母が絶賛していた映画で、戦時中のポーランドの首都、ワルシャワに住んでいたユダヤ人のピアニストが生き延びていくお話。実話。
生きるってなんなのだろう?と思った。
未来なんて見えない、ただ、食料を運んでもらうだけの生活。寒い土地なのだから、死のうと思えば死ねるのにな。
何がそこまで彼を生かしていたのかなぁ?と思いながら見ていた。
でも、理由なんて見えなかった。
ただ、生物は、そう簡単に死なないようにプログラミングされているんだろうというような、違う言葉で言うと、本能的に命をつないでいたような感じ。
こちらにいる、私の知り合いのご主人がユダヤ人で、彼は、家族に、ユダヤ人収容所へ運ばれる列車の中から放り出されて、近くの親切な農家の人に助けられて生き延びた。
あの列車に乗っていたら、ガス室へ送られていたそうだ。
また、その農家の人が居なかったら、彼は飢えと寒さで死んでいたそうな。彼の名前は、迫害から生還したユダヤ人のリストに載っているそうな。
戦争は、すさまじいドラマだわ。
当事者だけではなく、見ている人、あとで歴史を学んだ人、話を聞いた人などなど、戦争を「知った人」全てに、何かを残す。
それは、きっと、命がかかわってくる現実だからなのだろうな。それとも、破壊と再生か。
そうでもしなかったら、命の大切さとか、美しさとか、偉大さを知ることはできないのだろうか?
私は、子供達の病気の回復の早さとか、傷の治り具合とか見ながら、生命の不思議を感じてる。
細胞一つ一つが生きていて、彼らの不具合を「自分で」修復するんだな。すごいよ、ホント。
オーブンの中でマフィンが膨らむくらい、すごい早さだよ。
春になると、木々が芽をつける。
それが、いつの間にか、花になったり葉になったりするんだな。すごいよね。どこからこんなもの出てくるんだろう?と思って、枝を切っても、はっぱが丸まって隠れているわけじゃないんだな。
グレープフルーツだって、レモンだって、良い香りの花が落ちたら、ちっこい緑色の豆みたいな実が見える。
それが、いつの間にか、10センチ以上でかくなって、食べれるようになるんだな。
生物だけが、毎日変化している。有機物だけが循環の法則を見せてくれる。人工物は、手を加えて循環させなかったら、自分で勝手に循環しない。だから、命の不思議は見ることができないし、変化のないものは飽きちゃう。
ああ、言いたいことはさ、何も、わざわざ、命をなくさなくても(破壊しなくても)、命の偉大さや、美を感じて、大事にしようと思うことができるんじゃないの?ってことかな。
そういう意味では、戦争はまったく無意味だ。
破壊して、新しく建物を建てるのなら、解体したら良いだけだしね。
2004/9/4