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高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

”忘れた記憶は記憶と言えるか”

2023-07-06 21:00:32 | 日記

”忘れた記憶は記憶と言えるか”



初再呈示
 

2021年09月16日

 
なにか他のことに注意が向いて、さっきまで在ったのに手放してしまったひとつの現前、つまり忘れた記憶は、無になったのか、それとも記憶として保存されているのか。記憶として在るから失望するな、心配するな、とじぶんに言い聞かせることができる、と信じることが、前に踏み出して生きることの条件なのだ。これを「反復」 (Wiederholung)と言う。人間の本性は何と弱く、かつ、強靭であることか。生きるとは、「反復」を生きることである。 
 
 
反復があるなら、永遠もまた在る。 これが忠実・信仰ということである。
 
 
 
 
 
 
 



後悔しても良いから自分らしく生きる

2023-07-06 01:45:20 | 日記

後悔しても良いから自分らしく生きる



 
口をついて出た言葉。
 
 
ぼくは、状況を顧慮して本心とは異なる妥協した応答をした結果の、一生つづく内面のあとあじのわるさを知っている。
 
ふつうの妥協者は、それから逃れるためか、無理にでも自己正当化したいためか、じぶんとは関係ない他者にまで、〈妥協〉を強要して敷居を無視した言動にはしる。 実存思想(呼び名はどうでもよい)とは一片の縁も無い者たちである。人間の節操が崩れている。 
 
 
 
現在の微々たる例を挙げれば、マイナンバーカードを保険証として使わざるをえない状況をつくっておいて、提出書類には「自らの意志で申請する」と活字化している。この文言をみたとき、私のペンは止まった。もう、あの妥協の生むあとあじのわるさを再び経験したくない。そう思っていたら、「後悔しても良いから自分らしく生きる」というこの節題の言葉が内心からおのずと形として出るという不思議な経験をしたところなのだ。良心のお告げの経験をここに記す。
 
 
最初に経験した、ぼくの内面に深刻な跡を残した妥協経験は、ドイツ留学中の出来事であり、前大戦中の日本をドイツと同列に置いた教授の、〈日本はドイツと同じ舟に乗っている〉という吐き気のする誤認識に、状況への配慮から、わざと肯定的に応じた、自己欺瞞の経験である。この跡はぼくの内心から一生消えない。マイナンバーカードの事象はこれとは種類は全く異なるが、同じ自己不同一を生むものであり、その跡は一生つづくことは明瞭である(この世での余生の時間的長さなど全く問題ではない)。こんな経験を国民にさせる行政は、全く異常であることを、ここではっきり言っておく。良心が麻痺している。
 
 
 
 



参照 悪魔の恐怖力をもって悪魔を倒す戦い 

2023-07-05 02:25:12 | 日記

悪魔の恐怖力をもって悪魔を倒す戦い  



「恐怖」の鎮圧。ロシア軍にたいしては、昔から「恐怖」という言葉が自発的に印象表現として使われてきた。私も何度気づいたことか。実際、ロシアを舐めた国は昔から凄惨な経験を支払わされた。日露海戦での日本勝利は奇蹟であり、それだけ注目することは誤りである。
 この記事はロシアが依然そういう恐怖の存在であることを証言するものであり、紹介する価値があると私は判断した。いつもそうであるが、敵を招いたのはロシアではない。そしてロシアの現実的な防衛意識は半端なものではなく、それ自体、ロシア・リアリズムの徹底した実現である。机上の観念論と無縁なのはその歴史と同様である。ロシアが現実に戦う場合の力の「恐怖」を我々は認識していなくてはならない。いまの場合、ロシアを怒らせたアメリカこそ悪魔であり、ロシアは、悪魔の如き力をもって悪魔を倒す戦いをしている。そうでなければ、世界は米国の地球帝国になってしまい、人間の自由が無くなってしまう。自由の防衛の敵が昔とは逆になったことに気づかなければならない。 
 
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元米軍人ら、ウクライナでの惨い戦闘について語る

2023年7月2日, 11:36
 
© Sputnik / Konstantin Mihalchevskiy
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ウクライナ紛争で同国軍側で戦っている元米軍人らは、前線の困難な状況と戦闘の惨たらしさに衝撃を受けている。米ニュースサイト「Daily Beast」が報じている。
「バム」というコードネームを使っている戦闘員は、過去に参加したイラクやアフガニスタンでの戦闘と比べて、ウクライナ紛争ははるかにシリアスだだと語った。
アフガニスタンとイラクでの最悪の日が、ウクライナでは穏やかな日だ
 
同戦闘員によると、大半のウクライナ兵士の訓練レベルは低く、まだまだ不十分な点が多いという。
「ここには戦場にいるべきではない実際に愚かな志願兵がたくさんいる」
 
(米国人記者シーモア・ハーシュ氏による調査
ウクライナ、米国、NATOにも益なし 反転攻勢をハーシュ記者はこう見る
6月12日, 16:42)
 
一方、元米海兵隊員のオッフェンベッカー氏は、前線で起きていることを「恐怖」と位置づけ、ロシア軍が大砲や戦車でウクライナ軍を鎮圧していると説明した。
「これは私が参戦する3度目の武力紛争だが、最も惨たらしい紛争だ。結果的に私は、戦いを継続しないことにした」
 
スプートニク通信は先に、ウクライナ軍の反転攻勢でロシア軍が防衛に成功した理由について、ドイツ人専門家の見解を報じた。
関連記事:
西側の兵器はなぜウクライナ軍を敗北から救えないのか 米専門家が説明
上官は準備不足、NATO装備は役立たず ウクライナ兵士らが訴え=マスコミ
 
 



速読にはたぶん或る種の意識程度の低さが必要

2023-07-05 00:15:25 | 日記

速読にはたぶん或る種の意識程度の低さが必要



 
以前から思っていたのだが、いま、そのことを記しておく。自己意識における「主体-客体-分裂」も経験しない程度の意識で生きている者が大半だから、結果的な知力と本質的な知性の区別も日本人にはつかない。だから、「本を読む」ことがどういうことか、速読できる者ほどかえって解らない。 同時に、ぼくはぼくの読み方でよいのだということも解る。 数値化できる結果で比較しても、人間の真は解らない。 
 
 
 





人生の然り 美は生きる力  

2023-07-03 22:25:22 | 日記


 
神を求める者に、この世で妨害やいやがらせが無いわけがない。純粋に個人的な事柄なのに、どうして騒ぎが起こるか。悪魔がこの世を支配しようとしているからだ。自然主義的な態度に落ち着いているとどうしてもこのことを忘れがちになる。 ほとんどすべての人間が悪魔のしもべとなる。
 

 
それでなくとも、人生は五十と五十。この五十を得るなら他の五十の損失は仕方ない。



 
この世に生きる理由などないと思っても、結局それがためにひとが生きて活動しているもの、それが美だ。生きようと欲する力だ。
 
 
美しくなければ神ではない。ゆえに美学と形而上学は本源的にひとつなのだ。 
 
「その美しさを買われて、神さまとなりました。」
 リルケ「神さまの話」108頁