切荘は百貨店だった。
デパートだった。
かつて田辺市にあった。
切目辻を越えて“街”に出るのは、切荘に行くのが目的だった事しか覚えていない。
昭和40年に切荘はできている。
この頃は田辺市も栄えて輝いていたようだ。
ネットで切荘を調べると、一つだけ記事が見つかった。
『昭和7年の紀勢西線紀伊田辺駅開業と共に商業中心地は徐々に駅前に移行している。
特に高度成長期昭和33年から51年までの間に商店数で1.5倍、従業者数で2倍、
年間販売額で11倍の伸びを示している。
昭和40年には現在でも建物が残る百貨店「切荘」が開店、商店街の黄金時代
を迎えた。
この頃の日本は、どこも希望に輝いていた。
昭和50年代(1975年)に入ると中心地を通る国道のバイパスが開通、その沿線に
一斉に大型店が開店、またその外側に第2バイパス道路ができ、平成に入る頃から
第2バイパス道路沿いにより大規模や専門チェーン店の出店が相次いでいる。』
田辺駅周辺の商業地の沿革について書かれたものだった。
切荘に行くことは、最大の興奮だった。
ここでトランシーバーを買ってもらったのが一番記憶に残っている。
しばらくはこのトランシーバーを持っていた。
中学の時にもあったから、5年くらいは宝だった。
輝くオムライスを食べた。
いつも質素な食事だったから、オムライスは輝いてみえた。
切荘が何年間営業していたかはわからない。
周辺の人の記憶の中からかなり消えているのではないだろうか?
昭和40年から50年頃、紀伊田辺に切荘という子供の憧れのデパートがあったんだ。
あの興奮が懐かしいよ。 龍神村!
デパートだった。
かつて田辺市にあった。
切目辻を越えて“街”に出るのは、切荘に行くのが目的だった事しか覚えていない。
昭和40年に切荘はできている。
この頃は田辺市も栄えて輝いていたようだ。
ネットで切荘を調べると、一つだけ記事が見つかった。
『昭和7年の紀勢西線紀伊田辺駅開業と共に商業中心地は徐々に駅前に移行している。
特に高度成長期昭和33年から51年までの間に商店数で1.5倍、従業者数で2倍、
年間販売額で11倍の伸びを示している。
昭和40年には現在でも建物が残る百貨店「切荘」が開店、商店街の黄金時代
を迎えた。
この頃の日本は、どこも希望に輝いていた。
昭和50年代(1975年)に入ると中心地を通る国道のバイパスが開通、その沿線に
一斉に大型店が開店、またその外側に第2バイパス道路ができ、平成に入る頃から
第2バイパス道路沿いにより大規模や専門チェーン店の出店が相次いでいる。』
田辺駅周辺の商業地の沿革について書かれたものだった。
切荘に行くことは、最大の興奮だった。
ここでトランシーバーを買ってもらったのが一番記憶に残っている。
しばらくはこのトランシーバーを持っていた。
中学の時にもあったから、5年くらいは宝だった。
輝くオムライスを食べた。
いつも質素な食事だったから、オムライスは輝いてみえた。
切荘が何年間営業していたかはわからない。
周辺の人の記憶の中からかなり消えているのではないだろうか?
昭和40年から50年頃、紀伊田辺に切荘という子供の憧れのデパートがあったんだ。
あの興奮が懐かしいよ。 龍神村!
当方昭和39年生まれで「切荘」「ダイエーミドリ」時代によく遊びにいきましたので、懐かしいです。
一緒に行った家族はみな亡くなってしまったけど、思い出すと気持ちがじんわり温かくなりました。