さて今日は叔母の初七日、九州にその為に来たんで昨日はいわば余禄。
朝から日豊線特急に乗りまして、中津で各停に乗り換え今津で下車しましてね。
従兄弟曰くにはタクシーに所番地と氏名をいえば判るというんで、駅前にったった1台停まってたのに乗ったんです。
ほんで、所番地と氏名を告げたら「へっ?」おいおい話がちゃうやんか・・・。
何ぼ田舎でも個人の名前だけで行くとは半信半疑やったのが、零信全疑になったやんか!
住所を頼りに本社に無線で問い合わせて走り出したんですが、途中で様子が変ですねん。
「どっちみちワンメーターですから、メーターを止めて一寸この辺りを走ってみましょうね。」
何しろ前回来たのは30年以上昔で家は増えてるし、工業団地なんぞが出来てて昔の姿今何処。
ゆっくり集落内を走ってるとカミさんが「あれっ、其処の家見覚えがあるかも!」といい出したんですわ。
従兄が家を一部改築した時、家の写真を年賀状に使ってたのを思い出したんやて。
車が停まってよく見ると、奥に見える古い部分は私も見覚えがあるような気がしましてね。
降りて良くみたらどうやら当りらしいけれど、道路に面した所に表札が出てませんねん。
ちょいと失礼して入っていったら丁度従兄が顔を出しまして「お~、よう判ったなぁ!」てあのなぁそれは無かろ。
先ずは仏さんにお参りしてワイワイいうてると、大阪からコッチへ向かってる従弟(故人の次男)から電話ですわ。
従弟夫婦に大阪の従姉も一緒で新幹線の中で話に熱中して、はっと気付いたら小倉を過ぎてしもてたそうな。
返せ戻せという間もなく博多へ行ってしもて、泡を喰らって小倉にとって返したけど日豊線の連絡が悪いんやて。
お経は1時間以上かかるから、遅れても法要が終わるまでには来られるやろう、というてたんですわ。
ほんなら何とお寺さんが檀家に新仏が出たんで、と15分ほど早う来られて法要が始まりましてん。
ありゃりゃ、これはマゴマゴしたら間に合わんかも知れんぞ、と心配してたら何とか間に合って良かったですわ。
マイクロバスで中津駅近く京町3丁目の料理屋さんで仕上げをいただいて、駅へ行ったら発車のベルが鳴ってますやんか。
案内表示を見ると上り特急小倉行き「にちりん」、急ぎホームに上がるとベルが鳴り終わり扉が閉まろうとする所でしてん。
「待って!待って!」と叫んだらホームの駅員さんが扉押さえて待ってくれてました、さすがに九州は情がおますなぁ。
ドタバタと乗り込んで、やれ間に合うて良かったなぁ、あっ、急に走ったりしたらアカンのやった・・・。
しかし、以前は横断歩道で信号が変わりかけ、ほんの10m程を小走り等した物なら歩道にヘタリ込んでましてん。
エスカレーターを走って上がって、短い距離とはいえホームをダッシュしても倒れんのは、身体が慣れたんですなぁ。
思わずヒビ入りの心臓の事を忘れて走ったけど、今後は気を付けんと油断は禁物。
ガラガラの車内で落ち着いて、雪の積もった遠くの山を眺めてたら、喉と鼻の奥がイガイガして花水木がタラ~ッ。
新幹線車内の乾燥した空気にやられ、ホテルの暖房で駄目押しされたか、ひえ~風邪引はご勘弁やで!
小倉で一旦改札を出て、マゴへのお土産に石村萬盛堂の「鶴の子」2個入りを人数分買いまして新幹線のホームへ。
「のぞみ」自由席の乗車位置へ行くと長い列、何でこないに混んでるんや?あっ正月休みの帰省Uターンか!
40年ほど昔1年足らず東京にいた以外は、生まれてこの方ず~っと大阪に居続けやから、帰省というのには縁が無うてねぇ。
デッキも人で一杯、客室内通路も沢山立ってはったけど、後から続いて乗って来るんで立止まる事も出来へんのです。
押され押されて、すんまへん!と行き着いた先は車両中程、幸い次の停車駅で広島で直ぐ横の席の方が降りはったんですわ。
こういうのは運としかいいようがないねぇ、有り難い事にカミさんと通路を挟んだ席に座れました。
思ったより早く帰宅出来たけれど「更新は明日という事で御免こうむりまして、もう寝させて頂きます。」でパッタング~。
年明けからこんなんばっかりですなぁ。
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