一昨日の夜、現在大学3回生の教え子二人と焼肉を食べました。地元松阪でも有名な焼肉店でした。今はリタイヤした身ですが、教師をしていて、卒業後、こうして会いに来てくれるのは、教師冥利に尽きます。私自身も彼らの成長を目の当たりにして刺激をもらう機会でもあります。
法学部と工学部の大学生で、分野も違いますが、それぞれから違った話を聞けて、楽しいひと時です。一人は同志社の法学部でもう一人は名工大の建築科ですが、それぞれが土産を持ってきてくれて、びっくりしました。その代わりとは言えませんが、焼肉代は私が払ってやりました。また給料もらうようになったら、コーヒーでも奢ってもらえるそうですので、それまではこちらが払ってやります。
その土産の中に、1冊の本がありました。教え子が先生に本を買ってくるというのもなんだか変ですが、今自分で勉強している本でしょうか。
少しずつ読んでみようかと、パラパラめくってみると、
この出版社からの出版されている本で、懐かしい名前の本がありました。クリフォード・ストールの本です。私は写真本は聞いたことがあるものの読んではいませんが、二十年ほど前に、読んだのが、
です。当時インターネットが急速に発展していく中で、ある種の警告を放つような主張の本ですが、内容はあまり覚えていないので、もう一度読み直してみようかと思っています。1997年発行の本ですが、今読み返すことでその主張を検証できそうに思えます。
教え子ももう3回生かと思う中で、自分自身は成長していない気がしてなりません。ちょうど彼らが卒業すると同時に、私のその学校を卒業して、予備校で教えるようになったのですが。そういう意味では最後の教え子というべきかもしれません。彼らは1年間は普通の大学生活でこの2年間はコロナ渦での大学生活で、名工大の学生は下宿をやめて今は自宅の松阪から通っているそうです。オンラインの講義が多いので、下宿するまでもないという状況のようです。そんな学生も多いと聞きますが、さすがに同志社の学生は京都に住んでいるようですが。
今の大学2年生は入学後からコロナ渦での大学生活なので、それ以前とは違った学生生活であり、可哀想な気がしてなりませんが、本人達にはその違いすらもわからないでしょう。
またもうすぐ入試が始まります。センター試験から共通テストと名前を変えて、学習指導要領も変わっていないのに、なぜ名称を変えたのか。記述問題や英語の民間試験導入が頓挫して、名前だけが変わってみたいな、なんともおかしな名称変更だけが残ってしまったという、教育行政の惨めな姿の象徴です。教育改革という名の下での教育産業と癒着した教育行政の姿さえ垣間見える状況に日本の国力の低下が反映されていると思えてなりません。