数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

知の旅は終わらない:立花 隆

2020-05-27 12:15:30 | 読書
 久しぶりに立花隆の本を読みました.何度もこれまでも,本屋で手に取ったことはあるのですが.そういえば,立花隆のどこかの本に本を買う時とは,手に取ったら買うとか,そういう話が書いてありました.よく行く本屋は東京堂書店とかも.この記憶が,私をして,東京へ行った時には,東京堂書店へ足を運ばせるのですが.

 久しぶりに,気楽に読もうかなと買ったのですが,第1印象は読みやすい.どこかで読んだ記憶がある内容もあり,それを確かめるべく,書斎を眺めていたら,20年ほど前に立花隆が書いた「立花隆のすべて」に同じことがあることを確認できました.

 2冊の表紙を見比べて,筆者の立花隆の風貌も20年という歳月を感じさせます.私の著者のイメージは20年前のものに近いのですから読みやすい上に,内容的にも,個人的に示唆に富むものになっていると感じました.アマゾンなどの書評には厳しい個人的な指摘もあり,例えば,模擬試験で全国1番になったことが書いてあること等に,自慢話ばかりであるとか.不思議にも私には,全くそんな感情は起こりません.すごい人なんだとしか思えないのですが.

 陸上の走り高跳びで,全国2位の写真を見て,当時は背面飛びは勿論,ベリーロールさえも無かったのかと時代を考えるきっかけになります.私は立花隆より15歳ほど年下なので,私が中学の頃はベリーロールが主体で,背面飛びは中学生ではまだまだマスターしてる選手が少ないような状況でした.この背面飛びは,メキシコオリンピックでアメリカの選手のホズベリーが初めて飛んで優勝したフォームで,メキシコオリンピックは1968年ですから,私が14歳ですから,中学2年生かな.

 スポーツ少年であった私は,オリンピックにはすごく興味があって,外国のいろいろな競技の選手などもいまだに覚えている位に頭に残っています.オタクに近い中学生だったかもしれません.

 あるとき,気の置けない友人にこんな話をしたら,なんとその友人もマニアックにいろいろな選手を知っていて,話が盛り上がった記憶があります.エチオピアのマモー・ウォルデであり,エチオピアは,東京大会のアベベに続いての2大会連続の金メダル.

 メキシコ大会はメキシコシティーという高地(海抜2000m)で行われたので,酸素が薄くマラソンの記録は大したタイムではなく,結果的に君原健二のような走法には合っていたのかもしれません.この大会の1000mの決勝はいまだに鮮烈な記憶として頭に残っています.当時は男子しか10000mはありませんが,高地であるので,タイム的には遅いのですが,ラスト1,2週は二人の選手のデッドヒートになり,結局はケニアのティムが優勝したのですが,そのティム選手を先行したのが,マモー・ウォルデだったのです.そのラストスパートがほとんど短距離走に近い走法で1周以上繰り広げられて,残りの選手たちは全く置いてきぼり状態でのレースで,未だにそれに匹敵するレースは見たことがありません.

 メキシコシティーは高地で空気が薄く,そのために走り高跳びで驚異的な記録が出ました.アメリカのボブ・ビーモンが8m90cmの世界記録で優勝したのです.それまでの世界記録を55cmも更新するとてつもない記録でした.なかなかこの記録は破られませんでしたが,マイク・パウエルに破られたのかな.この記録もまた長く破られていませんが。長く破られていない世界記録はほかにも現在あるのでしょうか.男子の400mハードルとか,女子の100m、200m、400mなどかなりありますね.

 脱線した内容になっていますが,この本の内容に関しては,私は素直に読めて,立花隆を知の巨匠として個人的には尊敬するしかありません.素直な文体とジャーナリストとしての矜持を感じさせてくれることに感謝しています.以前に書いた加藤周一とは世代も違うし,評論家とジャーナリストとの違いもあるものの,信頼して読めるという点では共通します.(続く)