●「東大寺大仏造営」の寄進記録に見られる様々な古記録の差の解説。⇒南宋の臨済宗の僧「道濟」の著作【度量衡考】!!
越中の古代豪族「利波臣志留志」は、「聖武天皇」が発願され「行基」が勧進を進めた「東大寺大仏造営」の時に、「米五千石」を寄進したとされる。
■「越中国司大伴家持」の後任の「越中国司員外介利波臣志留志」の時代!!
この記録については様々な古書に色々な表現が有るが、江戸時代発行の「度量衡考」を入手して確認した所、明確にその差が説明されている。
■「続日本紀」では「利波臣志留志は米三千石と庄園百町を寄進した」とされ、東大寺のお水取り行事で読み上げられる「東大寺修中過去帳」では「米五千石」を寄進したと記録され、又、「東大寺要録」と言う東大寺の古記録では、「米五千斛サカ 」を寄進したと記載されている。
日本の度量衡は古来、中国の制度を倣って使用されて来たが、中国でも「周漢尺」・「梁尺」・「魏晋尺」・「宋尺」・「東後魏尺」・「後周尺」・「隋尺」・「唐大尺」・「唐玉尺」等が在り、南宋の時代に生まれた臨済宗の僧「道濟」(※通称「濟公」)が著した【度量考 二巻】等に拠ると、日本で採用された度量衡は主に「唐尺」の中の「大尺」と呼ばれた単位が採用されたとしている。
■それに拠ると、古来、日本の古記録に見える「斛 サカ」と呼ぶ単位は、「唐尺」に拠れば【一斛=一石】になるとしている。しかし、厳密には若干の誤差が有る様だが、特に、現在の記録に【一斛=五斗】とされるものも在って、これは「唐尺」の中の「玉尺」と呼ばれた単位で在り、【一斛=一石】は唐尺の「大尺」と呼ばれた単位で在り、これが当時、日本で使用されていた事から、【一斛=五斗】は明らかに誤りで在ると説明している。
▼この「度量衡考 上 下 二冊」は、享保十八年に江戸の幕府書物から編纂されたと記載されている。