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長谷寺には初めてお詣りしました
32号線の鎌倉大仏様へと続く道は、いつも大渋滞で消極的になっていました
今回は電車・バス・徒歩と時間ギリギリまで、疲れなければ探訪できます、、、(*^-^*)
前記事 ⇒ ☆江ノ島から極楽寺、切り通しを下り星の井の井戸まで
太陽が低く眩しい~
仏足石
※ 当山は、観音山の裾野に広がる下境内と、その中腹に切り開かれた上境内の二つに境内地が分かれており
入山口でもある下境内は、妙智池と放生池の2つの池が配され、その周囲を散策できる回遊式庭園となっております
また、その周辺にとどまらず、境内全域は四季折々の花木に彩られ
通年花の絶えることのないその様相は、「鎌倉の西方極楽浄土」と呼ぶに相応しい風情を呈しております
※ 地蔵堂
下の境内より階段を上ると、その中段奥に見えるのが地蔵堂です
当山に帰依する信者の方々の発願により建立されました
その後、堂宇の老朽化に伴い平成15年に再建されたのが現在の地蔵堂です
鎌倉では例の少ない扇垂木の屋根が特徴です
なお、お祀りする地蔵尊も御堂の再建にあわせて造立されたものです
大黒様? 恵比寿様、布袋様?のグループ福の神 七福神 (*´▽`*)
マンリョウ(万両) サクラソウ科ヤブコウジ属の常緑小低木
※ かきがら稲荷
当山本尊の縁起譚に付随する伝承として
本尊が海中を漂流していた際、その御尊体にかきがら(貝)が付着し
※ 鐘楼
当山の梵鐘は文永元年(1264)鋳造の銘を持つ、鎌倉でも3番目に古い作例となります
※ 阿弥陀堂(阿弥陀如来)
阿弥陀如来坐像は、伝承に曰く
鎌倉幕府初代将軍である源頼朝が、自身の42歳の厄除けのために建立したものといい
現在この尊像は「鎌倉六阿弥陀」のひとつにも数えられます
厄除阿弥陀如来
ソシンロウバイ (素心蝋梅) ロウバイ科
※ 観音堂(十一面観音菩薩)
その創建は本尊である長谷観音流着の縁起に由来し、天平8年(736)まで遡ります
当山が鎌倉でも有数の古寺に数えられる所以です
その後、幾年の星霜を経るなか、幾度と無く堂宇も再建がなされたと伝わりますが
関東大震災による当山の罹災は甚だしく、旧来の建物は止む無く建替えとなり
災害から本尊をお守りするため、鉄筋による再建が進められました
そして、昭和61年、罹災から実に60年以上の歳月を費やし現在の堂宇は完成に至りました
本尊である十一面観音像は、錫杖を右手に携え、岩座に立つ独特の像容で
大和長谷寺の本尊をはじめ、全国に所在する長谷寺に祀られる観音像に多く見られることから
これらを総称して「長谷寺式十一面観音像」と呼びます
縁起に曰く、本尊の造立は養老5年(721)と伝えられていますが、現在の像が創建当初からのものとは言い難く
また後世の修復も多く加えられているため、制作年代については未詳と言わざるを得ません
但し、本尊に付随する光背や御前立の観音像の修復年代が室町時代まで遡ることから
現在の尊像が存在していた時期についても、室町時代に準ずるものであることは確かといえ
さらに鎌倉時代より当山に伝世する大型の懸仏や板碑類の存在から、その当時には巨大な尊像が造立されていたものと推測されます
=撮影禁止=
息ができない程神々しく素晴らしいです
ミツマタ (三椏) ジンチョウゲ科
相模湾対岸は、由比ヶ浜、逗子マリーナ、葉山、半島先は森戸神社
風格・荘厳ある観音堂 (本堂)
※蔵輪
内部の回転式書架を「輪蔵(りんぞう)」と呼びます
※輪蔵は観音御縁日(毎月18日)、正月三が日、4月8日(灌仏会)、8月10日(四萬六阡日)のみ回すことができます
※マニ車
主にチベット仏教において用いられる道具です
マントラが刻まれた筒の中には漢文とサンスクリット語の般若心経が多数納められています
マニ車を回転させることで、納められた経文を唱えるのと同じ功徳があるといわれています
※18基あり、毎日回すことができます
マニ車18基、クルクル~回し般若心経も知らずに、、、なんだか異国に来た感じがスル( ◠‿◠ )
※大黒堂 は改修工事中
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/91/657331348865edaac854e7e964d2a0c7.jpg)
弁天窟の中は薄暗く、天井の低い所もあります、撮影は↓以外は失敗
とても堅い黄金竹(おうごんちく)
※弁天堂
このご本尊に代わり、堂内には「福徳弁才天」がお祀りされ、広く皆様にご利益をお授けしています
※拝観説明、長谷寺公式HPを参照 =コチラ=
= 御朱印 =
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