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☆鎌倉 おんめさま(大巧寺)から東身延本覚寺へぶらぶら

2018-01-29 | ♥ 神奈川:伊豆・箱根・鎌倉etc

 

鎌倉大仏様から江ノ電「長谷駅」まで、疲れ気味だったがてくてく。。。。。のはずだった

大仏殿の入り口横のお土産さん前に路線バスが来た、神奈中バス「鎌倉駅」行き

 

若宮大路で下りて信号を渡り、鎌倉中央食品市場前を通り、生涯学習センターの横の細い階段を数段上がり

綺麗に手入れされているお寺へと続く参道

(何人かとすれ違ったので不思議だったが、小町通りからのショートカットにもなっているようで、、)

 

おんめさま(大巧寺)は、JR横須賀線・江ノ電 鎌倉駅から 徒歩3分に位置する お寺です
安産を願う 妊婦様が、日本全国 及び 海外からも、お札を受けにいらしています
また、境内にて 季節ごとに咲く多種類の花々が、 訪れる方の心を癒します(帰宅後HPより転載)

 

 

 

 

冬に熟す美しい 赤い実、白い実に(*´▽`*)

 

 イイギリ(飯桐)別名:ナンテンギリ(南天桐)

ヤナギ科(クロンキスト体系など従来の分類ではイイギリ科とされていた)の落葉高木

和名「飯桐」の由来は、昔、葉で飯を包んだためといわれる

 

 

 マンリョウ

サクラソウ科 ヤブコウジ属の常緑小低木 

 

 

 

 手水舎

 

 長慶山 正覺院 大巧寺

御由緒

    往古ハ鎌倉十二所梶原屋敷内ニ在リ長慶山正覚院大行寺ト称シ真言宗ナリ、
   嘗テ源頼朝当寺ニ於テ、軍ノ評定セシニ、其ノ合戦勝利ヲ得タレハ大巧寺ト改メタリ
   其ノ後元應二年二月現地ニ移転 住僧某日蓮ニ帰依改宗シ妙本寺ノ院家ニ属ス
   天文元年四月当町大倉ノ住人秋山勘解由ノ室難産ニ死シ獄苦ニ沈メルヲ当寺日棟
   教化得脱セシメ産女ノ塔(うぶめの塔)ヲ建テ安産守護ノ霊神トシテ祠ル、
   開山ヲ日澄(中老)トシ天正十九年十一月徳川家ヨリ御朱印地七貫二百文ヲ賜フ

 HP参照

 

 

 

 毎月、戌の日 及び 大安の休日には、安産腹帯守授与所は混雑するそうです

小町大路に出ました

 

 

 大巧寺から小町大路へ右折、しばらく歩いて東身延本覚寺へ

 

 

東身延本覚寺 

 日蓮の遺骨が分骨された日蓮宗の由緒寺院です

一乗日出を開山として1436年(永享8)に創建

足利持氏が鎌倉の夷堂があった場所に寺を建てて日出上人に寄進した寺院

二代目住職が日朝上人であったことから「日朝さま」という名で親しまれています

また、身延山から日蓮上人の骨を分けたので「東身延」とも呼ばれています

本尊は釈迦三尊

山号は妙厳山(みょうごんさん)

 

 

当日は紅白の枠組みが残り、職人さんたちが作業していました

 

 

 

 本覚寺のある地は、源頼朝が幕府の鬼門除けのために夷神を祀ったという夷堂(天台宗系)があった所

 「東身延」の額は、松平定信の筆によるもの

 

 

境内は、商売繁盛、景気を祈る本えびす(1月10日)のあと

 

 

梵鐘 

 

 

 

 手水舎の台座は、なんと恵比寿さま獅子に乗ったり、担いだり (◎_◎)

意味があるのでしょうが、遊び心一杯で興味深いです

 

 

 

龍も2匹?が絡み合って 

 

 

 

 

 

 

夷堂

 

源頼朝御所の鬼門にあたる方向の鎮守として夷神を祀ったのがその始まり

 夷尊神は鎌倉・江の島七福神一つ

 本覚寺は商売繁盛、五穀豊穣の神様のえびす様です

  鎌倉・江の島七福神(恵比寿)、鎌倉十三仏第3番札所(文殊菩薩)のお参りに来る人で絶えずでした

 

 

 この夷堂は、源頼朝が鎌倉幕府の開幕の際に、幕府の裏鬼門(南西)にあたる方向の鎮守として建てたとされ、天台宗系のものであった

文永11年(1274年)に佐渡配流から帰った日蓮が一時、この夷堂に滞在し、辻説法などの拠点としていた

 

 夷堂の階段横に鈴なりの白い実は

 

センダン(栴檀)別名:オウチ(楝)、アミノキ

センダン科センダン属の落葉高木

 落葉してしまった梢に白っぽい果実

 

 

 

次は鶴岡八幡宮へ

 


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