新生フォ~☆シーズン~☆

☆愛しきものたち
☆旅行・芸術・植物・生き物が好き
☆山歩きと古社古刹巡礼
☆たんこ(永眠)/みんこはサクラ猫

☆高野山第二の聖地 * 檀上伽藍の堂塔

2021-11-15 | ♥秋の高野山参詣

根本大塔

 

高野山二大聖地のひとつ「壇上伽藍(だんじょうがらん)」は

金堂や根本大塔など諸堂が建ち並ぶ高野山の象徴的な存在

空海がこの地で表現しようとした曼荼羅の世界

 

 

根本大塔内の立体曼荼羅 (出典:Discover  Japan)

 

 

 本尊:胎蔵大日如来と金剛界四仏をともに祀るのは「金胎不二」

別々の経典をもととする金剛界も胎蔵界も本質的には同じだと示すものだという

 

 

檀上伽藍と呼ばれる高野山の中心地、金堂や根本大塔などが立ち並ぶ一画に参りました

高野山を修禅の場と位置づけた弘法大師空海は自ら、伽藍建設を計画

その志は弟子たちに受け継がれ数多の年月を経て完成したのが、高野山の二大聖地のひとつが、壇上(場)伽藍

壇場とは修法を行う曼荼羅道場を表す言葉

高野山内でも高い台地にあるため、現在は壇上伽藍と書かれることが多い

約5万5000㎡に十数の堂塔が、密教独特の寺院配置で建つ中で、ひと際高くそびえるのが

約48・5mの根本大塔、密教の根本道場として建立された大塔のため

 

中には胎蔵界の大日如来を中心に

周囲に金剛界の四仏(阿閦如来、宝生如来、観自在王如来、不空成就如来)

さらに周囲を同じく金剛界の十六菩薩が描かれた柱が囲む

 

一方、壇上伽藍の西北に建つ西塔には金剛界の大日如来を中心に

周囲を胎蔵界の四仏(宝幢如来、開敷華王如来、無量寿如来、天鼓雷音如来)が囲む

 

この二基の塔は、仏の悟りの世界を示す金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅を3D化した

両界の立体曼荼羅となっています

弘法大師空海が、山全体を曼荼羅世界にしようとした一端でもあります

 

 

では歩いてご参拝いたします

 

 

中門

金堂の正面手前の一段低い所に、そびえる五間二階の楼門

 

 

 

金堂

最初期に建設されたお堂

本尊の阿閦如来(薬師如来、秘仏)は、高村光雲仏師

内部の壁画は「釈迦成道驚覚開示の図」「八供養菩薩像」木村武山(ぶざん)画伯

 

 

 

 

 

 

現在の建物は、西暦1932年(昭和7年)に再建されたもので7度目の再建で入母屋作り

 

 

 

 

 

 

 

六角経蔵

六角六面二層の輪塔

一回りすれば、一切経を一通り読誦した功徳が得るといわれている

 

 

 

御社拝殿 

 

 

 

立派な狛犬ですね、筋肉質な狛犬はよく見ます

口を開けているのが獅子で、閉じて角のあるのが狛犬です

多分、制作者は古い時代の狛犬・獅子を参考にしていると思います

これは京都国立博物館の資料調査室の記事ですが、

狛犬について興味がある方はコチラを参照してください

 

 

 

しっぽも大宝神社の狛犬とよく似ています

 

 

 

※狛犬続きで失礼しました

 

 

それでは御社拝殿

 

 地主の神を山の神と信じることからこの名が生まれました

毎月16日、山内の僧侶による月並み法要や山上僧呂お修行学道の試験とも言うべき

竪精明神論議、国歌安泰を祷る御最勝講などが開かれ、波切不動明王を移して夏の祈りも奉修されます

 

 

 

御 社(重要文化財)

お大師さまは密教を広めるにあたり

日本の地元の神々の教えが尊ばれ守られる思想を打ち出し

神仏習合思想の大きな原動力になりました

 社殿は三つあり、一宮は丹生明神、二宮は高野明神、三宮は総社として

十二王子・百二十伴神が祀られています

 

 

 

山王院

御社の拝殿として建立されました

 

 

 

両側面向拝付入母屋造りの建物

 

 

 

西 塔

金剛界大日如来と胎蔵界四仏が奉安されています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孔 雀 堂

正治元年(1199年)、東寺長者の延杲(えんごう)は

後鳥羽法王の御願によって、神泉苑(しんせんえん)にて祈雨の修法を行い、見事大願を成就されました

その功績により高野山へ建立すべき宣旨を受け、翌年の正治2年には本尊が奉安されました

覗く(拝観)とご本尊さまが見えます

 

 

 

准胝堂 (じゅんていどう)

このお堂は、西暦973年光孝天皇の願いにより真然大徳が建立されたお堂

 本尊は准胝観音、得度剃髪の守り本尊で江戸時代の作

覗く(拝観)とご本尊さまが見えます

 

 

 

御 影 堂

お大師さまの持仏堂として建立されましたが

後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられました

高野山で最重要の聖域であり、限られた方しか堂内に入ることは許されませんでした

 

 

 

金堂

 

 

 

 

 

 

三鈷の松

 

 

 

この松には昔から言い伝えられているお話があります

弘法大師が唐より帰国される際

明州の浜より真言密教を広めるのにふさわしい場所を求め、大空に向けて三鈷杵を投げたところ

たちまち紫雲たなびき雲に乗って日本に飛行したと言われ

後に大師が高野近辺を訪れたところ、狩人から夜な夜な光を放つ松があると聞き早速その松へ行ってみると

唐より投げた三鈷杵が引っかかっていて、大師はこの地こそ密教を広めるにふさわしい地である

と決心したと言い伝えられています

この松の葉は、三鈷杵と同じ三つ葉で聖木として現在も祀られています

この三つ葉を持っているとお守りになるとか、財布に入れておくとお金がたまるそうです?

 

 

 

 

 

 

 

実は、三鈷の松の後ろ側から歩いてきて、御影堂の前で女性の僧侶に

「足元にたくさん、三本の松が落ちていますよ」と言われ、、、

「ありがとうございます」と反射的にお礼を言ったが、、

この大勢の人たちは、ここに三つ葉があることを知っていたんですね

 

 

 

 

一通り拝観して、戻って参りました

 

 

 

根本大塔

(現塔は昭和期の再建)

密教の根本道場として弘法大師空海とその直弟子・真然の2代にわたって築いた大塔

胎蔵界の大日如来を中心に金剛界の四仏を祀る

真言密教のシンボルとして建立、多宝塔としては、日本で最初のもの

 

 

 

 

 

 

大塔の鐘

 

 

 

 

 

 

愛 染 堂

 

 

 

 

 

 

国宝 不動堂

屋根のコケが風流で上から撮影する、正面に周ると国宝と知った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蓮 池

 

 

 

高野槇(コウヤマキ)

僧侶から聞いた話では、昔は花を使っていたそうですが花枯れが早く

高野山にある植物で、最も長持ちをするものはと探し出したのが、コウヤマキだったそうです

コウヤマキは、夏の暑さにも強く、水替えなどすると1ヶ月は長持ちするそうで

空海の真言宗のみならず、他の宗派にも広く使われているそうです

 

 

 

 

 

 

 

東 塔

 

 

 

 

 

 

 

弘法大師が亡き智泉の供養のために書いたとても人間的で目にとまりました

 

智泉大徳の母は、お大師さまの姉で、お大師さまの甥にあたり十大弟子でした。

825年37歳で入寂してしまいます、お大師様の後継者とされていたことから

お大師様の悲しみも地変だったそうです。智泉に贈られた言葉下記に記します

 

「色即是空、空即是色」


最初の弟子となった智泉が、亡くなった時の達嚫(たっしん)文


「哀しい哉(かな) 哀しい哉(かな)
 哀れが中の哀れなり


 悲しい哉 悲しい哉 
 悲しみが中の悲しみなり


 哀しい哉 哀しい哉 復(また)哀しい哉


 悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉」

 

 

 

蛇腹道(じゃばらみち)

伽藍入り口から東塔東側付近までのびる小道は

今は高野山一の紅葉スポットです

次は奥の院へ

 

 

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
« ☆高野山 * 総本山 金剛峯寺 | トップ | ☆伊勢原市大山 * 紅葉の大山... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

♥秋の高野山参詣」カテゴリの最新記事