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なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

大谷翔平 二刀流の軌跡 1 ジェイ・パリス/著 関麻衣子/訳

2021年07月29日 13時42分49秒 | 大谷翔平


二刀流のスーパールーキー、大谷翔平。メジャーリーグで戦う姿はアメリカ人の目にはどう映るのか―現地ジャーナリストだからこそ書けた、魂の一冊!!

“ハイ、マイ・ネーム・イズ・ショーヘイ・オオタニ”
野球漬けの少年時代
渡米を踏みとどまった理由
アマチュアからプロへ
二刀流の覚醒
“翔タイム”―メジャーデビューに向けて
ベールを脱いだ、天からの使者
懸念のスプリング・トレーニング
始動の3月
開花の5月
歴史的快挙を押しとどめる肘
マウンドへ戻るために
8月―左投げとの対峙
9月―そして未来へ

最終候補の7球団の中からエンゼルスを選んだのは「強いつながり」を感じたからだという。
通訳の水原一平

右肘の内側側副靱帯に損傷が見つかった。

エンゼルスの選手の中でも最速の足を持つ大谷。
足の速さは大谷の持つ豊かな才能の中でも大きなウェイトを占める。

二人のスター選手が友情を築いたのは、オフシーズンにトラウトが大谷に入団をすすめたことがきっかけだった。トラウトはよく、大谷を弟のように扱ってじゃれあっている。
ファンは「トラウタニ」という呼び名をつけた。

オールスター出場8回、MVP3回、シルバースラッガー賞7回を獲得。200本塁打200盗塁を達成
2019年には当時北米スポーツ史上最高額となる12年総額4億2650万ドルで契約延長した[9]。
趣味は天気。幼少時から気象情報のチェックが大好きで、特に嵐(ストームチェイサー)に目がなく[53]、中でもキャンプ地のアリゾナ州近郊に雪嵐が接近中と知った際には、休日だったために2時間半かけて車を運転し、一日中吹雪を眺めていたという[54]。また、彼のスマートフォンには世界の気象情報を網羅する複数のアプリがインストールされており、同僚らも、試合が雨天中止か微妙なときは、真っ先にトラウトに尋ねるという[54]。所属するエンゼルスも気象予報士に扮した動画を取り上げている[55]。


エンゼルスの試合前には毎回、スタジアムに『センド・ミー・アン・エンジェル』が大音量で流れている。
当時はカリフォルニア・エンゼルスであり、それからアナハイム・エンゼルス、やがてロサンゼル・エンゼルスへ名称を変えていった。

大谷は歴史をさかのぼるような二刀流だけでなく、野球に徹底的に献身する姿勢で周囲を驚かせ、巨額な契約金には目もくれなかった。

どこを見ても、オレンジの果樹園が果てしなく広がり、オレンジの花の香りが漂っている。それゆえ、この地はオレンジ郡と名づけられた。プロのスポーツチームなどとは無縁の場所だった。
だが、エンゼルスが1966年にアナハイムに移転してくると、すべてが変わった。
エンゼルスはオレンジ郡に桁違いの集客をもたらした。
ビッグAと呼ばれるスタジアムは圧倒的で、この地域の最大の建造物であることは間違いない。
ナイトゲームでは、巨大なAの文字を囲む『天使の輪』が光り、チームの勝利を知らせてくれる。

エンゼルスの初代オーナーのジーン・オートリー、
「歌うカーボーイ」と呼ばれた俳優

大谷がビッグAで登板するとき、私はノーラン・ライアンを思い出す。
ライアンが登板するとなると観客は一気に増え、人々の期待の高さは一目瞭然だった。

2017年の暖かな12月9日に行われた大谷翔平の入団会見は、野球史で長く語り継がれるだろう。
日本人の二刀流スター選手である大谷は、並みいるメジャー球団の垂涎の的であり、そんな彼がロサンゼルス・エンゼルスを選択したことは、チームにとって大勝利に違いなかった。

「ピッチャーなのにバッテングもできるとか、バッターなのにピッチングもできるというのを目指してるわけじゃないんです」
大谷は北海道日本ハムファイターズで最後のシーズンを迎えるのあたり、共同通信社に語った。
「そうではなくて、ただどちらもやりたいんです。子供の頃から、ずっとどちらもやりたかった。野球を始めたときも、一流のピッチャーになるんだとか、一流のバッターになるんだとか思っていたわけじゃない。いいバッティングをしたい、いいピッチングをしたい。それをいつも望んできました」

「ピッチャーに専念すればもっといいピッチャーになれるのに、なぜそうしないんだ、と言われても、僕が言えるのは、どうしてもいいバッターにもなりたいということだけですね」

大谷の向かいで右側のロッカーを使っているマイク・トラウトが、ミニ・バスケット・ゴールにシュートを始めると、すぐに大谷も加わって競い出す。
ジャンプシュートのフォームが、大谷にとってのウォームアップにもなる。

トラウトは、その太い腕をしょっちゅう大谷の肩に回すことで知られている。
自身の結婚式で忙しいはずのトラウトが、ビデオ通話で大谷に入団をすすめてきたという経緯もある。このことに大谷は心を動かされ、以来エンゼルスのスター選手と注目の新人選手のあいだに絆が生まれた。

大谷ものちに、トラウトを祝福することになる。
入団会見の際にトラウトの結婚を祝うコメントを述べ、さらにとっておきの一言を放つ。
なぜ背番号17を選んだのかと訊かれると
「本当は27番(トラウトの背番号)がよかったんですけど、埋まっていたので17番にしました」

小学2年生で野球を始めた大谷は、バッティング練習で目覚しい能力をすでに発揮していた。

日本のドラフト会議で8球団から1位指名を受けることを目標に掲げた。
8球団から指名されるためには、同じ花巻東高校からプロ入りした菊池雄星をしのぐ選手になる必要がある。これを達成するためには、目標設定シートの80マスを埋めた課題を1つ1つこなしていかなければならない。その中で大谷が特に重点を置いたのは、メンタルの強さと身体作り、そして160kmを超えるピッチングを可能とする右腕の強さとコントロール力を身につけることだった。

しかしドラフト会議のわずか数日前、大谷は日本ではプロ入りはせず、直接メジャーリーグを目指す意志を表明したのだった。
大谷がメジャー希望の意志を明らかにし、ほとんどの球団が指名を断念する中、日本ハムだけが大谷を1位指名し、獲得するための計画を綿密に練っていた。
スカウトが作った渾身の資料には、日本の野球界で経験を積まずにメジャーを目指しても、成功例は極めて少ないというデータが示されていた。
18歳の大谷にとっては、アメリカのマイナーリーグで長時間のバス移動など強いられ、最高の環境とはいえないチームで練習を積むよりも、日本の野球界のトップレベルで投打双方の技術を磨くほうが、ずっと本人のためになる。その話を聞いて、納得したのだ。

193cmの身長に見合う体格を作り上げるため、高校時代から白米を毎日10杯も食べて体重を20kg増やしたという。

「今はアメリカでやりたい気持ちしかありません。日本ハムに入団する可能性はゼロだと思います」この毅然とした態度は日本国内でもかなり注目された。


日本人選手“10代メジャー直行”の賛否…結城海斗19歳の“解雇”で考える 
菊池雄星は「高校生がマイナーに飛び込むのは大変」
7/2(金) 17:31配信

勘違いするんじゃない」「通用するわけない」などとバッシングを受けた菊池は高校時代、相当苦い思いをした。「高校生で僕と同じ夢を持った人が出てきたときは応援してあげて欲しい」と語っていたことがあったが、メジャーの舞台を知った今は以前とは異なった感想を口にした。

「ゴールをどこに見据えるかが大事なのかなと思います。メジャーで成功するだけでなく、チームリーダーになってチームを率いることを考えるなら、英語や、野球の違い・環境・文化にアジャストするために早くきた方が有利だと思います。しかし、精神的にも成熟していない高校生くらいからマイナーリーグの過酷な環境に飛び込むことは本当に大変なこと。ホームシックになったり、戸惑いを感じてプレーに集中できないこともあるので、挑戦したいという選手は応援したいが、リスクもあることをしっかり知って決断して欲しいと思う」

 日本人メジャーリーガーを見ていても顕著だが、アメリカの暮らしに馴染み、日本と変わらないくらいの生活を送っているタイプもいれば、日本球団にいる外国人助っ人のように過ごすタイプもいる。

 米挑戦以降、一度しか帰国していない菊池は前者のうちの一人で、ダルビッシュ有、大谷翔平らもそれらに大別されるだろう。そういう選手は早くからアメリカになじむことで得られることが多いという指摘は至極説得力がある。





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