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☆福井 * 平泉寺 白山神社と東尋坊

2022-05-23 | ♥北陸 * 平泉寺白山神社・永平寺・金沢・能登

 

 

福井県勝山市にある平泉寺 白山神社(へいせんじ はくさんじんじゃ)に参りました

1300年を超える歴史と、白山国立公 園の豊かな自然の中にあり

境内一面を覆う幾重にも重なった見事な苔など、今なお生きづく歴史を 感じさせてくれる

 

寺か、神社か悩む名称ですが、明治の神仏分離令により

寺号を廃止し、名称はそのまま残し白山神社を付けたのでしょうか

 

養老元年(717年)に泰澄大師によって開かれたと伝わり、白山信仰の越前側の拠点となっていた

平安後期には天台宗比叡山延暦寺の末寺として発展し

最盛期の戦国時代には、

48社、36堂、6,000の坊院が建ち並び、寺領は9万石・9万貫、8,000人もの僧兵がいた

と伝えられ、当時は日本屈指の宗教勢力であったようです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天正2年(1574年)、織田信長方に属していた白山平泉寺は

越前の一向一揆勢に攻められ全山が焼失

10年後に一部再興されたが、境内は元の10分の1程度にすぎず

多くの坊院跡は山林や田畑の下に埋もれた

 

 

「平家物語」では木曾義仲の「火打合戦」に登場し

「義経記」にも源義経が「有名な平泉寺に行きたい」と立ち寄った話が描かれています

明智光秀の人生を描いた「明智軍記」では朝倉家滅亡を描いた記述に多数登場します

 

 

泰澄大師廟

 

 

 

御手洗池

 

 

 

この泉が「平泉寺」という名前の由来

 

 

 

 

禊の場所でしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

杉木立と苔が美しく、神秘的な雰囲気の参道

木曽義仲が戦勝祈願をしたり、頼朝に追われ奥州へと向かう義経と弁慶が立ち寄ったり

正体を隠した義経一行を、当時の長吏(寺の長)はわざと見逃したそうです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥居をくぐって広い参道を歩いていくと目の前に広がるのは、青々とした緑のじゅうたん

苔の緑が作り出す爽やかな空気、年代物の石積みは静かに時を刻んでいる

 

 

ここを訪れた作家の司馬遼太郎が

「京都の苔寺の苔など、この境内に広がる苔の規模と質から見れば・・・・」

と絶賛した程の苔だとか

 

 

 

 

かつては三十三間拝殿と言われた大きなお堂でしたが

今は江戸時代に建てられたシンプルな造りが、周りの風景に溶け込んでいる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

階段上がると本社

 

 

 

子供と一緒の阿像

 

球を持った吽像

 

 

本社内の阿吽像は

かなり古くソバージュおかっぱ頭のよう

 

 

 

 

 

雪囲いをしているのでしょうか?

 

 

 

 

 

苔の中の山野草

花がないので分からないが多分

(上フイリシハイスミレ (斑入紫背菫)の葉

今年はスミレ探しにも行けなかったが、ここでマキノスミレに似たフイリシハイスミレを見て、、

(下)ニシキゴロモ(錦衣)か? シソ科キランソウ属だけど、

共に葉脈に存在感あり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

苔が一面に広がり延々と生命力が息づき

緑に包まれリラックスできるヒーリングのスポットでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多くの坊院跡は、平成になって発掘調査が始まると

中世の遺跡として数々の石敷道や石垣、坊院跡(僧侶の住居跡)が発見され

かつて賑わった巨大な中世宗教都市の姿を現し始めています

 

 

 

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そして東尋坊:参考サイトから

 

こうづけのすけさんの

郷土の伝承伝説の地を巡るブログというかサイト ☟

 

平泉寺の東尋坊屋敷跡と血に染まった井戸【勝山市】

東尋坊は福井県を代表する観光地であり名所。その名の由来は平泉寺白山神社とも繋がっている。福井県勝山市平泉寺地区少し恐ろしい言い伝えが伝わる。この悪僧伝説の「東尋...

こうづけのすけのふくい人生浪漫

 

 

   東尋坊

福井県を代表する観光地であり名所、多くの観光客が訪れる景勝地。

しかしその名の由来は、福井のもう一つの名所、平泉寺白山神社とも繋がっています。

 

寿永(1182~)の時代に、平泉寺数千坊に東尋坊という悪僧がいたとされます。

この東尋坊は寿永元年4月5日、衆徒の海辺遊覧の時に酒で酔わされて、

他の者たちの日ごろの恨みから断崖絶壁の下へ突き落されました。

東尋坊はこの時、そばにいた法師らを掴み道連れにしました。

すると晴天が一転し雷雨となりました。


 その後は毎年4月5日の平泉寺白山神社の川上御前の祭礼の時は、

東尋坊の怨霊が黒雲に乗って平泉寺へ登ってきて、近隣の船の往来はできなくなるといわれています。

参考:『大野郡誌』

 

この悪僧伝説の「東尋坊」という僧は、平泉寺の僧の一人でした

 

 

 

「東尋坊跡」の石柱

石柱に記していたのは

悪僧東尋坊が三国の絶壁から突き落とされた

そのため井戸は血の色に染まり、

その後も井戸に米ぬかを入れると三国の海に浮かび上がると伝えられる

 

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のどかな田んぼ風景です

 

 

 

車窓から勝山城

 

 

 

 

 

撮影日:5月17日

 

 

永平寺へ

 

 

 


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