●足利家菩提寺「等持院」へ寄進された【越中五位庄の半分】
・応永22年(1415年)10月には「足利義持」が「五位庄」の半分を「京都等持院」に寄進した事が富山県史中世編に記載されている。(※足利義持御判御教書案・等持院常住記録)
「五位庄の半分」とは、「畠山文書」の絵図に見られる「畠山持国」の所領とされる「赤丸浅井城」が在った「五位の西庄」で在ったと見られる。
・応永22年(1415年)10月には「足利義持」が「五位庄」の半分を「京都等持院」に寄進した事が富山県史中世編に記載されている。(※足利義持御判御教書案・等持院常住記録)
「五位庄の半分」とは、「畠山文書」の絵図に見られる「畠山持国」の所領とされる「赤丸浅井城」が在った「五位の西庄」で在ったと見られる。