龍神村に生まれて

僕は和歌山県龍神村に生まれ、13歳まで龍神村で育った。大人になって、龍神村について何も知らないことに気がついた。

身は高野、心は東寺に納めおく 2

2015-06-25 16:37:17 | Weblog
平安京ができた当時にあった西寺が現存せず、なぜ西寺と一緒にできた東寺だけが現存するのか?


そんな空海身勝手ミッション遂行のため京都に出かけてん。




これは794年の京を上空から撮影したものです。
高所恐怖症の僕には必死の撮影やってんでぇ~


現在の京都駅は中心よりやや右寄りに位置すると思います。


真ん中の太い道路が朱雀大路で、その一番南に羅城門があります。

羅城門に向かって右に建造されたのが東寺、向かって左に建造されたのが西寺でした。
その役目は東寺は東日本を、西寺は西日本を守り鎮める役割でした。

当時、この2つのお寺の建造だけが天皇によって許された、いわゆる国立のお寺でした。

同じ時代に、同じ国立のお寺として建造されたのに、いつの間にか西寺は無くなったんですね。

おかしいですね?
なんでやろ?
ほなさいなら。

終わるわけにいかん、いかん。




平安京遷都後に2つのお寺は2人の人物に託されました。(嵯峨天皇823年)

西寺⇒守敏
東寺⇒空海


この二人は仲が悪いというか、お互いにかなりライバル視していたのは当時から有名でした。


僕の前世である空海は有名ですが、守敏(しゅびん)とはいったいどんな人物なのか?
簡単に言うと、守敏は非常に優秀な僧で、当時の空海よりは位も高く、年齢も上でした。
東寺と西寺ができた当時を思い出します。
あの頃は西寺の方が格上じゃん、という空気が有りました。

簡単に言うと2人の人柄の差によって西寺は無くなり、東寺は今でも現存するといわれているのだけれど、確かにそれはあるけど、それだけでもなさそうです。



更に突っ込んで調べてみたんやで。

つづく




身は東京、心は龍神村やで。








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