温故知新 by メゾンゴルフ

ゴルフクラブの歴史と伝統 そして現代技術の融合により
摩訶不思議なゴルフクラブが出来上がりました(^^)v

スパイスに何をチョイスするか

2013-09-21 00:04:38 | ゴルフ考察

 

 

大それたことを言って申し訳ないですが、無意味なスウィング論に決着をつけたいと考えています。

 

では、どうして一介のクラブ屋がそんな「大それた」ことをするのか、しなければならないのか、です。ウチはゴルフクラブを作ることを生業にしていますので、その方面ではプロですが、スウィングに関してはアマチュアです。それならその道のプロ?に任せておけばいい話だと思う方もいらっしゃると思います。

 

確かにそれはそうなのですが、その恩恵を最も受けなければならないはずの方、そのほとんどが「スライス病」「腰痛」「飛ばない」に悩んでいるというのが現状です。専門家である方々がよってたかってやっているのですから、もう少しうまくいってもよさそうに思うのですが…

 

 

特に私はこのゴルフには3つの見落としがあると考えています。

それが先取り上げた「ゴルフクラブの形状」と「人間の骨格構造」で、これが3つ目「重力の利用」です。

 

 

とかくスポーツというと、訓練を要し、しかもその内容は筋力系だと考えがちです。そういう側面が無いとは言いませんが、ことゴルフにそんな筋力は必要ないでしょう。その筋力も力を発するためのものだと思っているでしょうが、本来の使い方は受け止めるためのものです。その証拠に力を抜けとか力むなとか、再三再四言われています。しかし力を発するものだと考えている以上、そう言われても出来ない。エネルギーは自分で発生させるもの、そういう状態なわけですから。

 

この“力を抜け”の意味合い、その根底にあるのは「せっかくエネルギーが発生しているものを阻害するな」ということで、腑抜けになるのとはわけが違います。

ウチでも「脱力」という言葉を使いますが、これは「脱」「力」、つまり、力を入れなければならない状況から脱却しましょうということでね。これは蛇足ですが、力なんて必要なところでは(無意識な状況で)十分入っていますから、わざわざ加えることなんてないんです。

 

 

となると、その必要なチカラを何に頼るか?という事になりますけども、ソコはすべてに平等で「あたり前」のチカラを使いましょう!

 

 

あたり前すぎて意識していない事、我々は地球上でゴルフをしています。

ということは絶えず重力を受けているということ。で、そこに高さが加われば重量は位置エネルギーとなります。そうですね、ジェットコースターを思い浮かべてみるとわかりやすいでしょうか。誰しも一度や二度は乗った経験があるかと思いますけども、ジェットという名称ではありますが、その機体にエンジンは付いていません。頂点に達するまでは何かしらの動力を使い持ち上げていき、以降は機体と乗客の重量であの!状況になっています。

 

現状のゴルフスウィングの目的となっている(しまっている)のはスピード、とりわけヘッドスピードですね。それこそ1m/sでも上げようと必死になっています。スウィングを伝える側は勿論、ゴルフクラブを作る側からも。そしてゴルファーも。ある意味、みんながスピード一辺倒になってしまっている状況です。

 

 

そんなにスピード、必要ですか?

 

 

ウチはクラブヘッドは市販品とは比べ物にならない程、重量を増してあります。単純に重いんです。そんなに重いと扱えないんじゃないか?とよく聞かれるのですが、それを助けるためにシャフトという強い味方が付いているのがゴルフクラブなんです。このクラブに関する説明は後でじっくり致します。ここではひとつだけ確認しておけば十分です。

 

 

「重いヘッドと軽いヘッド そのどちらが破壊力の源となりうるでしょうか?」

 

 

持ち上げさえすれば発生する位置エネルギー、これをスウィングに活用することが出来れば、今現在、それこそねじり鉢巻きをして頑張っているスピードアップ、そんなの必要なくなるのではないでしょうか。

 

ゴルフクラブという特殊な形状の道具を筋力によってスピードを発生させる。この関係は重力と対峙するということになります。スウィングという形態上決して逃れられないチカラ、これを不可抗力と言いまが、それを敵に回すか、味方につけるか。今は漠然とでいいです。単純にでかまいません。逃れられないなら味方に付けておいた方がなんとなくお得な感じはするでしょ。

 

 

 

 

 

ぶっちゃけ話をひとつだけ。こう言ってはナンですが、現状のまま、ヘッドスピード絶対主義?にみんなが走ってくれた方がウチ、メゾンゴルフとしては好ましい状況になります。

なんでかって?そりゃ結局とどのつまりは何をやってもダメ、その結論に達するから。そうなってしまった人の最後の救い?がウチの存在なんですね。その人数が多ければ多いほど商売としては有利なわけです。

 

クラブ変えても、スウィングいじっても、毎日練習しても、それこそ徒労に終わってしまいます。それでもまだ、気が付けた人はイイ方で、ほとんどの方がソコに行き着くまでに断念、もしくは体の故障によってやめざるを得ない状況に陥ってしまいます。

ちょっと厳しいようですが、そうなってしまう(しまった)のも本人の責任と言えます。でもそれではあまりにムゴイですのでね。その前に対策を打てるようご提案しているわけです。

 

よくセンスが良いとか悪いとかって言いますけど、それはゴルフの場合、運動神経の事ではなくて、どんなクラブをチョイスできるか!ココにかかっているんですよ。さっきの重力の利用にしても、軽いクラブを持っていたんでは利用しようにも出来ません。となると力を入れるしかない。そうなると力を抜け!なんて言われてもこれ無理…なんですよね。

 

 

 

「ゴルフクラブの形状の意味」

 

「人間の骨格構造の無視」

 

「重力の利用」

 

この3つの見落としを再考し三本の矢とする。それがウチ、メゾンゴルフの考えです。

 

 

 

ゴルフクラブの形どおり扱うのですから、当然クラブの機能は発揮されます。

骨格構造通り動くのですから、誰もが出来る動きです。

重力の利用に至っては言うまでもないでしょう。

 

つまりどれもが「あたり前」のことなんです。それがナゼ今まで語られなかったのか?

不思議に思いますか?ま、ココでは書くわけにはいきませんが、それにも理由が存在するんです。


迷走するゴルフスウィング

2013-08-19 00:48:28 | ゴルフ考察

 ウチが推奨しているスウィング、クラブ扱いによる体の動きに「肘使い」があるんですが、これを説明すると必ず返ってくる言葉、それも反論に近いニュアンスで返ってくる言葉があります。この肘使いがどういうものかというのは追々説明いたしますので、ここではウチでは「あたり前」の動きがナゼ反論されるのか?そこに着目してみたいと思います。

 我々日本人なら聞いたことが無い人はいないであろう「脇をしめろ」と「腰を入れる」この脇と腰にまつわる用語は多々ありますが、ゴルフにおいてよく言われているのはこの2つです。確かにすばらしい言葉ですけども、その解釈はというと運動に対する形と性能、そう受け止めているのではないでしょうか。

「脇をしめろ」これをゴルフファーに伝えるとえるとどういう姿勢をとるかは想像どおりで、“脇を閉める”です。テレビや雑誌で普段見ている形です。大半の方は、特にゴルフをやっている方にとってはこの形、異論は無いでしょう。

しかしです。「ナゼ、このような形をとるのですか?」そう尋ねるとなぜか?そこで会話は終了…無言の時が流れるか、言葉が出てきたとしても“こうしろと教わった(書いてあった)”もしくは“みんなこうやっている”という程度のもので、その理由となると閉口してしまうのです。(もしかして“しめる”だから?)

 ではここで“誰もが認める形”ではない2選手に登場してもらいましょう!ゴルフ業績という意味では生きるレジェンド、ジャック・ニクラウス選手と尾崎将司選手です。ここはあれこれ書くよりも見てもらった方が伝わりやすいと思いますので、2人のトップ時の画像を載せておきます。

 

 

どうでしょうか?誰もが認めるその形とは似ても似つかない状態です。事実この両者のスウィングは受け入れられたものではありませんでした。特にこの状態の事を「フライングエルボー」と呼び、先のクラブ構造上のズレと同様、専門家ほど嫌悪感を持つというものでした。それにも理由があって、その当時(今もですが)スウィングのお手本とされていたのはベン・ホーガンです。それを元にスウィング理論なるものを持っている人達にとっては、この形が主流になることは非常に都合が悪い。自らの根本を否定されるものですから当然です。ですので、この形が悪いものとして広まったのは専門家にとっては好都合だったのです。

で、この流れに喜んだのは何を隠そうこの2人?ゴルフにとって非常に理にかなったこの形が悪者、特殊なものとして扱われるのですから、誰も真似しようとはしません。相変わらず“脇をしめる?”ことをやってくれているのですから、2人のあの勝ち星も納得です。勿論、当人のスウィングが素晴らしかったことには違いありませんが、追う側の選手達が言葉は悪いですが、間抜けなスウィングをしていたんでは歯が立たないことは自明の理です。

ここで「フライングエルボー」に関する言い伝えをご紹介しましょう。実はこの言葉を世に広めたのは実は、そのニクラウス本人だった?!

悪い形というニュアンスで伝えたのも作戦。まあ都市伝説ともとれる内容ですが、火の無いところに煙は立たないという諺もありますし、選手としては知られたくない、真似されたくないという心理を考えれば、当たらずと雖も遠からず、だと思います。

そのフライングエルボースウィング?を持って来日した際、その(悪評の)前評判を偏見とせず取り入れたのが尾崎将司選手で、彼はスウィングを事細かく伝えるのではなく、その意味を考えろ!と常々言っていたそうです。だから風評被害にあわず、以降の栄光を獲得することが出来たのでしょう。確かに中には真似した選手もいたとは思いますが、そうしている理由というものが伴わないがために続かなかったのでしょう。

 少し話がそれてしまいましたが、「脇をしめろ」と「腰を入れろ」に戻ります。この両方の言葉は、形や動きの事を言っているのではなくて、日本人として受け継がれてきている精神論としての意味合いが強いというのが私の見解です。

 ちょっとうっかりミスをしてしまった時のことを「脇があまい」と言います。「脇をしめてかかれ」というのは気合を入れてとか準備万端でという意味です。「腰を入れる」も同様、物事に取り組む際の心構えというか、そういう意味合いで使われる言葉です。

 両者共、あまりにイイ言葉すぎて使わずにはいられなかったのかもしれませんが、こと体にあてはめてしまうとトンデモナイことをやらされてしまう事になります。

 

 

右脇をこの状態にしてしまうと反対の左サイドはどのような形をとることになるでしょう。ゴルフ用語で言う脇をしめろと同義語である左肩をいれろというのがありますが、この状態は肩を脱臼させる方向の動きであることはご存じですか?何の疑問も無くやっているようですが、体が堅いから~なんてのんきなこと言ってる場合ではないんですよ。

 もっと素朴な疑問を言わせてもらうと、脇をしめろがナゼ右脇なんですか?そのおかげで左脇はガラ空きになっていますよ。

 「腰を入れろ」にしても同様、これを伝えると俗に言う“切る”ような動きを見せてくれます。雑誌の連続写真にあるようなこういう状態です。これも後に詳しく説明しますが、この状態がいかに背骨に負担をかけているか。ゴルフと腰痛がセットのようになっているのはナゼか、その理由がわかると思います。関節として機能する部分を使えていないから本来痛めるはずのない部分に歪が発生し悲鳴をあげてしまうのです。ちなみに…ですが、どう見てもこの状態、普通じゃないでしょう。

 

 

これが第2の見落としている点「人間の骨格構造の無視」です。

 

スウィングというのは技術だと考えている人が多いですが、何も難しいことをしているのではありません。骨格通り、つまりはあたり前に体を扱えれば誰でもできる動きです。付け加えるなら、その骨格構造どおりに動いた時に、クラブ側の効果が得られます。つまりは、両者一体の関係となるわけです。

 


ゴルフを今一度見つめ返してみましょう

2013-08-05 00:01:47 | ゴルフ考察

現在のゴルフ、私は大きく見落としている点が3つあると見ています。しかもそれは末端のところではなく、根幹の部分です。とは言ってもなかなか理解してもらえないと思いますが、順を追って進めて行く中でそれは明確なものとなるでしょう。これまで常識とされているものが、いかに非常識なものであるか、が。

ゴルフクラブとゴルフスウィング、これらについては長い時間の中で多くの人が書いています。もう書くべきところは書き尽くされたようにも見えます。しかしながら人間とは面白いもので、必ず盲点というものがあります。例えば、新しいことを始めた人間の功績は必ず記憶(記録)されるのかというと、決してそうではないからです。

ゴルフクラブと聞くと誰もが現在の形を想像します。これはゴルフをやらない人でも、クラブを見せれば、あぁゴルフで使うやつね、と答えてくれます。知らない人はほとんどいないと言っていいでしょう。

 

 

ではこの形状をはじめに創ったのは誰か?

それ以前にもゴルフクラブという概念はありました。たどれば羊飼いが杖でウサギの穴に石ころを入れて遊んでいたというような話もあります。それが時代を重ね現在の形になっていったのですが、今手にしているゴルフクラブは現代の技術の結晶かのごとく言われていますけども、基本形状は、はるか昔、数百年も前に出来上がっていたものです。材質の変化というのはありますが、それは枝葉の話。棒状の道具で先端に重量物を配置し、面を存在させ、しかもその棒を先端の重量物(ヘッド)の端に接合させています。

この形状は考えている以上に凄い形(アイデア)です。

地面にあるボールを目的地まで運ぶ、その目的に対して人間が扱う道具としては非常に理にかなった、というよりもコレ以外考えられないという構造をしています。それが現在のようなパソコンも無ければ計算機も無い時代にすでに出来上がっていたというのですから、その仕事をした人は天才です。にもかかわらず、その天才の名前を業界に携わっている人でさえ誰も知らないのです。かくいう私も名前は知りません。

どうしてこんな事になるのでしょうか?ひとつ言えることはそれが空気のように極めてあたり前になってしまったからでしょう。変な言い方に聞こえるかもしれませんが、「あたり前の事」は一度あたり前になってしまうと、誰も意識しなくなってしまいます。空気というのは、それが無ければ人間も動物もみんな死んでしまうほど貴重なものなのに、そのことを普段意識しているかというと全くしていません。極端かもしれませんが、それと同じです。

ゴルフには往々にしてこういうことがあります。

あたり前を誰もが考えなくなってしまいました。数えきれない程の書籍、無数にあるゴルフ情報、どちらをとっても一方通行的なものばかりで、ゴルフクラブの構造と関連付けて語られているものは見かけません。

 

これが第一の見落としている点。

「ゴルフクラブの形状の意味」です。

 

例えばゴルフクラブの大きな特徴の一つであるヘッドの端にシャフトが装着されている形状、単純にこれはナゼか?と尋ねられて答えられる人がはたして何人いるでしょう?古の先代の大きな功績、この画期的な形状をスウィングに取り入れられている人はいるでしょうか?

現状はこの形状をまるで邪魔者かのごとく扱っています。それは主流とされているスウィングを見れば一目瞭然なんですが、驚くのはゴルフの専門家たる人達でさえ、いや、専門家の方がそう扱っていることです。トゥダウンという言葉、聞いたことありますか?重心位置がシャフト軸線上に揃うあたり前の動きをこう呼んでいるのですが、これは好意的にとられたものではなく、そのズレはヘッドコントロール(ターン)を阻害する、そんな扱いです。

この形状がですね、そんなに邪魔な、構造上無用な存在なのだとしたらやめてしまえばいい話なんです。だってそうでしょ。必要の無いものは取り除けばいい。何もわざわざこの形状にしなければならない事は無いんです。これまでも紆余曲折しながら進化を遂げてきたわけですから。しかし、不思議なことに、実に不思議なことに、その数百年前の形状を今も守ってきているんです。(いや、守っているというと聞こえが良すぎますね。単に真似してるだけでしょうね。)

私は物の形には必ず意味があると考えています。それが変えられずに来ているという事は、そこには意味が存在するんです。

ひとつゴルフ上達へのコツ?を書いておきましょう!それはですね…「子供の目」になってゴルフを見てみる事です。凝り固まった状態ではなく、無垢な気持ちと言いますか、あたり前があたり前になっていない状態、そんな環境に自らを置いてみると、これまで気が付かなかった事が見えてきます。そして、何かひとつ気が付くと、そこを突破口にして面白いように繋がりはじめる。そんな新たなゴルフの幕開けとなるわけです。