ほとんど自給自足の生活だったが、時々かいっつぁんが魚を売りにきた。
みんなが“かいっつぁん”と呼ぶ魚屋さんは、龍神の山奥まで海で取れた魚を売りに来ていた。
夕方、静かな山里に「魚どうですか、魚ど~ですか~、魚ど~ですか~」という声が響き渡る。
するとみんなかいっつぁんを目指した。
かいっつぁんは軽トラックで、魚だけではなく他の物も売っていた。
子供が喜ぶような物も売っていたように思う。
おそらく海の近くの田辺から来た人だったと思う。
おかいさん、田畑で採れた食物に、かいっつぁんが運んできた魚やてんぷらなどが食卓に並んだ。
いつの頃からかいっつぁんが来るようになったのかはわからないが、山奥の人にとってはありがたい存在だったと思う。
現在、僕は4ヵ月に1回鹿児島の霧島に仕事に行く。
霧島の林の中にある別荘で仕事をする。
近くにコンビニもスーパーもないが、その別荘地に住んでいる人たちもいる。
その人たちを相手に、1日おきに魚屋さんが来るんだ。
「楽しい楽しいさっかなやさん、ままごと遊びのさっかなやさん・・・・・」
音楽を鳴らしながら来る。
その魚屋が来るたびに、鹿児島のかいっつぁんが来たな!・・・と思う。
昭和40年頃、かいっつぁんが来ていた! 龍神村!
みんなが“かいっつぁん”と呼ぶ魚屋さんは、龍神の山奥まで海で取れた魚を売りに来ていた。
夕方、静かな山里に「魚どうですか、魚ど~ですか~、魚ど~ですか~」という声が響き渡る。
するとみんなかいっつぁんを目指した。
かいっつぁんは軽トラックで、魚だけではなく他の物も売っていた。
子供が喜ぶような物も売っていたように思う。
おそらく海の近くの田辺から来た人だったと思う。
おかいさん、田畑で採れた食物に、かいっつぁんが運んできた魚やてんぷらなどが食卓に並んだ。
いつの頃からかいっつぁんが来るようになったのかはわからないが、山奥の人にとってはありがたい存在だったと思う。
現在、僕は4ヵ月に1回鹿児島の霧島に仕事に行く。
霧島の林の中にある別荘で仕事をする。
近くにコンビニもスーパーもないが、その別荘地に住んでいる人たちもいる。
その人たちを相手に、1日おきに魚屋さんが来るんだ。
「楽しい楽しいさっかなやさん、ままごと遊びのさっかなやさん・・・・・」
音楽を鳴らしながら来る。
その魚屋が来るたびに、鹿児島のかいっつぁんが来たな!・・・と思う。
昭和40年頃、かいっつぁんが来ていた! 龍神村!
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