数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

〈戦後〉が若かった頃

2021-09-26 14:12:21 | 読書
知の巨匠、加藤周一を語る上記の本の一人、海老坂 武の「羊の歌」ともいうべき書がこの「戦後が若かった頃」です。1934年生まれで、ちょうど私より20歳年上で、終戦の翌年、中学生になる年代です。以前紹介した西部邁が終戦後最初の小学生であり、私の父は1928年生まれで、終戦後、旧制中学を卒業して、無線通信講習所(電気通信大学の前身)に進学しましたが、この狭い世代ではありますが、終戦時での、この年齢の違いは、それぞれのその後の人生には大きな違った意味での、終戦という大きな変革が影響を及ぼしていると思われます。
 海老坂武は、小学校までと180度違う中学校での、教育環境の変化とその後の新制度の教育は、この書で語られる、氏自身の生き様から窺い知れること大です。私の年代からは、西部邁、海老坂武、私の父、加藤周一という時系列の年代区分での受けた教育は、まさしく日本の激動の教育変化の中の一つの貴重なアーカイブとして捉えておきたい。
 また、日本の高度経済成長とともに、自分の青春がどう社会とコミットしていくか、そしてそのコミットの仕方も微妙に違う、そんな青春記を読み比べることのできる書として、この本の価値があると言えます。
 60年安保へのコミットの仕方も西部邁と海老沼武は微妙に違うが、当時の社会の有り様、国民の政治意識等も今よりもっと純粋に社会全体でコミットしていたことがうかがい知れる。前にも書きましたが、私の世代は自分の記憶としての60年安保は存在していなく、68年の大学紛争は田舎の中学高校から見た記憶として存在します。
 大学生が今とは違い、ある意味では選ばれたアカデミズムへの登竜門であるとともに、より学問的に政治等を語る世代でもあったのか。集団就職という言葉が生まれてきた世代でもあり、その意味では政治へ参加を許された大学生であったかもしれない。文章からでも今とは違う、本来の大学生の原点であることの学生の生き様を感じ取れるその時代の学生を垣間見れる。それは、私の世代からも、ある意味眩くさえ感じられる。そして、それを羨ましく感じる私があります。
 そんな世代の青春記を読むことは、私の世代には、何かしらのエネルギーを与えられる気がします。
 世界的な数学者の志村五朗はこの海老沼武と私の父の間の世代であり、この書で語られる海老沼武のフランス留学の話は、以前も書いた、志村五朗の「記憶の切り絵図」に描かれているフランスの状況を思い起こさせます。頭脳流出という言葉で表現されるように、日本人が世界へ羽ばたいていった時代です。

 ふと振り返って、今の日本は、学生はどうなのか。気がつけば、言葉よりもっと急速に先進国から遅れている日本であり、当時の日本とすれ違いそうな感覚さえ覚えてします。日本の技術とか、技術大国日本とかという言葉が出てきたときから日本の後退が始まっていて、今やその中で、確実に先頭集団から遅れ、まだ先頭だと思っていると、実は周回遅れの状況になっていそうな気がする。

 そういえば、これからは君たちが日本を引張ていくのだから、という言葉を若者に教壇から飛ばしていた自分がその時感じていた、冷めた生徒の目に今の日本のポテンシャルの低さを重ね合わせてしまう。その意味では今の若者には是非読んで欲しい「羊の歌」かもしれない。

 

数学史2

2021-09-15 08:30:29 | 数学 教育
以前、数学史の所で、
に関して、書きましたが、その時点ではまだ全部を通読していない状況でしたが、今回やっと通読しての感想です。
 確かにアマゾンでの書評にあるような、日本語訳の拙さは最初の方は感じましたが、読み進めるうちにそれもこの本の特徴かと思いながら、丁寧に読んでいくと、いつしか違和感もなくなり、通読できました。
 文庫本化され、それに伴って、巻末に解説が加わり、この第2巻は吉田武(京都大学工学博士)氏によるものでしたが、この解説が非常にインパクトが強く感動を覚えました。この吉田氏は
を書かれて一気に有名になられたようですが、出身大学学部学科が私と同じで、多分同級ではないので、1年先輩か後輩かです。この本は1993年頃の書かれたものですが、高校の先生などに読んで欲しいような内容で、わかりやすく書かれていて、しかも学生時代数理工学科で学んだことなども思い出される記述(モンテカルロ法やラプラス変換等)があり、ベースとなる数学的な材料にも近親感を覚えました。大学の先生もわかりやすく学生の理解度を意識して書かれた本として、今は見られますが、当時としては初めてではないかと思われる、そんな印象を持った本です。しっかり通読したわけではありませんが、今一度、ゆっくり読み直したい本でもあります。

 さて、その解説ですが、その中で、印象的な記述を紹介したいと思います。

「数学は創るものである。中略。老若男女、誰しも「忙しい」を挨拶代わりに交わし、その結果、むしろ人生を空費している現状においては、学校教育の中で、こうした著作が紹介される余裕も無く、数学の本質である、その自由性、創造性について論じられることも無いようにである。数学は創るものである。それを創り、拡げるために、学ぶのである。」

 教育に携わって来た者として、考えさせられる言葉です。さらに吉田氏の言葉が続きます。

「ところで、最近では、かつて青少年達を熱狂させた英雄物語も偉人伝も、あまり流行らないようである。個性尊重の掛け声とは裏腹に、誰もが平均を欲し、その結果、自らを集団の中に埋没させることで、何の責任も取らない、取ろうとしない世の中になってしまったであろうか。悪いのは常に世間という枠組みであり、制度であり、とどのつまり自分以外の誰かであり、返りてこれを己に求めるという意気と誇りは雲散霧消し、義理人情は廃れ、卑怯未練が大手を振って、敵前逃亡が常態化したからであろうか。はたまた英雄物語を、成功者の実像以上の美談としてしか受け取れない精神の貧困が、その原因であろうか。」

 このくだりは、藤原正彦の言葉として聞こえてきそうですが、

「本書は、自らの化身としての数学を生み出した「巨人達の英雄物語」である。有り余る才能を見事に使い切った者、それに溺れた者、栄耀栄華を極めた者、自らの業績の行方すら知らずに非業の死を迎えた者、様々な知的英雄達の人生の鳥瞰図である。」

 これも藤原氏を思い出しますが、

「教育とは、人の魂に火をつける行為であって、尻に火をつけることではない。本書はそれを為し得る稀有の作品である。出来れば、そのことに感動して、長く繰り返し読み続けていただきたい。そして、その魂に着火していただきたい。こうした名著を絶え間なく供給し続けることは、国の文化の基礎である。かつて我が国では、偉大な教育者であった小堀憲の著作が広く読まれ、まさに吸い込まれるように、青年達は数学の道に導かれていった。そして今は藤原正彦がその役割を担っている。何も本書に親しむことが一つの切っ掛けとなり、数学の虜になっていったのではないか、そして啓蒙の志を立て、新たな名著を生み出していく心の拠り所としていたのではないか、と筆者は睨んでいる。」

 成る程、私も本書の中で、何回かそう感じたところがあり、繰り返すようですが、アマゾン等での書評に惑わされることなく、自分の目と頭で本に向き合うことの大切さをある意味感じた本であります。

 特に印象的だったのは、ポンスレ、ガウス、ケイリーとシルベスタの章で、ガウスはともかく、他の三人はこの本を通して初めてその人生を垣間見た、そんな印象であり、数学教育に携わる者として、得るところも大であった。