前潟都窪の徒然草

折々の社会現象に対する所感、随筆、アフリエイト

新聞報道の信憑性・・・沖縄集会11万人の過大報道

2007-11-09 14:54:06 | ニュース雑感
  終戦時の沖縄集団自決について日本軍の命令があったか否かをめぐって教科書検定が出版社原案を削除した。この削除は不当だとして沖縄で抗議集会が開かれた。この集会に11万人が集まったとの新聞報道があった。その数をめぐって政治的な意図をもって実際の数より過大な報道をしたとの憂国者によるマスコミ批判があった。

  その「マスコミの誤報を正す会」が結成された。との報道を読んだ。



 この記事を補足するようにして
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 11月8日(木曜日) 貳  通巻 第1997号 
の記事を目にしたので備忘のため引用しておく。

以下は引用である。 

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(読者の声1)貴誌に依れば、知識人、ジャーナリストらによって、「マスコミの誤報を正す会」が結成され、記者会見の運びとでておりました。その後どうなっておりますか。
   (治平)


(宮崎正弘のコメント) 8日午前、衆議院第二議員会館にて十一名の委員(発起人)が出席し、記者会見が行われました。
会見では会の代表をつとめる加瀬英明氏が最初に挨拶、つづいて藤岡信勝氏がパネルを駆使して、先般の沖縄「十一万人集会」の嘘を徹底して暴き、実際は「たかだか二万人もいなかった」ことを実証した。
 参加した全部の記者には十数枚のカラーコピィを束にして、あの十一万人集会をブロックに区切って数を勘定した証拠を提出し、つづいてマスコミ各社に送られた公開質問状を西村幸祐氏が朗読した。
 参加人数は警備会社テイケイが克明にカウントした実数で、18179人に過ぎなかった。警備会社は人数把握に慣れているが、この勘定方法は、写真をブロック別に拡大して、一人一人をマジックでつぶしていくという念入りな作業が行われた。
 この会見には問題のNHK、朝日新聞、読売、毎日、共同、ジャパンタイムズなど、ほぼ全社出席、マスコミの「意識」ぶりを感じさせた。つまり、彼らは気にしているのだ。
 会見は、引き続き各委員から発言の発言があり、三輪和雄、高山正之、茂木弘道、藤田裕行氏らと続いた。
 弁護士の三堀清氏は、「十一万人が嘘であることは、新聞が購読料金をとっている以上、ちゃんとした商品(情報)を売るのが適正行為で、客観的報道は義務である。だから虚偽の数字報道は義務を怠って、一般商行為で言うと「不良品」を販売していることと同じである(ミートボールや赤福と同じラベル詐称行為)。一般的には『名誉棄損』と『業務妨害』でしか告発できないが、無代の民間地上波のテレビを除き、購読者が告発することはできる」とした。
 また三輪和雄氏は「新聞を取りしまる法律はないが、地上波は『放送法』によって規制をうける。放送法は、公平中立の報道を謳っているからだ」。
 高山正之氏「新聞記者は誤報をもっとも慎む筈であり、わたしも現役時代はそういう教育を受けた。いまの新聞記者は『誤報』の遣り方がかわったのか。ともかく十一万人集会の報じ方は、思惑があることはあきらかだろう」。
 藤田氏は、教育問題へも言及し、問題点を四つ挙げた。
 小生は「南京大虐殺の嘘放送と同様に、この報道は『政治プロパガンダ』である」とした。
最後に西村幸祐委員から「ウェッブサイトを立ち上げ、英字紙を含めてのマスコミ報道のゆがみを、さっと問題にする『誤報ウォッチ』のような運動をネット上で興したい。きょうは、その出発の日でもある」と述べた。
また会の英語名を「CITIZEN‘S MEDIA WATACH」と決めた。
 会場からは質問が産経、UPI、朝日などから山のように飛びだした。

 以上で記者会見の雰囲気がわかっていただけたでしょうか。なお、テレビ朝日のカメラも入っていましたがニュース番組に流れるか、どうかは分かりません。
 桜チャンネル視聴者は、今晩か明日のニュース番組を!



娘の結婚

2007-11-09 10:59:11 | この意見に共感
少子高齢化がいわれて久しい。
女性は子供を生む機械と発言して物議を醸した大臣もいる。
囲碁会や同窓会などでも嫁がない娘のことが話題になることが多い。
結婚しない女性が増えてきたから孫の数も少ない。同年代の集まりで孫の数を話題にしたことがある。意外なことに4人の孫がいるのは多い方で全然いないとぼやく者やらたった一人しかいないという者が多いのに驚いたことがある。

久田恵女史のエッセイは母親の心理を鋭く抉っていて共感する点が多い。




世界情勢と日本の役割/平井修一氏の講演録

2007-11-09 10:29:16 | この意見に共感
 テロ対策特別措置法をめぐる攻防が与党自民党と野党民主党の間で繰り広げられている。
 日本の防衛をどうするか、それにともない憲法改正はどうなるのか、国の根幹を考えなければならない時期にきている。それには先ず日米関係の近年の歴史を調べてみる必要があると感じているときに
渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針  第991号
         平成19(2007)年11月09日(金)

世界情勢と日本の役割:平井修一
という所論を発見した。非常に参考になり蒙を開かれたので備忘のため全文を引用しておくこととする。

以下は引用である。
世界情勢と日本の役割:平井修一
「日本を取り巻く情勢と日本の役割」というテーマで講演を依頼された
ので、以下、話してきた。要旨を紹介する。
・・・・
近年、「日米同盟」などと言われています。以前は「日米安保条約体制」
と言っていたと記憶するのですが、同盟とは「対等」であってこそで、
実体は米国が日本を守り、日本は米国を守らないという、おそろしく間
の抜けた「同盟もどき」だと私は思っています。

「本当に米国は核の傘で守ってくれるのだろうか」と日本はひやひやし
ていますが、米軍艦へ給油もできないヘタレ国を守るはずはない。もっ
とも日本をマッカーサー憲法で去勢したのは米国ですから、米国自身も
忸怩たる思いがあるでしょう。

「日米同盟を米英同盟のように強化すべきだ」という議論があります。
米英同盟が強化されたのはおそらく1930年前後からで、この二国は実は
それまでは大いに殺し合い、警戒し合い、牽制し合い、つまり普通の国
と普通の国の関係だったんです。

米英は1775年から1930年頃までのおよそ155年間は敵対するか牽制し合
ってきた。

アメリカは皆さんご承知のように、そもそもが英国の植民地であり、独
立をめぐって1775~1783年まで米英は戦争状態にあった。それから暫く
して1812~1814年には米英戦争があり、アメリカは英国植民地のカナダ
を盗もうとし、イギリスはインディアン諸部族と手を握って北米におけ
る影響力の回復を狙ったんです。

ウィキペディアを覗いてみたんですが、

<1814年、海軍に輸送されたイギリス陸軍は敵首都の直接攻略のためア
メリカ東海岸に上陸、首都ワシントンD.C.は陥落、大統領官邸も焼かれ
てしまった。

ちなみに戦後、大統領官邸を改修する際に、このときの焼け焦げを隠す
ために真っ白なペンキを塗ったことから、大統領官邸はホワイトハウス
と呼ばれるようになったという有名なエピソードがある>

とありました。「有名なエピソード」とありますが、私には初耳です。

それにしてもホワイトハウスが襲撃されたのですから、911の同時多発テ
ロどころでじゃない。米英は互いに天敵だったんですね。

1861~1865年にアメリカは、自由貿易で英国への綿花輸出を(奴隷制度
とともに)維持したい農業・南部と、保護貿易で英国からの工業製品輸
入を抑え、かつ奴隷解放で安価な労働力を得たい工業・北部とが南北戦
争を戦いました。

イギリスは当然のことながら南部を応援した。イギリスは南部に最新軍
艦「アラバマ号」を供給し、北部はこのために大いに悩まされたと服部
之総著「黒船前後・志士と経済」という本に紹介されています。

南北戦争が終わってから米国はイギリスに賠償を請求し「カナダを割譲
しろ」と噛み付いたんですが、イギリスは「それをするくらいなら戦争
を選ぶ」と一蹴しました。

米英が同盟関係あるいは友好関係にあったのは1930年以降の70年間です
から、両国が外交関係にあった230年間中、いい関係にあったのは3分の1
未満に過ぎないんです。簡単に言えば3分の2はお互いに「いやな野郎だ」
と思っていた。我が夫婦みたいなものです(笑)。

1853年、嘉永6年、鎖国政策の日本の門戸を4隻の黒船をもって強引にこ
じ開けたのはアメリカです。「砲艦外交」と言う。弱肉強食の帝国主義
の洗礼を受け、日本は国際社会の荒波にもまれていくことになります。

日本は1945年、米国の軍門に降って子分になってから60年ですが、日米
外交関係の150年間のうち、戦争・牽制期間は大東亜戦争の4、5年間に過
ぎない。9割以上の期間は日米はいい関係だったんですね。

それなのに今、米国人に「パートナーとして英国と日本のいずれかを選
ぶとすればどちらですか」とアンケートすれば、多分、95%は「英国」
と回答するでしょう。

米英が戦争した南北戦争経験者なんて生存していませんが、日米戦争の
経験者はまだ生存しているから、記憶は枯れてはいない。恨みが残って
いるんです。日本人も同様です、数倍、数十倍の恨みが残っている。

明治早々でも米英の両国の憎悪と敵意は盛んで、日本でも火花を散らし
ました。南北戦争の忙しさでアメリカは明治維新(戊辰戦争)でのプレ
ゼンスがなかった。

米国は「日本を開国させたのは米国だ、それなのに英国が薩長からおい
しい思いをさせてもらっている」とねじこんだ。曰く「東京-横浜の鉄
道利権は、以前に幕府からアメリカが取得したから、新政府もそれを守
るべきだ」と。

イギリスは「鉄道は日本が独力でやります、と米国に回答しろ。建設の
ための公債は英国が引き受ける」と新政府に入れ知恵したから、アメリ
カは手を引くしかなかった。

ところが公債発行でスキャンダルが発生し、明治の新政府は英国一辺倒
から米国にも顔を向けていくことになる(米国がチクったのだろうと私
は想像しています)。

1900年前後、支那は清朝末期で政治が不安定で、外国人を襲撃する義和
団事件やロシアの南下で列強諸国を悩ませていました。

日清、日露戦争で日本は世界の強国のひとつ(帝国主義列強)になり、
欧米諸国とともにアジアに権益を持ったんですね。列強と評価されたら、
それなりの責任が生じます。

自国の権益を守ることはもとより、国際社会、特に支那地域の安定に寄
与することも日本は求められ、そのために日英同盟も結んだ。

幕末以来、日本滞在の長い英国外交官、アーネスト・サトウは同盟締結
の裏で活躍したと聞いております(サトウ「一外交官の見た明治維新」
履歴所載)。

1917年、ロシア革命が起きて世界は共産主義の脅威に直面することにな
ります。帝国主義時代というのは、隙あればかっぱらっていい時代なん
です。ドイツはロシアのドサクサに紛れてシベリヤにおける権益を拡大
しようとする。

それを牽制するために国際(列強)社会から日本と米国は「シベリヤ出
兵」を依頼されるんですが、日本はいやだという。その言い訳がふるっ
ています。

「日本は常に連合国共同目的のために貢献を行う用意があるが、それに
は全部の連合国の全幅の支持に依存する。故に日本は、米国と他の連合
国間の了解が成立するまで、いかなる行動をとることも差し控える」と
答えた。

(民主党の小沢の国連原理主義とは異なり、米国の支援を取り付けるた
めの政治的スタンス、外交戦術なんです)

米国は支那での利権を拡大する上で、この頃から日本を警戒するように
なったのでしょう。強い日本に期待するが、アジアのプレゼンスで米国
と対等な日本、あるいはそれ以上の日本は期待しない。日本を牽制する
ためでしょう、ソ連および中国の共産主義にアメリカは期待するように
なったんです。

1917年のロシア革命後の米国大統領ウィルソンの最初の公式声明趣旨を
紹介しますが、恐ろしいことを言っています(岩間弘「大東亜解放戦争」)

「ここ数週間、ロシアで起こっていることは素晴らしい。今や専制政治
は排除され、寛大なロシア国民が、世界の自由、正義、平和のための戦
列に加わったのである。ここに誉れ高き同盟にふさわしい盟友を得たの
である」

その後、日英同盟は米国の陰謀というか策略で破産し(1923年)、米国
はアジア政策で日本に敵対する蒋介石と毛沢東、ソ連と手を握る。日本
を牽制し、アジアにおける米国の利益を拡大するためです。

1931年、軍閥によって圧迫された清朝の皇帝溥儀(フギ)(万里の長城
の北の満州族の王が、長城の南の支那全土を統治していた)が日本に庇
護を求めると、日本は(英国の側面援助を受けつつ)皇帝溥儀が故郷の
満州で建国することを助けました(ジョンストン「紫禁城の黄昏」)。
満州での利権拡大を狙っていた米国は日本への敵意を一層募らせていき
ます。

1939年、ドイツがポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が始まる。英国
は苦境に立ちます。当時のドイツはアメリカと並ぶGDPで、ヨーロッパで
は最強です。

英国はドイツに圧迫され米国の助けを必要とし、米国も大西洋の安全確
保のためには英国を助ける(ドイツに勝たせない)ことが必要だった。

ここに「恩讐の彼方に」米英同盟が形成され、そして(ABCD包囲網によ
り)日本は言われなき経済制裁を受け、反米英の「日独伊3国同盟」へ
と軸足を移し、未曾有の悲惨な戦争に引き出され、そして敗戦に至りま
す。

以来60余年の2007年。世界はアメリカ主導の「パックスアメリカーナ」、
あるいは米ソの角逐した「冷戦秩序」を経て、誰が盟主なのか渾沌とし
た状況になってきました。

EU、ロシア、アメリカ、中共、そして「ペルシャ帝国」などが覇権を競っ
ている。このカオスには距離を置きたい、静かに暮らしたいと日本人の
多くが希望していると思いますが、エネルギーのほぼ100%、食料の55%
を海外に依存し、知恵と勤勉でしか地球で生きる術のない日本は鎖国さ
えできない。鎖国したら明日から亡国が始まりますから。

世界の安定のために、シベリア出兵ならぬ「インド洋出兵」「中東出兵」
が、世界のGDP合計の10%を占める日本の使命だと言われ、それをマック
憲法を盾に「できません」と言い続ければ再び日本は敗戦国になるしか
ないです。

国益を追求し「他策無かりし」と判断した結果の敗戦なら、国民は「再
起三起」、孫子の代で復活します。

しかし、戦わずに尻尾を巻いて逃げたら、日本民族は永遠に立ち直れな
いだろう、と私の父の世代はアメリカと戦いました。今の日本があるの
はその大和魂があったからですね。

軍事に限らず日本が世界の問題でプレゼンスを増す方策を官民あげて考
察し、自己犠牲の精神を発揮すべきだろうと私は思います。「我が身の
生活、暮らし」以前に「世界の安定優先」を掲げるくらいの民族でなけ
れば敬意を表されないだろう、と。

政治家にはその率先垂範を期待したいのですが、世界と付き合う中で何
が日本の国益かを考える人々が少ないようで、少々心配ではありますが、
皆さんとともにしっかりと見守っていきたいと思っております。
・・・・