赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

🔴元、【越中吉岡庄】の赤丸村に在った富山県高岡市「衆徳山総持寺」の「国指定重要文化財 木造千手観音座像」

2021-04-18 | 旧町名 富山県西礪波郡福岡町赤丸
























































■「高岡市」の「高岡」命名に総持寺住職が関与したとして有名な「総持寺」の「千手観音座像」が年一回、十一月十五日に御開帳を迎える。
南北朝時代に一時期は南朝、北朝の両天皇が行在所とされた「河内国金剛寺」から「後醍醐天皇庄園の吉岡庄(赤丸村)」に伝わったとされるこの観音像は、鎌倉から南北朝時代の激動の時代に数々の政変を見てきたと言う稀有な遍歴を持ち、「慶派」の「七条仏所」の工房で「幸賀 大仏師」、「頼真 小仏師」により製作され、南北朝期の戦乱の中で赤丸村に移された。この観音像は富山県では唯一、国指定重要文化財で在り、木造、座像としては他に例を見ない千手観音像。(※この千手観音像の胎内には「後鳥羽上皇」の法名「金剛位理卿」が記載されている。千手観音像の台座は一般的な【蓮華座】と異なり、後鳥羽上皇が好まれた「菊花紋」が用いられている。)








又、他にも相当古い「薬師如来像」や、本堂には「慶派仏師 松本明慶師作」の「不動尊像」等多くの仏像が祀ってあり、更に、圧巻は寺院の周囲には数々の石仏が安置されている。これ等を拝見すると、本当に古く、由緒の在る寺院である事が分かる。この寺を舞台にした古い落語に「札所の霊験」と言う有名な落語があり、昔から江戸にも聞こえた有名な寺院だった様だ。名古屋で有名な「大須観音寺」には室町時代の越中守護「畠山満家」の三回忌をこの寺院で執り行った記録も遺されている。




■【蔭涼軒日祿】に見える室町幕府から「越州国総持寺」への「安堵状」


■越中総持寺を舞台にした落語が「円生」の落語にある。。




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