龍神村に生まれて

僕は和歌山県龍神村に生まれ、13歳まで龍神村で育った。大人になって、龍神村について何も知らないことに気がついた。

さんま

2010-04-03 09:39:10 | Weblog
杉本君こと明石家さんまは和歌山県出身ですが、そのさんまのことではありまへん。



三人麻雀略して“さんま”。


噂では、龍神では4人いてもさんまをやると聞いていた。

大人になって龍神で麻雀をしたことが一度だけあった。

ガソリンスタンドのヨシロウとか切目辻トンネルすってんころりん事件のなる坊らとやったが、確かにこの時は4~5人いたのにさんまだった。


これが主流かどうかは、わしゃ知らん。


さんまだと、上がり役が大きくなるし、スピードも速くなる。
確かに醍醐味はありそうだ。


僕は埼玉で麻雀を学んだ。
学んだってのはちょっとカッコよすぎるか?


だから、4人麻雀しかやったことが無い。

それも、“なしなし”のみ。

基本は、メンタンピン。
いつもそう思うが、どうもホンイツに走ってしまう傾向がある。
そういう時は、負けるね。


やっぱり基本はメンタンピンだね。



麻雀用語って、中国語なのか日本語なのか分からないような言葉がいっぱい出てくるので、とっつきにくいよね。



お父ちゃんは麻雀が好きだった。
生家の応接室では、よなよな麻雀が行われていた。
応接室にいろんなおじさんが来て、酒とタバコの匂いがしたのを覚えている。

小川俊平先生
古久保正巳先生
後藤徹先生
学校の先生が多かったように思う。


お父ちゃんは、埼玉に引っ越してきてからも、証券会社の人達と良くやっていた。

お父ちゃんが証券会社に勤めていたのではなく、お父ちゃんは“株”で生計を立てていた時があったからね。

おかあちゃんが死んでから、家事をやり、子育てをしながら、株で稼いでいたんですよ。

子供たちが稼げるようになるまでの10年間くらいは株だけで暮らしていたと思う。



そんなことを思い出しながら、パソコンの麻雀ゲームを始める僕であった。





さんまかい?龍神村!




最新の画像もっと見る

コメントを投稿