おおにしの文蔵さんは、お父ちゃんのいとこだった。
“おおにし”というのは屋号であった。
龍神村福井日浦地区の入口におおにしはあった。
今もあると思う。
子供の頃よく遊びに行った。
おおにしのおばあちゃんがやさしくしてくれたのを覚えている。
屋号おおにしの苗字は鈴木であった。
龍神村福井には、佐藤さんはいなかったが、鈴木さんは多かった。
鈴木家の文蔵さん。
聡明な龍神村の方はもうお気づきだろう。
龍神村のほとんどの世帯の本棚に眠る厚い本2冊。
そう、龍神のベストセラー『龍神村誌 上巻・下巻』。
龍神村誌は昭和62年の秋に完成している。
僕は完成時には、とっくに龍神村にはおらなんだ。
だから、完成したときの龍神村の様子はよくわからないが、こんなに多くの情報をまとめるのは大変だったろうと思う。
そうそう、鈴木文蔵さんは『龍神村誌』の編さん委員長だったのです。
僕は文蔵さんに敬意を払い、2008年に『龍神村誌』を手に入れた。
『龍神村誌』はネット上で売られていたのだ。
内容は笑える内容もあり面白い。
僕は電車の中で読んでいて、思わず笑い出したことがある。
このブログでは、一部参考にさせてもらっています。
文蔵さんありがとう。
よくまとめてくれました。
感謝!
文蔵さんが活躍した村! 龍神村!
“おおにし”というのは屋号であった。
龍神村福井日浦地区の入口におおにしはあった。
今もあると思う。
子供の頃よく遊びに行った。
おおにしのおばあちゃんがやさしくしてくれたのを覚えている。
屋号おおにしの苗字は鈴木であった。
龍神村福井には、佐藤さんはいなかったが、鈴木さんは多かった。
鈴木家の文蔵さん。
聡明な龍神村の方はもうお気づきだろう。
龍神村のほとんどの世帯の本棚に眠る厚い本2冊。
そう、龍神のベストセラー『龍神村誌 上巻・下巻』。
龍神村誌は昭和62年の秋に完成している。
僕は完成時には、とっくに龍神村にはおらなんだ。
だから、完成したときの龍神村の様子はよくわからないが、こんなに多くの情報をまとめるのは大変だったろうと思う。
そうそう、鈴木文蔵さんは『龍神村誌』の編さん委員長だったのです。
僕は文蔵さんに敬意を払い、2008年に『龍神村誌』を手に入れた。
『龍神村誌』はネット上で売られていたのだ。
内容は笑える内容もあり面白い。
僕は電車の中で読んでいて、思わず笑い出したことがある。
このブログでは、一部参考にさせてもらっています。
文蔵さんありがとう。
よくまとめてくれました。
感謝!
文蔵さんが活躍した村! 龍神村!
ネット検索してみてこちらのブログを拝見いたしました。良く書いていただきありがとうございます。
昨日はお祭りでした。
返事が遅れてすみません。
去年の
祭りには帰っていました。
どこかでおうたかも知れませんね。
僕は子供のころよく遊びに行かせてもらいました。
まだ小さかったのでうっすらとした記憶しかないけど。
僕は“はるやんとこのまっこう”と言ってもらえばわかるかもしれません。
おおにしには顔を出してみたいと龍神へ行くたびに思います。
ただ、僕のことを知っている人がいなかったらと思うと足が遠のいてます。
文蔵さんの記憶はしっかりあります。
すごいおじいちゃんやったと思います。
龍神村史読んでて感心しました。
このコメント非常にうれしかったです。
また読んでください。
おおきによ。
まっこう
僕の一学年上なのですね?
もしかしたら、僕のいとこの後藤すみちゃんと同級ですか?
真弓さんは日浦の渡瀬真弓さんのことですか?
たしか苗字は渡瀬だったと思います。
残念ですが、私には真弓さんの現状はわかりません。
本田さんも同じ頃龍神で過ごしたのですね。
不思議な感じです。
コメントおおきに!