知る人ぞ知る台灣の代表的なナイフです。
ナスビのような柄に、竹の葉のような刃の形をしているところから茄柄竹葉刀とも、また八芝蘭刀とも呼ばれているそうです。
台灣の畏友、謝清章さんに30年余り以前に貰いました。
謝清章さんについては、その内に別立てで書く積りです。(何時になるかなぁ・・・)
一緒に車で、謝さんの故郷の宜蘭に平林の山を越えて行った時に、道端で果物を買ったんです。
やおらポケットから取り出したのがこのナイフ。
見たことも無い異様な形に驚いていると、「あんた何度も台灣に来ているのに、これを知らないのか?」と逆に呆れられました。
「何処の家庭にでも一本はあるよ。日本萬國博覽會、内国勧業博覧会や台灣博覧会で何度も賞を取った有名なナイフだよ!」
内国勧業博覧会といえば戦前の話ですよ・・・。
有名かどうか知りませんが、私はこの時初めて見ました。
ひょっとしたら、戦前に台灣土産として渡って来たのが日本にも結構残ってるのかな?
「あんたのお父さんの世代ならきっと知ってる筈だよ」はて、知ってるやろか?
日本に帰ってから訊いたら、やっぱり知りませんでしたねぇ。
形以上に驚いたのは切れ味、恐ろしいくらい良く切れるんです。
「気に入ったら、プレゼントするよ。大丈夫帰るまでにはできるだろう。間に合わなければ今度来た時に渡すからね」
えっ、「帰るまでにはできるだろう」というと注文生産かいな?
台北の中山北路を北へ向かってどんどん行くと士林区があります。
最近は夜市(夜店)でも有名だそうですねぇ。
士林区を右へ行くと故宮博物院のある方向です。
その士林の特産品が士林刀なんですね。
切れ味の良さと持ち歩きに便利なので、地元の台北で人気があったのが、勧業博覧会で賞を取ったのを新聞で紹介されて、一挙に台灣全土に名前が広まったんやて。
そうなると同じようなナイフを作る工場がどんどん出来て、日本時代には士林中小さな鍛冶屋だらけ。
それが皆んな士林刀を作っていたというから、一世を風靡したんですなぁ。
士林以外の地方でも模倣品が作られていたようですね。
相当ナイフの程度に差はあるけれど「肥後の守」みたいなもんですなぁ。
その後機械化が進んで、小さな手作りの鍛冶屋は減ったものの、今(1970年代中頃)でも20軒くらいのメーカーがあるそうな。
数ある鍛冶屋の中でも、本家本元は郭さんという人がやっている工場。
お祖父さんだか曽祖父だかが広東省で鍛造を修行して台灣に帰って鍛冶屋を始めたんやそうです。
「確か日本が来る少し前からだから、あの鍛冶屋はまだ百年ちょっとのもんだろう」このあたりの感覚が凄いなぁ!
日清戦争どころか、同治九年というから丁度明治維新の頃の創業らしい。
鍛冶屋を始めた初代が、台灣で初めて折畳式のナイフを作ったんですて。
その工場で代々同じ形、同じ製法で作っているのが本物の士林刀。
士林の旧名「八芝蘭」から八芝蘭刀と呼ばれていたのが、地名変更で士林刀と呼び名が変ったんだそうです。
この士林刀、料理、農作業、漁業、電工と、ありとあらゆるところで使われて親しまれているんだそうです。
けど、出回っているのはほとんどが機械打ちの偽物で、彼曰く本物は少ないんやて。
というのも、本物は完全な手作りで1日2~3本しか出来んらしい。
そりゃぁ、日に2~3本しか出来ないとなれば、幾ら台湾が狭くても到底需要に追い着きませんよねぇ。
同じ形でも「あんな物は偽物で本当の士林刀じゃない。ブリキ細工だ。」と謝さんは力説してました。
注文が多いから頼んでも中々順番が回ってこんのやそうです。
そんなに生産量が少なくて、人気があるなら高く売れそうなもんですが、それがそんなに高くないらしい。
手打ち鍛造を捨てられんのなら、職人を養成して並んでトンテンカンテンと生産量を上げたら良さそうなもんですがね。
「僕もそう言ってるんだが、あの一族は金儲けが下手で頑固なんだよ。しかし切れ味は間違い無い。」
どうやら謝さんは郭さんと知り合いみたいですが、中国人の知り合いと称するのはべらぼうに幅があるからねぇ。
「上手に砥げばヒゲもそれるし、筍を剥いたり、ブタの頚動脈を切ったり毛を剃るのにはこれが一番。」
日本ではあんまりブタの頚動脈を切ったり毛を剃るような機会は無いでしょうねぇ。
「丁寧に使えば何十年でも持つよ、これは中学時代に買ってもらったのだからもう40年近く経ってるなぁ。戦後剃刀の刃がない頃は毎日これで顔を剃ってたんだ。切れ味が鈍れば新聞紙で砥ぐと直ぐ切れるようになるんだよ。」
新聞紙?ほんまかいな・・・。
その後高雄での仕事を済ませて2日後台北に帰ったら、順番にどう割り込んで手に入れたのか、持ってきてくれました。
「日本の親友に贈り物にするといったら、おまけに小さいのもくれた。これは珍しいよ。僕が欲しいくらいだ。」
なんと、まったく同じ形の小さなのが一緒に新聞紙の包みから出てきたんです。
大きさの比較のために百円硬貨を置いてますが、小さいでしょ。
小さいけれど、作りや切れ味はまったく一緒。
母方の伯父が散髪屋だったので、合わせ砥石のちびったのを貰ってあるんです。
荒砥、中砥、仕上、合わせ、と砥石に吸い付くような相性のよさがたまりません。
砥ぎ上げて、皮砥で刃先をならすと確かに日本剃刀のような切れ味、これならヒゲをそっても剃刀まけしないでしょうなぁ。
そうかいうて、慣れてないから恐ろしくて毎日これで顔を剃る気にはなりませんね。
手元が滑ったら大変でっせ、何といっても安全剃刀が安心ですわ。
刃が薄いから、雑な使い方をして刃を捻ったり抉(コジ)ったりすれば大欠けしそうですねぇ。
謝さんは「大丈夫だよ。切れ味が良く丈夫なのが本物の値打ちだ。」といってましたが、勿体無くて実験できませんよ。
一番小さいのはカミさんがペンダント・トップにしています。
2番目のは財布に入れて持ち歩いてますが、これが意外に便利で重宝してますねぇ。
一番大きいのは、挿し木や障子の張替えなど、とことん鋭利な刃物が要るときに登場してます。
後年、謝さんの甥が日本に住むことになりまして、良く付き合ってたんです。
あるとき財布からチビ士林刀を出したら、同じ物をキーホルダーにつけているのを嬉しそうに見せてくれました。
謝さんはあの後小さいのを沢山注文して、何かの折に友達や親戚にプレゼントしたんだそうです。
その彼も謝さんより先に、大震災の年の七夕に亡くなったからもう十年ですねぇ。
一時はそれこそ台灣の国民的ナイフだった士林刀は、新しい刃物に押されて工場が次々転廃業して、手作りの士林ナイフを作っているのは今や2軒だけだそうです。
多分私のナイフを作ってくれた郭さんの息子か、ひょっとしたらマゴあたりになると思うんですが、五代目がそのうちの一軒として今でも頑張ってるんやて。
「手作りの良さを守ったのが生き残れた原因」と台灣のサイトで紹介されてました。
形は変わり無いんですが、鋼は炭素鋼の白紙鋼(シロガミコウ)から今はタングステンの青紙鋼(アオガミコウ)になってるんやそうです。
画像の私のは勿論炭素鋼の白紙鋼、今となってはアンティークの部類か? サイトで紹介されている士林刀の刃は鏡のように研磨してあって、如何にも高価そう。
青紙鋼(アオガミコウ)といえばカミさんの剣鉈がそうですねぇ。
本物の士林ナイフは生き残ったものの、実用品というよりはコレクター向けの、所謂「作品」になってしまったようですね。
高価になればなったで、相変わらず「偽物」もあるみたいです。
これは間違いなく本物、台灣に持っていったら結構高く売れるかな?
謝さんの霊が出てきて叱られそうやから、売りませんけどね。
2005/08/29
2019/07/07 再録
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