mamataro's eyes

浅草暮らしの日々や雑感をアップして18年目。姉妹ブログ「mamataroおでかけ日記」もよろしく☺

「ブラタモリ」第2回~上野~

2009年10月09日 16時50分51秒 | 📺ウォッチング
10月8日(木)放送、「ブラタモリ」第2回・上野をブラタモリを見た。

江戸時代の古地図を見ると、上野駅、上野公園、そしてアメ横…、
上野の街のほとんどが「寛永寺(かんえいじ)」の敷地で、
その後、上野は寛永寺の門前町として発展していくことになる。

寛永寺を造ることで、上野を江戸の一大名所にしたのは、
幕府の最高顧問・天海(1536?~1643)というお坊さん。

自由に旅行ができなかった時代、上野に京都の名所を再現し、
花のお江戸の「テーマパーク」にすることが天海の狙いだった

その「テーマ」とは京都。

不忍池(しのばずのいけ)は琵琶湖、弁天島〔人口島〕は竹生島(ちくぶしま)、
「舞台造」の清水観音堂は清水寺、上野山は比叡山を模したもので、
名物の桜も天海がわざわざ吉野から取り寄せたのが始まりだという。

そんなわけで、タモリさんが久保田祐佳アナとともに訪れたのは上野・寛永寺。
寛永寺は徳川将軍家の菩提寺で、綱吉・吉宗・家定など、歴代6人の将軍が葬られている。
そして、去年の大河ドラマで大人気を博した家定正室・篤姫も。

上野に生まれ育ち、数々の著作を発表。
僧侶と歴史家という2つの顔を持つ、
寛永寺執事・浦井正明(しょうみょう)さんに導かれ、
「勅額門(重要文化財)」から通常非公開の徳川家霊廟へ。

最初にくぐり抜ける「勅額門」は…
「1人の将軍が亡くなると、門だけで6つ作るんですけど、
その1番のメインゲートなんです」と浦井さん。
ただし、八代将軍吉宗の時代に、節約のために墓所は規模を縮小したという。

当時の将軍といえども上れなかった石段を上がり、いよいよ徳川家の聖域へ。
幕府の力がもっとも強かった時代の、五代将軍綱吉が葬られている
「宝塔(重要文化財)」を間近で見学。
唐堂(からかね)という銅と錫(すず)の合金をふんだんに使い、威厳を醸し出している。

今年は綱吉の没後ちょうど300年。宝塔は創建当時のもの。
石組みを見ると、石と石の間の継ぎ目がほとんどズレていない。
関東大震災も無事だったほど頑丈な造り。
浦井さん曰く「江戸の仕事ってすごいですよね」。

綱吉公が葬られているのは地下3m50cmか80cmくらいの地点。
二重の石室があり、二重か三重のお棺の中に「座っている」。
これは江戸の武家墓の特徴で、足を前に投げ出して、あぐらに似ているけれど、
足の裏を前で合わせる、お公家さんの座り方である。

(後略)この後もタモリさんの上野散策は続く。。。

初めて見た番組だけれど、「古地図」を持っての散策というのが、とても斬新で面白かった。
そして、この番組を予習材料にして、

上野の山文化ゾーンフェスティバル
「寛永寺 徳川歴代将軍霊廟と葵の間特別公開」に参上するつもりだった。

…のだが

 ▼10月13日(火)の回、敢えなく落選してしまった~



残念。初回だけの応募ではギャンブルが過ぎたか
去年は情報不足で応募しなかった。
ままたろうのような人が今回の応募に殺到したのかも…。
篤姫人気、いまだ衰えず。また来年応募してみよう。
コメント

ランキング