病院に勤めていた頃、私は慢性の蕁麻疹に悩まされていました。もともと軽いアレルギー体質ではあったのですが、それまで食べ物でも寒冷刺激でも蕁麻疹など出たことがなかったのに、それはふいに私のもとへやってきました。入職して1年目の年末、突然全身に蕁麻疹が出たのです。全身というのは何の誇張でもなく、顔面から首、お腹、背中、両腕、両足ぜんぶが真っ赤っか。もうかゆくてかゆくて気が狂いそう。しかも顔にまで蕁麻疹は襲い、まぶたがパンパンに腫れてしまってお岩さんのようになってしまったのです。これはただ事ではないなぁと思い、勤め先の病院で診てもらい、強ミノという注射を打ってもらったのでした。普段仕事で扱っている強ミノを、まさか自分が打たれる側になるとは思ってもいなかったので、「こんなこともあるんだなぁ。」とやや情けない気持ちになったことを覚えています。(そして大して強ミノが効かないことも分かりました)
そして蕁麻疹の原因は分からないうえに、その後も頻繁に蕁麻疹が出るようになってしまいました。一番原因として考えられるのは「ストレス」でしたが、蕁麻疹が出るまで私はそのストレスを自覚できないのです。いえ蕁麻疹が出ても、「これ」と思い当たるはっきりとした原因が分からないことも多く、「忙しくて疲れてるんだな。でもそれはいつものことだし。」と思う程度。慢性的に忙しく疲れていたので、疲労の程度も自覚できていなかったように思いますし、それ以外の原因について考えるゆとりもなかったのだと思います。
しかしある時、「これだ」とはっきり原因が分かる出来事がありました。紆余曲折ありながらも自分なりに関係を作ってきた、いわゆる「難しい」患者さんに、「あんたには患者の気持ちは分からない!担当を変えて!」と怒鳴られ、ショックを隠しきれずに退室してしばらくすると、みるみるうちに蕁麻疹が出てきたのです。明らかにその時私は、患者さんの言葉に傷ついていました。もっと言ってしまえば、患者さんの口から発せられた言葉が私の身体にくいこんできて、切り刻まれるような物理的な痛みを感じていたのです。その痛みが、蕁麻疹として表れている・・・そう思いました。
その時になってようやく私は理解しました。蕁麻疹の原因は「これ」とはっきり分からなくても、「私は傷ついているんだ」ということ。不規則な勤務、疲労、責任の重さ、感情労働として引き受ける精神的負担・・・原因は何であれ、自覚こそできなくても、そのどれか(どれも)が、私の身体にくいこんできて私を傷つけているのだ、ということ。
それより以前に退職することは決めていましたが、その出来事を体験して「私の選択は間違っていなかった」と確信したように思います。病棟勤務は、様々な面で私のキャパシティを超えていたのです。体力、不規則な生活への適応力もなければ、勤務を続けていくにはあまりにも精神的/肉体的にセンシティブすぎた・・・「限界だ」と認めて、私は職場をあとにしました。
けれど、私は今でもそれを ー自分が病棟勤務を続けられなかったという事実をー 100%受け入れられているわけではないのです。どうして他の人に出来て、私に出来ないのか?大好きな同僚たちに囲まれて、好きな仕事をしていたのに、何故?どうしてもっと頑張ることができないの?・・・退職してから一度も蕁麻疹が出なくなったというのに、それでも私は自分の能力の限界を嘆いているのです。
何故こんな話が急に出てきたのかというと・・・出産/育児に関しても、私はまた同じような失敗を繰り返しそうだと、ふと同僚のナースの助言を聞いて思ったからです。彼女はつい最近、私にこう言いました。「母児同室!!って厳しいこと言われないから、○○病院はいいよ。」最近の(周産期医療の)風潮としては、赤ちゃん(とお母さん)のために「母児同室」「母乳育児」がすすめられており、病院によってはそれを頑張るように指導されます。ですがこれを完璧にこなそうと思ったら、体力的にとても大変です。そして「赤ちゃんのために」頑張ることができればいいですが、できなかった場合自分を責めることにもなります。それに母児同室は本人の努力で何とかなったとしても、母乳に関しては本人の努力や責任とは関係のないところでトラブルがある可能性だってあります。
何となく「母児同室」「母乳育児」は当たり前のように考えていた私ですが・・・仕事と同じように「頑張れない自分」の可能性を受けいれなくちゃ。改めてそう自分を戒めています。なのではじめから「こうあらねば」と決めつけて、頑張ることを前提にしない。状況に応じて、自分に出来ること/出来ないことを判断しながら、最善を尽くす。そのために「母児同室」「母乳育児」に関してもゆるやかな方針でやっていけるよう、産院のスタッフと上手にコミュニケーションをとっていきたいなぁと思っているのです。
そして蕁麻疹の原因は分からないうえに、その後も頻繁に蕁麻疹が出るようになってしまいました。一番原因として考えられるのは「ストレス」でしたが、蕁麻疹が出るまで私はそのストレスを自覚できないのです。いえ蕁麻疹が出ても、「これ」と思い当たるはっきりとした原因が分からないことも多く、「忙しくて疲れてるんだな。でもそれはいつものことだし。」と思う程度。慢性的に忙しく疲れていたので、疲労の程度も自覚できていなかったように思いますし、それ以外の原因について考えるゆとりもなかったのだと思います。
しかしある時、「これだ」とはっきり原因が分かる出来事がありました。紆余曲折ありながらも自分なりに関係を作ってきた、いわゆる「難しい」患者さんに、「あんたには患者の気持ちは分からない!担当を変えて!」と怒鳴られ、ショックを隠しきれずに退室してしばらくすると、みるみるうちに蕁麻疹が出てきたのです。明らかにその時私は、患者さんの言葉に傷ついていました。もっと言ってしまえば、患者さんの口から発せられた言葉が私の身体にくいこんできて、切り刻まれるような物理的な痛みを感じていたのです。その痛みが、蕁麻疹として表れている・・・そう思いました。
その時になってようやく私は理解しました。蕁麻疹の原因は「これ」とはっきり分からなくても、「私は傷ついているんだ」ということ。不規則な勤務、疲労、責任の重さ、感情労働として引き受ける精神的負担・・・原因は何であれ、自覚こそできなくても、そのどれか(どれも)が、私の身体にくいこんできて私を傷つけているのだ、ということ。
それより以前に退職することは決めていましたが、その出来事を体験して「私の選択は間違っていなかった」と確信したように思います。病棟勤務は、様々な面で私のキャパシティを超えていたのです。体力、不規則な生活への適応力もなければ、勤務を続けていくにはあまりにも精神的/肉体的にセンシティブすぎた・・・「限界だ」と認めて、私は職場をあとにしました。
けれど、私は今でもそれを ー自分が病棟勤務を続けられなかったという事実をー 100%受け入れられているわけではないのです。どうして他の人に出来て、私に出来ないのか?大好きな同僚たちに囲まれて、好きな仕事をしていたのに、何故?どうしてもっと頑張ることができないの?・・・退職してから一度も蕁麻疹が出なくなったというのに、それでも私は自分の能力の限界を嘆いているのです。
何故こんな話が急に出てきたのかというと・・・出産/育児に関しても、私はまた同じような失敗を繰り返しそうだと、ふと同僚のナースの助言を聞いて思ったからです。彼女はつい最近、私にこう言いました。「母児同室!!って厳しいこと言われないから、○○病院はいいよ。」最近の(周産期医療の)風潮としては、赤ちゃん(とお母さん)のために「母児同室」「母乳育児」がすすめられており、病院によってはそれを頑張るように指導されます。ですがこれを完璧にこなそうと思ったら、体力的にとても大変です。そして「赤ちゃんのために」頑張ることができればいいですが、できなかった場合自分を責めることにもなります。それに母児同室は本人の努力で何とかなったとしても、母乳に関しては本人の努力や責任とは関係のないところでトラブルがある可能性だってあります。
何となく「母児同室」「母乳育児」は当たり前のように考えていた私ですが・・・仕事と同じように「頑張れない自分」の可能性を受けいれなくちゃ。改めてそう自分を戒めています。なのではじめから「こうあらねば」と決めつけて、頑張ることを前提にしない。状況に応じて、自分に出来ること/出来ないことを判断しながら、最善を尽くす。そのために「母児同室」「母乳育児」に関してもゆるやかな方針でやっていけるよう、産院のスタッフと上手にコミュニケーションをとっていきたいなぁと思っているのです。