龍神村に生まれて

僕は和歌山県龍神村に生まれ、13歳まで龍神村で育った。大人になって、龍神村について何も知らないことに気がついた。

一部事実が判明した!

2008-09-16 03:08:43 | Weblog
僕の記憶の始まり「カトリック龍神教会」の歴史が少しわかった。

確かに、1945年にB29爆撃機が龍神村に墜落していた。
米兵6人が乗っていたが、全員が亡くなり、村人が手厚く葬って、1947年には慰霊碑が建てられている。

しかし、カトリック龍神教会の設立とは直接関係はないようだ。

和歌山市の屋形町教会の人たちと親交のあった医師の大島仙吉さんとその義妹の夫で同教会信者の吉中好信さん家族が、戦時中に故郷の龍神村に疎開してきた。
戦後、この家族らが中心となり村がカトリック教会を誘致して、1950年3月にカトリック龍神教会は献堂されたようだ。

僕がまだ生まれていない時の出来事だ。

龍神村の福井には、今でも“大島先生”というお医者さんがいるが、おそらく、その先生のおじいさんにあたる方が大島仙吉さんだと思う。

献堂から3年で340人が洗礼を受けている。
教会の建つ下柳瀬地区においては97戸のうち、およそ80戸もの方が洗礼を受けている。

この頃かなぁ・・・おじいちゃんとおばあちゃんが洗礼を受けたのは・・・?
まだ、おかあちゃんは結婚していなかったので、この頃には洗礼派受けていないことになる。

おかあちゃんは、結婚してから洗礼を受けたんか。


人格者である医師の大島仙吉さんの影響もあり“集団改宗の村”となったようだ。

その後、夫婦で農作業に忙しい家族のために6つの保育園ができている。

そして、教会には信者も信者でない人も何かしらの形で関わり、サマースクールが開かれたり、米兵の慰霊祭などが行われていたようだ。


昔の写真を思い出す。
僕の自宅に神父さんが来ていて、おばあちゃんやおじいちゃんも写っていた。

神父さんはアイルランド人、オーストラリア人と聞いている。

子供の頃は神父さんが赤鬼のようで怖かったなぁ。
そんなこともあったのか、僕は洗礼を受けていない。



カトリック龍神教会にはそんな歴史があったんだなぁ・・・。

森本季子著「キリシタン紀行」という本に、詳しい歴史が載っているということも分かったので、10分前にアマゾンで注文した。

実は、龍神村の僕の家の近くには、すでに無くなっているがもう一つの教会があった。
すでに村人の記憶からはかなり消えていると思う。

次回は、その思い出について書いてみよう。



龍神カトリック幼稚園のみんな
(トシ先生とアサコ先生)


僕は口をとがらせている。



待っとれよ!龍神村!

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