昨日、卓球の日本選手権の男女シングルス決勝がNHKで放映されていました。ビデオで撮って後で観ましたが、男子の優勝した戸上選手が三重県出身で、男子シングルスでは三重県で初めてではないかと思います。女子のダブルスでは以前、西飯姉妹が3回ほど優勝していますが。
この戸上選手が中学に入る時に、すでにすごい選手で、中学で戸上選手の相手ができる顧問というので、実は私の津西高校の時の教え子で、その後中学の先生になったSくんが急遽その中学に転勤になりました。戸上選手はその地元の中学を卒業すると全国的に有名な卓球の強豪校の野田学園に行き、高校総体でシングルス連覇、日本選手権ジュニアシングルスのチャンピンンになり、高校3年次は全日本選手権の男子シングルスで準決勝まで進み、あの張本選手に惜敗。そして、昨年はコロナで明治大学の選手が出場できず、今年の全日本でとうとうシングルス、ダブルスのチャンピオンになりました。昨年には、世界選手権で男子ダブルスで3位に入るなど、今後の日本を背負っていく有望選手です。
さて、私は、教員になってから高校で卓球部の顧問をずーっとしていましたので、思い起こせば色々なことが走馬灯のように思い出されます。中学から大学まで卓球をしていた関係もあり、高校の教員としては数学だけでなく、卓球部の顧問としても、放課後は体を動かせるのに魅力を感じていました。振り返ってみれば、数学で授業や課外や補習を行い、放課後は卓球部の選手と一緒に汗を流しながらの毎日でした。
最初に赴任した桑名西高校では、遠距離通勤で、すでに結婚していたので、津のアパートから朝6時に出て、桑名まで約1時間、桑名駅からバスで30分、そしてバスを降りてから15分の徒歩で山の上の高校に到着の日々でした。放課後は時間があれば必ず、卓球部の練習場に行き、7時まで練習。そして、帰りは同僚の先生が帰り道の近くの駅まで車に同乗させていただき、それが無理な時はバス、電車を乗り継いで、アパートに帰るのは9時は回っていました。
1年後に子供ができ、家内も働いていて、実母に子供の世話をしてもらう関係で、実家(松阪)から車で、高速を使いながらの通勤でした。片道が90kmでした。時速90kmで1時間です(笑)。実際は2時間ほどでしたが。高速代はもちろん給料から出ません、通勤費も2万円が限度でしたが、実際は毎月9万円ほどの通勤費の出費でした。車が1年で4万キロの走行距離でした。今は通勤費ももっと補助が出ているようですが。生活は苦しかったので、家内の稼ぎで助けてもらっていました。
土曜は最初は半ドンで、のちには月2日休みに、そして今は週休2日ですが、当時は、土曜の午後はゆっくり卓球部の練習。そして休日は公式戦と練習試合で全て潰れてしまします。手当はほとんど出ません。夏休み、春休みは、数学の課外補習授業と卓球部の練習、試合で全てなくなります。冬休みは、だいたい12月30日まで練習して、1月4日からまた練習開始でした。
この桑名西高校は自分の最初の赴任高校でもあり印象的ですが、転勤後は一度も足を運んだことがありません。山の上なので、行く用もありません。一生懸命指導しても、若さだけでは選手の心を掴むことはできなくて、そこが今から振り返っても難しさと自分の未熟さが思い出されます。この学校には5年間いましたが、三重県でベスト8が団体戦での最高の戦績でした。個人では県2位まで頑張った選手もいました。初めて東海大会に出場した際に、ツテを頼って練習会場を確保して行った時、松下兄弟がちょうどその時同じ練習会場に来ていました。当時の男子の愛知県の桜丘高校は全国的に強く、前項のトップでした。そんな教え子も今は齢、50歳を超えています。どうしているのかな。(続く)