富士山頂スキー大滑降 1971/2/6

1971/2/6 AM11:00 富士山頂スキー大滑降直前の山頂をご紹介します。

行政改革-02(自家用自動車運転免許の更新制度廃止)

2006-02-25 23:18:35 | Weblog
狙い:自家用自動車運転免許の更新制度を廃止し、行政の無駄を省く。

  ⇒運転免許の更新制度は、行政の無駄である。
  <運転免許所有者に対する行政の関与(おせっかい)は不要です>

関連情報:2006/02/27 毎日新聞 社説「視点=禁煙治療 論説委員・三木賢治」をご参照下さい。
(詳細は下記参照)

 人は抑圧や束縛から逃れ、解放や自由を目指してきたはずなのに、いつの間にか、逆行して個人に干渉する施策が目につくようになった。禁煙治療も、その延長線上に位置付けられないか。

 交通対策を例にとれば、話が分かりやすいかもしれぬ。交通戦争の言葉が生まれていた75年、警察庁が道路交通法を改正して二輪車のドライバーにヘルメット着用を義務付けようとした際、内閣法制局などは「個人の自由を抑制する法案は認められない」と猛反対した。「命を守りたければ自分でかぶればよいのに、おせっかいだ」との異論もあった。

 何としても死者を減らしたかった同庁は、坑道内でのヘルメット着用を義務付けていた鉱山保安法令を引き合いにし、法制局側を懸命に説得して改正にこぎ着けた経緯がある。その後、85年にシートベルトが、さらに00年にはチャイルドシートの着用が義務化されたが、さほどの反対はなかった。

 一義的にはヘルメットやシートベルトによって致死率が大きく低減する成果があったせいだ。交通対策としては成功を収めたが、この間に人々はおせっかいな施策にも干渉だと反発せず、むしろ歓迎する風潮が強まったように映る。交通行政は次第に過保護的な色彩を増しているとも解釈できる。

 過保護があだとなることは、育児でも明らかだ。少子化の影響もあり、子どもをペットのようにでき愛する親が目立つが、子どもは自立心を失い、いったん反抗すると手がつけられなくなりもする。ストーカーやドメスティック・バイオレンスなど新手の犯罪が増加したのも、過保護によって人間関係を上手に結べない子どもが増えた結果との指摘がある。

 車の運転にしても、施策によってドライバーが根源的に安全意識を強めたわけではないから、反作用なのか、法令で規制されない点についてルーズになった面は否めない。悪質な酒酔い運転やスピード違反を抑止するために、危険運転致死傷罪の新設などの施策を講じざるを得ない現実もある。

 人々が過保護的な施策も受け入れるのは、公共の福祉に合致するという大義名分があるためだ。だが、見落としてはならないのは、施策はお役人の都合であったり、社会的利益を図るのが目的で、必ずしも施策の受益者を思ってのものではないことだ。ヘルメットなどの着用義務化にしても、事故処理の省力化や事故の加害者の責任軽減にもつながっている。

 禁煙治療は、純粋に喫煙者の健康を考える優しさから生まれた発想ではあるまい。喫煙者を病人として健常者と区別するより、迂遠(うえん)でもたばこの健康障害への理解を促し、喫煙家を自発的に減らすのが筋道だ。

 何よりも今は、精神の自由を損ねる依存体質が社会に広がる現実を省みるべきではないか。

2006年度の初滑り!-2

2006-02-12 16:40:49 | Weblog
白銀の山々と青空をバックに今シーズンの初滑り!<2006/02/10>
「快晴+無風+新雪粉雪」の最高のコンディションでした。
自然を相手にする「海や山での遊び」には、天候を自分自身で予測できることが「特に安全面のポイント」となります。
日本でのスキーでは厳冬期の2月がベストコンディション、この時、水上高原が快晴無風ならば、きっと現地でお会いすることができるでしょう!

2006年度の初滑り!

2006-02-10 22:38:54 | Weblog
2006/02/10 ようやく水上高原が快晴となりました!
前日の東村山は北西の強風が吹き荒れ<この場合、水上高原は新雪粉雪となります>、ウォーキングをしていても「心が躍って」いました。
「ひまわり」の雲の写真と天気図から、「今日の水上高原が快晴になる!」ことも予測できていました。
皆さんは「テレビやラジオで発信される天気予報」をいつも信用されますか?
僕は「ひまわり」の雲の写真と天気図で「その後の天気を自分で予測」し、遊びの行動を決めています。
こうしてようやく、待ちに待った今シーズン初のスキーに出かけることができました。
水上高原から観る「白銀の谷川岳、朝日岳と快晴の青空」をご紹介します。