このところ、バッハのコラール前奏曲BWV639「イエス・キリスト様、私は汝に呼びかける」(Ich ruf zu dir, Herr Jesu Christ)をレパートリーに加えようと練習していました。ぼくがはじめて取り組んだバッハ作品です。ロシアの映像作品監督タルコフスキーの「惑星ソラリス」の主題曲としても使われていることで知られている曲で、この映像作品とともに、ぼくはこの曲がとても好きなので、いちどは弾いてみようという気持がありました。ところで、じぶんで弾いてみると、あらためて、というより、はじめて、この曲の〈荘厳な奥深さ〉を経験し理解したと思うと同時に、この曲はただ聴くならまだしも、じぶんで親しく弾くには抵抗があると感じました。バッハの作品すべてに感じることですが、その〈宗教性〉は強烈であると同時に、人工的なものを感じさせます。自然な人間性から離れた音階技術によって、超人間的な次元を感覚させようとする、宗教音楽としての意図はわかる気がしますが(昔からそれはバッハにつよく感じてきました)、この技術はほんとうに人間の実感に支えられたものなのだろうか? と、疑問に思うことがあるのです。巧みな技術によって人工的に編み出されたものではないのか? という気持が半ばするのです。この疑問性のゆえに、「惑星ソラリス」のような、いわば疑似人工人間の人間性の問題がテーマとなる作品では、その問題提起の強調に、この曲は効果的であるように思います。事実そのような意識をもって使われた気がします。 ともあれ、この曲(バッハの一曲ですが)をじぶんで弾くことへの抵抗が強くなってきて、「きっと忘れない」などのほかの曲との親密さをぼくのうちで保つためにも(この親密さが現前していなければ弾けなくなります)、バッハの作品をじぶんで弾くことは原則敬遠しようという気持をいま持っています。人間的なゆたかさを通して宗教性へ至ることが大事であり、この意味でぼくは「きっと忘れない」のような曲も宗教的な気持で弾き味わっています。バッハでなければ宗教的でないなどということは絶対にありません。そう信じています。
きみとの親密さに忠実であることが ぼくにはなにより大事なことです。
どうかお元気で
きみとの親密さに忠実であることが ぼくにはなにより大事なことです。
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