数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

学び方を考える.日本史:近現代史からの警告: 保坂 正康

2020-10-28 21:10:50 | 日本史
 受験勉強から学びのきっかけを掴むことは、だれしも経験があることですが、私の場合は、日本史に関しても特に強く感じています。小中学校とは違って、日本史の中で、特に明治以降の近代史に関して、殆どが高校の日本史で学んだとも言えます。
 しかし、学んだという背景には、授業で教えられたとかというのではなく、自ら教科書等を読みながら、史実を覚えながら次第に歴史の流れを自分なりに掴んでいくという経験を受験勉強の中で学んでいったと言えます。
 昨今、近代史の教科書の中における扱い等の議論の中で、歴史教育の見直し等も議論されたりしますが、議論をする当事者たちは高等学校の教科書を授業で教えられたことで、自らの歴史認識が構築されたとは思っていないにもかかわらず、歴史教育を見てしまう傾向があるとように思います。確かに受験勉強で多くの知識等は身についたと実感している人は、私自身を含めて多いとは思いますが、それが学校で教えられたと結び付けるには無理があることもわかるはずです。

 実際、私など理系の受験生は、今と違って、社会科として、地理、世界史、倫理、日本史、政治経済とすべての科目を履修しました。受験科目も日本史でしかも文系と同じ記述式問題でした。実際の授業は、日本史は江戸幕府の寛政の改革辺りで、授業は終わって、それ以降の歴史に関しては、自分で教科書を読み、資料集も参照しながら、自学自習でした。

 日本史に限らず、多くの科目に関しても、同じような状況でした。そんな自らの経験からすると、確かに今の受験生は、学校で、塾で、丁寧に説明を受けていますが、逆に自学自習という面での学び方に関して試行錯誤するという経験が少ないように感じます。自学自習は何をどう勉強するかという出発点から考える必要があり、また試行錯誤も伴います。しかし、この試行錯誤の経験は勉強をするうえで大切なことであると思います。効率だけの中からは,なかなか学問や学びへのモチベーションにつながらないように思います.

 教えてもらってなかったら、自分で勉強するということの大切さは忘れてはいけないと思います。教えてもらってないと愚痴をこぼす生徒は、殆どが教えてもらったことも忘れています。自分の胸に手を当てて考えれば、わかることです。自戒を込めて。

 丁寧に教えてくれる先生がいいとは必ずしも言えません。学ぶ意欲を喚起してくれた先生がいつまでも心に残っているのは、私の経験からも癒えます。
 私の高校1年生の時では、数学のN先生でした。非常勤講師の先生でした。週に3回、2時間都築の授業でした。特に黒板に書いて説明をしてくれるわけでもありません。2時間続きの授業で、50分の授業がおわっても、職員室へ戻らず、教室にいて、休憩していて、質問を受けたりしてくれました。そんな中で、ふと話してくれた話をいつまでも覚えているという経験は私だけではないと思います。時折話してくれた先生の高校時代の話など、今も脳裏に残っています。受験的なことを教えてくれるわけでもなく、自分で勉強したくなる気持ちにさせてくれた印象が強い先生でした。それに引き換え、高校2年生の時の数学の先生は、数学を教えるというより、数学の楽しさを教えるというより、ひたすら問題をやらせるという授業で、それをありがたく思っていた生徒もいたとは思いますが、私は押し付けられる感じで楽しくはなく、たまに先生に質問すると文句を言うという風に言われ、愕然としました。私は、その発想がどこから来るのですかと尋ねたのですが。総じて、今自分が数学の教師として、教えてきて思うことは、当時の私が教えてもらった高校の先生の中には、しっかりした数学的な素養がある先生はほとんどいなかったといえます。
 その意味からしても、自分で勉強するという自学自習の大切さは時代を超えても大切なことだと感じています。数学や物理等の科目では、自学自習は難しいですが、日本史などでは高校生段階でも自学自習は可能だと思います。教科書を読んで史実を覚えながら、覚えてくると歴史的な時間の流れがわかってきて、加速度的理解が進んでいくのが実感でき、それが楽しさにつながります。
 そんな自分が受験勉強で学んだ日本史でしたが、特に、興味があるのは、明治以降の近代史であり、それは自学自習の結果学んだものですが、折に触れていろいろな切り口からの話題を本から学んでいます。昭和史や、大正ロマン等は特にいろいろな切り口から学ぶ読む楽しさを今も持ち続けていられます。

 毎年夏休みには、特に昭和史に関しての本を読むことが多いのですが、読みやすいのは、保坂正康氏や、半藤一利さんの本ですが、最近読んだのが、「近代史からの警告」(保坂正康著:講談社現代新書)です。

コロナ禍という今年の危機に際して、歴史的な特に日本の現代史を顧みての「危機」を過去からもう一度考察する中で、今の「危機」に対して、国が政治が、社会がどうあるべきかを考えるヒントを与えてくれています。5・15事件やその他の歴史的な事件とその危機に際して、どうであったかをいろいろ考察することは今の危機に際しての指針を与えてくれます。こうした考えを政治家や政府の要人、そしてじゃーまリズムにかかわる人間、社会の一般人、そして教育に携わる人がそれぞれ意識しながら考えることの大切さを教示してくれます。とくに、政治家こそ歴史に学ぶことで、未来への大きな指針を正しく見通せることを心してほしいものです。学術問題をはじめとするいろいろな問題等も歴史的認識や学問的な素養の重要さを感じさせてくれます。

オリンピック

2020-10-28 02:29:06 | 読書
 最近、オリンピックに内定していたメダル候補の瀬戸選手の不倫騒動がネットを賑わしていたが、一昔前なら、週刊誌をと表現したのでしょうが。そのニュースの中で、スポンサーやコマーシャル等から高額の収入があるのだなあと素人ながらに分かります。

 オリンピックというと、個人的に頭に過るのは、1964年の東京オリンピックなどの歴代の名選手です。小さいころからスポーツが好きで、するの見るのも好きで、今でいう見るの関しては、お宅だったかもしれません。スポーツライターの山際淳司氏がなくなって、もう30年になろうとしている。今から20年ほど前に読んでいたことを本棚から窺い知れます。

 最近角から書店から「たった一人のオリンピック」という新書が出版され、さっそく読んでみました。
 写真の目頭を押さえている選手は、私の世代ならわかりますね。レスリングの高田選手ですね。涙を流しながらモスクワオリンピックへの参加を懇願している姿です。

 五輪をテーマにこれまでの作品から集めたものです。ほとんどが読んだことがある作品ですが、忘れてしまった作品も多く、初めて読んだ時の感動を再度感じることができ、色あせない作者の魅力を再確認しました。いろいろな作品が集められていますが、その中の「たった一人のオリンピック」は、ボートの津田真生選手のことで、ノンフィクションの作品ですが、筆者の感性に同化している自分を感じます。かつて、東大の入試の国語にも出題された山際氏の作品には、競技者に問ことに寄り添った筆致に競技者の感覚からも納得できるものを感じるのでしょう。必ずしも有名選手ではなく、メジャーな競技でもないスポーツにも着目して、そこにスポーツ選手の本質を見出していくその作品に引き込まれていくのは私だけではないのでしょう。

 もう一度あの頃に戻って、やってみたいスポーツが自分の場合はあるのも彼の作品に引き付けられる要因かもしれません。同意と同感を伴いながら読む本はなかなかありません。そして、何度も読みたくなるし、それは、好きなドラマのビデオを何度も見る感覚に似ています。



東京時間旅行

2020-10-22 17:33:28 | 読書
 以前、東京旅行の手記を書いたが、未完のまま今に至っている。鹿島茂「東京時間旅行」を読みながら、自分の東京旅行を振り返りつつ、自分が東京に持っているイメージを再確認したのです。

著者の鹿島氏は、私より5歳年上の、いわゆる団塊の世代の最後の世代かともいえます。東大紛争をもろに経験した世代で、私の世代からすると「すごい世代」という印象があります。何がすごいというと、そこまで国を考え自らをある意味犠牲にして国の将来を考えていたというか、今の時代、自己を顧みずそういう行動を起こせる人は少なく、特に若い世代、大学生にはその意識や気概も見受けられないことに、この国の将来に何かしら不安を覚えるのは、私だけでしょうか。

 最も著者はノンポリと自称してはいるものの、そんなノンポリでもデモに参加していることが、隔世の感があります。面白いのは、東京のいろいろな側面からその歴史的な考察から始まり、東京の流行のラーメン考まで、多様なジャンルにわたり、私の嗜好に刺激を与えてくれる内容です。

 著者の心の地元の神保町と東京オリンピックから始まり、丸善のことなど私の思いを共有させてくれるテーマに引きずられます。同じ趣味の先輩から東京旅行を指南される感じで、どのテーマの底辺でも共通項がある印象です。読み始めると引きずり込まれる、その内容と読んでいるというより、話を聞いてしまうという印象で、毎回新しいテーマに新鮮味を感じます。書かれたときから10年以上時間はたっていますが、私の世代からすると生きてきた時間からしても、10年は長い時間ではないので、十分視野に入る範囲であり、逆にちょうどいいくらいの熟成期間を過ぎての味わいある文章という感じです。

記憶の切絵図

2020-10-04 20:16:21 | 数学 教育
 数学の本というと、ほかの本と比較しても、通読するということが少ないですね。その代わり、というのもなんですが、読んだ内容は覚えているというか、読み方の違いがあるのでしょうね。

 読んでショックを受けるというか、衝撃をもっても読んだという本は少ないのですが、その中でも印象に残っているのが、志村五郎の「記憶の切絵図」です。

 一気に読んでしまうというか、読んでみたいという衝撃ともいえる感情で読み進める本という感じで、読んだ記憶があります。この本は、英語版もあって、その本も通読しましたが、訳本ではなく、ほとんど同じ内容ですが、別々に筆者が書かれたようです。長年アメリカのプリンストン大学で研究されていた先生なので、英語で書くことも自然な感じなのでしょう。

 志村五郎は、少しでも数学をかじった人ならだれでも知っている世界的な数学者ですが、この本を読んで、少なからずその人となりを実感できたという読者も多いのではないでしょうか。私もその一人ですが。アマゾンの書評で確か飯高先生が、志村先生は「怖い」というか、世界でもあ恐れられている先生だそうです。それだけ、歯に衣着せぬ言い方の数学者なのかと思います。残念ながら昨年亡くなられましたが、年齢的に私の親父と同じ年代の先生でして、この本からそんな時代背景を想像しながら読むことができました。その後出版された「鳥のように」

はエッセイというべきものですが、これもなかなか辛辣な表現を見ることができますが、それもある意味説得力を感じます。

 頭脳流出といわれた時代のその学者そのものかもしれません。戦後、日本人が海外で活躍するというフレーズをそのまま実践した数学者とも言えます。この本を読む前からも、「谷山・志村予想」や、フェルマーの最終定理の証明に関して、志村五郎の名前をよく聞いていましたが、本でいえば、協同の著者として丸善から出版されていた微積分の演習書「微分積分学演習提要」でも知っていました。

 この演習書は、そんな世界的な数学者がアメリカに行く前に作った演習書という意味でも貴重というか、編著者すべてが有名な数学者ばかりなので、今でも大切に持っています。紙ベースでしかないのはもったいないので、問題集として使いたいために、Tex で電子ファイルにしてみてはと、ある数学者から言われていましたが、いまだに実現していません。気が付いた今からでも、少しずつ電子化していこうかと思っています。

 さて、「記憶の切絵図」ですが、全体を通して印象に残っているのは、今まで、有名で素晴らしい数学者といわれていた、例えば、高木貞治とかをある意味ぼろくそに書いてあることには初めて目にすることで印象的です。その表現に反発した数学者がいろいろ書いたりしていますが、私は一人の読者として志村五郎の数学者としての数学感や研究者としての感性を読むことができると思っています。

 この本によると、志村五郎は、東大の教員になったとき、薄給のため、予備校での講師もしていたという。そんな視点から東大の入試問題に関しての記述もみられる。私の受験生の頃は、東大は1次試験と2次試験があり、1次試験は、記述試験ではなく、選択問題や数学なら最後の数値を書くだけの、今のセンター試験のような試験が3月3日にあり、それは足切りみたいな試験で、その合格者が3月7日8日の2次試験で、記述試験を受けるようになっていた。1次試験は、国語(現代文、古文、漢文)数学ⅠⅡB、英語、理科2科目、社会2科目となっていました。2次試験は今の2次試験と同じ科目配点でした。

 その1次の問題に関して出題した問題に関しての記述がこの本に書いてあります。数学者としてだけでなく、教育者としての視点からもいくつかのことが書かれています。教える側から、また学ぶ側からと。その意味では非常に冷静な視点で書かれていると思えて、その内容にもなるほどと思えるのでした。

 そんな世界的な数学者の志村五郎が書き下ろしで、文庫本として、貴重な内容の本を、80歳を超えた時に書いたものが以下です。
読み返すことで、そのたびに新し発見が得られる貴重な文庫本です。最近は数学書も文庫本で読める時代になってきましたね。

 なお、志村五郎は中国の説話文学のある意味専門家ともいうべきその博学さには頭が下がります。