美と人間
「現在の日本に真の美が稀であるのは、思想の営為が、芸術家自身において、世俗性を脱しておらず、ここに、内面の分裂があるからである。」
美は、絶対的な美のみを美と云うのであって、絶対的なものに表面的と内面的の区別は無い。表面と内面の絶対的統合が美の本懐である。表面的な美というものはありえない。正確には、表面的な美で満足するようにはわれわれの本性はつくられていない。われわれはかならず内面的な美を希求するようにできている。そして、内面的な美は、表面に迫(せ)り出してくるものとしてのみ、われわれはこれを経験する。この意味において、内面の美と外面の美の区別はありえない、と、ぼくは言っているのだ。
美しくなりたいなら、美の本源である魂が迫り出すよう、内面を磨くことである。愛をもつことである。愛は内的な美の希求である。
芸術は、このことの証言でなければ、いっさいの意味はない。
芸術は、この意味で、全人間的な営為であるから、いわゆる美感覚のみの問題ではなく、思想的な営為でもある。思想の営為を俟ってはじめて美感覚そのものが充全である。 現在の日本に真の美が稀であるのは、思想の営為が、芸術家自身において、世俗性を脱しておらず、ここに、内面の分裂があるからである。美を求めているつもりでいながら、判断原理そのものは世俗のものである。 美は本質的にメタフィジックなものであり、人間自身の志向がメタフィジックとならなければ、真に現われない。 これは、「神」の伝統をもたない日本にとっての難問である。 宗教やスピリチュアリズムで解ける問題ではない。
「神」の問題は、自己との真の自問自答、知性の問題である。