際に味が出る感じです。後でそれを読むとなんとなく味のある文字に見えるのは私だけでしょうか。

 皆さんは、どんな時、どんな紙(ノート)に書く時に万年筆を使い分けておられるのでしょうか。あるいは、常に1つの万年筆を使われているのでしょうか。

 やはり万年筆を握って、文字を書いていると、何となく心も落ち着いてきます。そんな師走の朝です。