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赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

🔴🌸 加賀藩の記録「陽廣公遺訓」⇒加賀藩第三代前田光高の遺訓!!

2021-04-17 | 旧町名 富山県西礪波郡福岡町赤丸

■「前田光高」は加賀藩の第3代藩主、加賀前田家4代で第2代藩主前田利常の長男。母は第2代将軍徳川秀忠の娘の珠姫(天徳院)で正室は第3代将軍徳川家光の養女で水戸藩主徳川頼房の娘の「大姫」。徳川家康の外曾孫で、藩祖前田利家の嫡孫である。「前田光高」は若くして夭折したが、人格、識見が優れて、加賀藩統治の心得を「陽廣公遺訓」に遺している。
この書は加賀藩の歴史家の「富田景周」が加筆修正したものが「森田柿園」等により筆写されて石川県立図書館に保管されている。近年、この「富田景周」の校正元本が発見された。

【前田 光高】Wikipedia
時代 江戸時代前期
生誕 元和元年11月20日(1616年1月9日)
死没 正保2年4月5日(1645年4月30日)
改名 犬千代(幼名)→利高(初名)→光高
戒名 陽廣院殿將巌天良大居士
墓所 野田山墓地
官位 正四位下・左近衛権少将兼筑前守
主君 徳川家光
藩 加賀藩主
氏族 前田氏
父母 父:前田利常、母:天徳院(徳川秀忠の娘)
兄弟 光高(利高)、利次、利治、利明
妻 正室:大姫(徳川家光の養女・徳川頼房女)
子 綱利(綱紀)、万菊丸
子に前田綱紀(長男、初め綱利)、万菊丸(次男)。幼名は犬千代。


「デイジタル版」


「本物」














【最近は凄いですね‼ 先日、石川県立図書館で本物と確信したこの本の写真版が出回り始めました。
比較すると、虫食いやら訂正やらが全く同じで、デジカメ版ですからこの写本には穴が空いていません。
これを見て、手元の本が本物だと更に確信しました。何よりもなかなかお目にかかれない「富田景周」の自筆本に触れられた事がうれしいですけど………… 加賀藩の古記録が今頃になって現物が出回っている事自体が不思議な事ですが、自治体は予算が無く、前田家にとってはどうでも良い資料なんでしょうか? 加賀藩の記録がどんどん失われているこの時期に「富田景周」の自筆校正本が見つかった事は貴重だ。】

■現役の時に、御客様が東京板橋の加賀藩下屋敷の敷地を購入された時に、前田家から敷地内に在った祠と中味の石仏を処分して欲しいとの事だったので、調べたら、越中上市の大岩不動尊の岩を切り取って彫られた不動尊だと分かり、会社で数百万円の費用を負担して上市の大岩不動尊に「遷仏」しました。この石仏は現在、本堂の横の建物に祀って在りますが、加賀藩は下屋敷の庭に「赤丸山」や「大岩」と言う築山を作って保養所として使用していた様ですが、明治に成り関係の寺院等との縁が切れた為に、加賀藩関係の文書や文化財は二束三文で売り払われ、又は廃棄されました。これは、加賀藩だけの事では無いかも知れませんが、これが日本の文化財管理の現状です。各地の自治体は表向きは「観光振興」を唱えていますが、中味はこんなに空っぽ。封建制度を否定したり、神仏を否定したりするのは自由ですけど、江戸時代の数百年の一時代の 実際の記録が廃棄される事は「日本人の歴史」を消し去る事にも成り、「日本人の精神を忘れた子供達」が果たして今後、日本を弱肉強食の世界の中で守り続けられるでしょうか?

■加賀藩江戸下屋敷に祀って在った「不動尊像」は現在、「大岩不動尊」本堂脇の愛染堂に祀って在る。
(※掲載写真、絵図等の掲載は大岩不動尊の許可を受けています。)
・富山県上市町「大岩不動尊」




・「愛染堂」






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